
まだ6月なのに気温30度を超えた真夏日に、何を思ったか難攻不落の山城、月山富田城跡に登ってみました。
日本100名城にも選定されてる月山富田城跡にはこれまで何度も登ったことがあるのでそんな気楽さもあったかもしれません。
でも何気に今年初めて登ります。
月山富田城跡の遠景です。

月山富田城は戦国時代に尼子氏が本拠を構え、170年間に渡る尼子氏盛衰の舞台となった城。
月山(標高約190m)麓の駐車場に愛車を停めました。

ここで右側(助手席側)のワイパーゴムが切れてるのに気づく。 また交換しないといけない。
月山富田城は月山山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複郭式山城。

それでは登ってみます。
少し登って乗馬の訓練をしてた場所とされる長細い曲輪の馬乗馬場。
桜の木がいっぱいで広い曲輪の千畳平。

最初はマスクしてましたが、暑いのと人気(ひとけ)も無いことからマスクを外して歩きました。
太鼓壇という曲輪にある山中鹿介幸盛の祈月像。

山中鹿介幸盛は戦国時代の武将で、月山富田城の城主である尼子氏の筆頭家臣でした。
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は戦前の小学校教科書にも載る。
裾野に広がる城郭を進む。 花の壇の復元建物越しに眺める月山富田城跡。
手前に池があって山中御殿の石垣があります。

この後、池と石垣の間に井戸跡があることを新発見しました。
御殿が建っていたという広大な曲輪の山中(さんちゅう)御殿平。

山中(やまなか)鹿介幸盛と山中(さんちゅう)御殿とで読みが異なるので混同しないよう注意。
山中御殿から石垣の下を覗いたところ、先ほど書いた井戸跡があるのを見つけてしまいました。

月山富田城にはこれまで何度も訪れてるのに、これは今まで見逃していた新発見でした。
そこに行く道は無いけれど、回り込んで石垣の下に降りアプローチしてみた。

ちゃんとした説明看板が立っているから立ち入り禁止区域ではないと思う。
軍用大井戸。 丁寧な石組で作られた楕円形の井戸で深さ3m以上ある。

何度も月山富田城に訪れててマンネリ化してたから、この井戸跡の発見は新鮮でした。
山頂の主郭部を目指して、つづら折りの急坂山道が続く七曲がりと呼ばれる難所を登ります。

気温30度を超えた真夏日、汗を垂らしながらはぁはぁぜぇぜぇの有酸素運動となりました。
七曲がりを登り切り、西の袖平という帯曲輪に立って三の丸石垣を見やる。
三の丸に登りました。

鳥居が立つのはこの先の本丸のまだ奥に勝日高守神社があるから。
三の丸には三角点があるので捕獲しました。
三の丸から一段上がって二の丸。
二の丸とその先の本丸の間は大きな堀切で区切られてます。

なお、二の丸と三の丸には囲む石垣がありますが、本丸には石垣がありません。
本丸までやってきました。
本丸の一番高いところに立つ山中鹿介幸盛の記念碑。

なお、本丸を含め山頂の主郭部には月山富田城跡の石碑は今のところありません。
なので山中鹿介幸盛の記念碑のところで月山富田城跡の攻略としました。
せっかくなので本丸の奥に鎮座する勝日高守神社にも行ってみます。
この石段はずっと使用禁止だったのに、今年から手摺りが設けられ登れるよう修繕されてました。
勝日高守神社は歴代城主から崇敬された城の鎮守社。 参拝させて頂きました。(-人-)

月山富田城跡での活動は以上です、ありがとうございました♪
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カマロ | 日記
Posted at
2022/06/19 22:44:08