
趣味の城跡巡りと運動のための登山を兼ねて何年かぶりに金山要害山城に行ってみようと思いましたが、金山の名称を思い出せずうろ覚えで検索したら宍道要害山城というのを見つけてしまいました。
なのでアドリブで宍道要害山城に行ってみました。(初)
ちなみに要害山とはそれ自体が要塞、砦、城山になるのだと思う。 要害山=城山なので要害山城という呼び方は個人的には違和感ありますが、ここでは便宜上で要害山城と呼ぶことにします。
宍道要害山城跡は宍道駅のすぐ側にあるという。

駅の駐車場に愛車を停めたらちょうど電車が入ってきたので撮り鉄。
要害山踏切というのを渡ります。
宍道要害山城跡は児童公園になっていました。
宍道要害山城跡は本当に小さな山というか丘というか。 標高僅か42mの丘城です。
後で知ることになりますが、宍道要害山城は戦国時代に金山要害山城の支城だったとのこと。

左右に登り口があって迷いましたが、直感的に右手の登り口を登ってみることにしました。
右手を登って正解。 ここが要害山の入口で間違いない。

逆に左手を登っていたら墓地でした。 (後で実際に登って確認することを怠らない)
整備されたなだらかな坂道を落ち葉を踏みしめ登っていきます。
広々とした郭がありました。

郭(曲輪)は城を形成する区画の一つで人為的に作られた平坦地。
頂上はもうすぐ。 主郭(本丸)に向かいます。
何やら石に掘られてます。 漢字ばかりの石碑はよく読まずに進む。
山頂の主郭に到達です。

標高42mなので息も切れず汗も掻かずあまり運動にはなりませんでした。
戦争の忠魂碑が建っています。 明治時代以降の戦死者の霊を慰める慰霊碑というか。

それにしても児童公園のはずが遊具は何も無くて、そこにあるのは戦没者の忠魂碑という。
そのすぐ隣に不思議なものが? 人工的に四角く穴が掘られくり抜かれた大きな岩。
これは古墳時代の石棺、石室なのだそうです。 さり気なくもの凄い貴重なものがある。

この中にどなたか眠っていたのかな?
ともあれ、これで宍道要害山城は制覇としました。

ありがとうございました♪
駅の駐車場に戻るとちょうど特急やくも号が来たので撮り鉄。

宍道要害山城は古墳時代、戦国時代、明治以降の戦争とか時代を凝縮でしたね。
Posted at 2022/02/14 22:19:16 | |
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