
登山はガラスの十代のころ大山(1729m)に2回、富士山(3776m)に1回登頂した経験があるも、以降はずっと登山とは無縁の平地生活でした。
再び登山を始めたのは2015年からのお城巡りがキッカケで、山城跡にも嫌々登るようになってからです。
それが最近では山城跡で無くとも、標高300m前後の山を中心に登山をするようになってきました。
八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を
今回は和歌発祥の地とされる八雲山(標高426m)に初めて登ってみます。
東側からアプローチ。
熊野城跡の登山口前から見る八雲山です。
先を進むと車幅ギリの極狭な林道が続いて焦り始める。

アプローチした東側には登山口は無かったのだ。
峠を越えて回り込むようになんとか八雲山の西側にある登山口に辿り着きました。

八雲山へのアプローチは西側からが正解でしたね。
幅広い路側帯に停め直すと、続いてザ・ビートル登場。 意外と八雲山に登る人はいるようだ。
先日のブログに登場したヴェノム化ホットウィールのジャックハマーのヘッドライト形状に

よく似てるミニカーがあったなと、ふと思い出したのがウルトラマンの科特隊専用車でした。
ということで、今回のぷち登山のお供はサントリーボス缶コーヒーおまけの科特隊専用車です。

プルバックで走る。 なお、科特隊専用車のベース車両はシボレー・コルベアだとのこと。
15時6分、それでは登山を始めます。
八雲山は和歌発祥の地とされ、登山道は八雲山文学碑の径になっています。
登山道沿いにはこのような和歌が掘られたたくさんの石が点々と置かれています。
不老長寿 神泉坂根水

この水で身を清め霊気を頂いて御参拝下さい・・との説明書きがありました。
鳥居

八雲山は須我神社の奥宮となっています。
階段を上がると・・
そこには夫婦岩と呼ばれる2基の巨大な霊石が鎮座。
参拝させて頂きました。(-人-)
さらに進んで東屋の横を抜ける。
あとは、ほぼなだらかな山道を歩いて行きます。
登るのが辛い場所や危険な場所はありません。
八雲山文学碑の径の和歌が掘られた石は登山口から山頂までずっと続く。
15時26分、八雲山(標高426m)の山頂に到達です。
大きな石の歌碑が立つ。
八雲立つ 出雲の歌の 生まれたる 須賀の皇居(みやい)の 八重垣の跡
和歌発祥地「八雲山」についての説明板。

八雲山は「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と詠われた和歌発祥の地。
山頂の様子です。 けっこう広々とした芝地の気持ち良いスペース。
奥側から撮影。 三角点もあります。
眺望も良いです。 遠く中海方面の景色が広がる。

ただ、霞んでいて大山方面の眺望では澄んだ瞳で見ても遠く大山までは見えませんでした。
眼下には平坦地があって建物がある。 小屋に見えるけど何らかの研修施設らしいです。

まぁ、建物が建ってるので平坦地になってるのはそれはそれで良いとして
気になるのは山頂より一段下にある細く囲った帯曲輪のような地形の構造です。
さらに奥側の茂みには左右に道があり、ぐるりと回って歩けるようになっています。
この道に入って歩くと山頂から段階状に伸びた幾段かの郭跡の構造が確認できました。

これはかなり城跡っぽい雰囲気です。 後で調べると八雲山は熊野城攻めのため毛利方が一時的にでも陣を置いた場所だったそうです。 ただし、○○城の名称は無し。
山頂おやつはいつものコアラのマーチです。 山頂ではのんびり30分以上滞在。
三角点も捕獲してこれにて八雲山は制覇としました。
下山時は和歌が掘られた石は全て反対向きです。
16時24分、無事に下山。

八雲山からの帰り道は元来た極狭な東側ルートは避けて西側ルートで抜けました。
ブログ一覧 |
カマロ | 日記
Posted at
2021/04/06 20:22:33