
リニューアル整備がされた月山富田城跡で、この春より観光ボランティアさんによる定時ガイドツアーが始まりました。
先日その定時ガイドツアーに参加し、昨年11月リニューアルオープン時(
歴ドルと巡る月山富田城オープニングイベントに参加)以来となる月山富田城跡に再び登ってみました。
午後からの定時ガイドツアーに備え、お昼ご飯は近くの富田山荘で食べることにしました。

お城を模したような建物。 宿泊や日帰りで温泉も楽しめます。
この富田山荘の駐車場から月山富田城跡がある月山の頂上が望めます。

富田山荘自体もお隣の小高い山の上にあり、月山富田城跡が近くに見える。
施設内のお食事処「三日月」で、チキン南蛮定食を頂いてみました。
このチキンが期待以上に大きかった。 外はサクッと中はジューシー。 タルタルたっぷり。

小鉢やデザートも付いてこれは満足ですね。 どうも、ご馳走様でした(^^♪
月山富田城は、月山(標高197m)に営まれる難攻不落の山城。 戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間に及ぶ尼子氏六代の盛衰の舞台となった。

国の史跡にも指定され、日本100名城にも選定されてます。
定時ガイドツアーの集合場所は、月山富田城跡の麓にある歴史資料館です。
今年3月から始まった定時ガイドツアーは、月1回第一土曜日にされてるそうです。

参加は当日現地受付。
今回の参加者は15名。 兵庫県からお越しのやたらお城に詳しい家族連れも居られました。

観光ボランティアさん1名が付いて、見どころガイドを受けながら月山富田城跡を巡ります。
歴史資料館の外にある月山富田城跡の立体模型を見ながら、本日巡るポイントの説明を受ける。

史跡を巡りながら標高197m、月山頂上の本丸まで登って降りて、約2時間、6kmの行程です。
13時30分、いざ出陣。 観光ボランティアさんの後を皆でぞろぞろ歩いて登山開始です。
最初の坂道は舗装路、そのうち石段に変わって、歩いて登るとすぐに千畳平という広いスペース。

有事の際に城兵集合の場として使われた曲輪跡。 桜の木がたくさんあるお花見スポット。
千畳平の北端にある尼子神社。 主祭神は尼子三代城主と山中鹿介幸盛外諸勇士。

1934年(昭和9年)に史跡指定を受けた際、尼子の霊を慰めるとともに町の発展のため建立。
少し先に進むと太鼓の壇。 そして、山中鹿介幸盛の銅像があります。

山中鹿介幸盛(やまなかしかのすけゆきもり)は、戦国時代の武将で尼子氏の家臣。
比類無き忠誠心を持ち、毛利に滅ぼされた尼子家再興に一生を注いだ悲運の名将。
「願わくば我に七難八苦を与え給え!」と三笠山にかかる三日月に祈るポーズ。

1978年(昭和53年)に建立されたこの銅像も三笠山の方角を向いています。
ここで、改めて観光ボランティアさん自身の自己紹介と自慢の歌声が披露された。

82歳。 15年前に脳梗塞で倒れ1週間意識を失い生死の境をさまようも不屈の闘志でカムバック。
山中鹿介幸盛の精神を受け継ぐ現代の武将。
元気です。

これから月山頂上まで登ります。
先に進むと、奥書院平という広い曲輪。

ここには第二次世界大戦戦没者の慰霊塔が建っている。
さらに進むと花の壇(侍所)。

発掘調査によって見つかった建物跡の柱穴をもとに侍所の建物2棟が復元されてます。
中に入って見学するのは、この定時ガイドツアーが初めてでした。
花の壇から望む月山富田城跡の全景。

手前に池(軍用大井戸)、石垣上には広い御殿平(山中御殿)があります。
御殿平は3000平方メートルあまりの平地。 山中御殿(さんちゅうごてん)という建物があった。

月山富田城はどこから侵入しても山腹にある山中御殿に通じる構造。 ここは要の砦。
上の画像とは反対側の位置から御殿平(山中御殿)を眺めています。
山中御殿を突破したとしても、最大の難所である七曲がりが待っています。

昨年のリニューアル整備工事で舗装されとても歩きやすくなりました。
七曲がりの途中にある山吹井戸です。

山の中から吹き出す井戸。 水が枯れることは無いという。
山頂近くになって七曲がりを振り返り見下ろしてます。

画像中央の人が集まってるところが山吹井戸。
七曲がりを登り切り、山頂部の三の丸に着きました。

目の前にすぐ石垣。 そして二の丸への石段がある。
二の丸です。 本丸とほぼ同じ高さにある。

鳥居があるのは、この先の本丸、さらにその奥に勝日高守神社があるためです。
二の丸から富田山荘を眺めています。

カマロの写真を撮ったり、チキン南蛮定食を食べたりしてたところ。
二の丸から見る本丸。

本丸に行くには二の丸から深さ10mの大堀切をいったん降りてまた登ります。
本丸に着きました。

惜しくも200mにあと3m足らない標高197mの月山頂上を登り切りました。
昨年リニューアルオープン時の登頂では雨で何も見えなかった景色。

北側の中海方面の眺望。
本丸跡に立つ山中鹿介幸盛の記念碑。
本丸の奥には月山富田城の守り神であった勝日高守神社が鎮座しています。
勝日高守神社の裏側にある謎の洞穴。 いざという時に城主が逃げ隠れる場所か?

観光ボランティアさんの話によると子供の頃はここに入って遊んだのだとか。
本丸から麓に降ります。 山腹の山中御殿からの降りは登りとは別ルートを通りました。
定時ガイドツアー最後は、堀尾吉晴(ほりおよしはる)のお墓を訪れました。

堀尾吉晴は、愛知県丹波郡大口町出身の武将。(1543年~1611年)
慶長5年(1600年)に月山富田城に入城した後、松江城の築城に着手。 慶長16年(1611年)に松江城が完成すると同年65歳で没った。 遺骸は遺言により当地に葬られる。
堀尾吉晴公のお墓の奥には、山中鹿介幸盛の供養塔があります。

月山富田城跡には、銅像、記念碑、供養塔とヒーロー山中鹿介幸盛のものが揃ってますね。
この後、定時ガイドツアー一行は歴史資料館に戻り、お茶をご馳走になってから解散しました。
2時間たっぷり歩きました。 観光ボランティアさんのガイドのお陰で、月山富田城跡のいろいろなお話も聴かせてもらい改めて勉強になりました。 ありがとうございました(^^♪