
天守跡から望む360度のパノラマは米子城の最大の魅力です。
「お城学者 加藤理文さんとめぐる! 米子城」の米子城現地ウオークは、いよいよ本丸へと登ってきました。
本丸は、標高90mの湊山山頂部に高石垣で囲まれた郭(くるわ)で、天守郭、遠見郭、番所郭で構成されています。 天守郭には、天守、副天守(四重櫓)の二つの天守が築かれていました。

米子市街地、大山、中海、島根半島など360度のパノラマが広がり、「海を望む天空の城」を実感することができます。
天守跡に上がる前にその周りにある、番所跡、遠見跡などを見て歩きます。
本丸の北東に張り出した番所跡です。

ここには本丸の番所がありました。 また、ここから天守の石垣を間近に見ることができます。
番所跡から下を覗くと、竪堀(たてほり)を見ることが出来ました。

竪堀とは、山の斜面に上下に掘られた堀で、攻めてくる敵が横方向に移動しにくくするために設けられています。 深く生い茂っていた木々は、最近の発掘調査中のため伐採されており、下までよく見通すことが出来ました。
番所跡から見上げる天守台の石垣。 左側が四重の副天守閣(四重櫓)、右側が五重の天守閣がありました。 右側の天守台は3段の石垣になっています。

この天守台には様々な時代の石垣を見ることができ、上段が慶弔に作られ、中段が平成に修繕、下段が昭和に修繕、さらに左の副天守台は幕末の修繕となっているそうです。
天守台の横を右回りに進みます。 石垣を横から見て。

手前のほぼ垂直に立つ石垣に比べ、奥側の石垣は傾斜がなだらかであり、一番大きく重たい建物の天守閣の土台となった石垣です。
続いて本丸の北側にある遠見櫓跡です。

眼下に中海が眺望できる遠見櫓があった場所。
遠見櫓の下には内膳丸から、尾根を駆け上がるように築かれた巨大な登り石垣があるとのこと。

恐る恐る下を覗いてみるも生い茂った木々で確認できず。 ここは今後のさらなる発掘調査に期待。
番所跡から天守台の横を回って反対側、本丸の西にある水手御門です。

中海側に張り出した郭から深浦側(船が入る港)へ下る道へ続きます。
天守台に上がる前に水手御門から本丸を離れて少しばかり道を下りました。

ここは平成27年度の発掘調査で伐採により姿を現した水手御門下の郭。
水手御門下の郭は、中海側に張り出しており、深浦側(船が入る港)に続く道の途中にあります。

登り石垣、竪堀、水手御門下の郭、米子城跡は近年の発掘調査によりいろいろ発見されている。
降りた道を再び登って水手御門を通り、いよいよ天守台へと向かいます。

水手御門から天守郭に入るところにある石垣。 ここも門の跡?
湊山の山頂。 米子城跡の広々とした天守郭。
天守台です。 天守閣の礎石が残っている。
それでは米子城天守台から眺める360度パノラマの素晴らしい景色を。
中海。

右は米子港。
米子市街地。

遠くに日本海。
大山。

手前は副天守(四重櫓)跡です。
天気が良くて何よりでした♪
この天守台跡でお昼ご飯となります。 礎石の一つに座りました。

朝の米子城現地ウオーク開始時に配給された郷土料理の「いただき」を頂きます。
「いただき」とは、この地方の郷土料理です。(別名 : ののこ飯)

米子城跡の頂で「いただき」をいただきっ!
見た目は大きなおいなりさんに似てますが、中身と作り方が違います。 油揚げの中にお米や野菜を入れてから炊き込んだものです。
大きめな油揚げの中に炊き込みご飯が入ってますが、後から炊き込みご飯を詰めたのではなくて、あらかじめ、お米・具材を油揚げの中に入れてから炊き込んで作ります。
お昼ご飯にしては、量は少ないですが腹持ちがよいので午後も頑張れました。
どうも、ご馳走様でした(^^♪
また、このお昼休憩の時間を利用しまして、取りい出したりまするは。

米子城現地ウオークではリュックの中に愛用のお城本「日本100名城に行こう(公式スタンプ帳つき)」を忍ばせていました。
おねだりして裏表紙にお城学者の加藤さんにサインというか寄せ書きを書いて頂きました。

日本100名城スタンプ活動も一昨年7月から始めて昨年12月までに、100名城のうち66のお城を巡りましたが、今年に入って1城も増えておらず完全に停滞しております。
「ゆっくり歩きましょう。」 再び活動再開の励みとなります。
これでお城関連の方たちの寄せ書きは4人目となりました♪

過去に頂いた寄せ書きは、「
米子城を極める! 現地ウオークに参加 (後編)」と「
歴ドルと巡る月山富田城オープニングイベントに参加 (後編)」で。
米子城天守台跡で記念撮影です。

米子城現地ウオークでガイド役を務めていただいたお城学者の加藤さんと市の教育委員会の方と。
ありがとうございました♪
この後、米子城現地ウオーク参加者全員での集合写真撮影もありました。
お昼休憩を終えて米子城現地ウオークの再開。
天守台・本丸を登った道とは違うルートで降ります。
本丸南側にある鉄門(くろがねもん)跡。

両側に石垣が迫るこの場所には、鉄板が打たれた大きな門がありました。
下から見上げる副天守(四重櫓)跡の立派な石垣。

幕末に補修された切込接(きりこみはぎ)の石垣が天にそびえます。
こちらも平成27年度の発掘調査で見つかった場所。 八幡台の郭。(はちまんたいのくるわ)

石垣に使う石を割る作業に使われた場所である痕跡があるそうです。
山腹の森の中。

米子城跡で見つかった中で最も古いものとされる石垣を拝見。
米子城跡・湊山を下山しました。 ここは中海に面した御船手郭(深浦郭)跡。

御船手郭(深浦郭)跡は、湊山の南山裾の中海深浦に面した郭で、船頭屋敷、船小屋、番人小屋の施設と角櫓が配置されていました。 ここには深浦水軍が配備され、海上防備とともに城下町に入る船などを監視していました。
米子城現地ウオークも終盤。 中海沿いを歩きます。 中海に突き出た出山です。

現在、出山の向こう側は埋め立てられ湊山公園の駐車場となっている。
出山にも登ってみました。 この小高い出山も海を監視する重要な場所であったと想像される。

しかし、現在は木が生い茂ってるためここから海の景色は見えません。
出山を降りて、鈴の門跡。 ここも昔は中海に面していたお城への入り口。

現在は手前は埋め立てられ駐車場になっています。 鈴の門跡から登る道は登り石垣に続きます。
三の丸跡を通り、内堀跡の道路を渡り、最後は米子城と所縁のある加茂神社です。

加茂神社は米子の鎮守として米子城主代々の厚い保護を受けてきました。
ちなみに、この加茂神社に祈願した老人が八十八歳で子供を授かったことから、八十八の子にちなんで米子の地名となったそうです。
この加茂神社が米子城現地ウオークのゴール地点。
10時から14時半までたっぷりと米子城を満喫しましたね。 ここで終わりの挨拶があり解散です。
最後に帰り際、内堀があった道路の交差点付近から米子城跡の遠景を。(逆光)
「お城学者 加藤理文さんとめぐる! 米子城」
お城学者の加藤さんや市の教育委員会の方といった詳しい人のお話を聞きながら巡ることで新たな発見もあり大変勉強になりました。 ありがとうございました♪