
新型コロ助の影響による自粛で各種イベントが相次ぎ中止となる中、当日現地に着くまで半信半疑でしたが、米子城の発掘調査現地説明会は予定通り行われました。
主なネタがイベント頼りの当ブログにとっては2月の「
竹島の日記念式典」以来、実に5週間ぶりのイベントに参加してのブログとなります。
開催は当日現地に着くまで半信半疑でしたが、近くの国道沿いから分かりやすく看板が出てました。

今回の現地説明会では、令和元年度に実施した米子城跡発掘調査の成果が公開されるとのこと。
米子城下の湊山公園駐車場に愛車を停めました。

公園の桜はまだ3分咲ほどでこれからです。 なお、桜祭りは新コロ自粛で中止。
そこから歩いて現地説明会集合場所の枡形虎口へ。
どれだけの人が集まるのか予想できませんでしたが、けっこう多くの人が集まってました。

なるべく集団とは距離を置いて立つことにした。(汗)
頂いた説明資料です。

米子城の発掘調査現地説明会に参加するのは2回目で前回は2年前に参加。
そのときは新発見された竪堀について説明を受けてます。(
米子城跡発掘調査現地説明会に参加)
今回の発掘調査成果の箇所は主に2つあります。 内堀と水手御門腰郭です。
まずは内堀の発掘調査について説明があった。

説明会が始まると改めて多くの人が集まってることに驚く。 100人近くいたかもしれない。
米子城の内堀は内側の三の丸と外側の武家屋敷を区画するために掘削された防御用の堀です。
明治~昭和に埋め立てられ、現在では正確な位置が確定してませんでしたが、今回の発掘調査で表面から1.5mほど下に石が積み上げられた石列が確認されました。

この石列は内堀の石垣ではなく明治時代に作られた道路の基礎だと考えられるらしい。
しかし、堆積された粗砂や粘土の状態からこの石列よりも北側(画像の右側)が江戸時代の絵図に書かれた幅約33mの内堀であったと推測されるとのことでした。
一行は三の丸だった湊山球場のスタンド席を歩きます。

昭和28年に開場した湊山球場はさらなる米子城発掘調査のため今年秋にその役目を終えます。
三の丸には御殿や米蔵などがあったとの説明でした。 明治期には刑務所だったとか。
城山と二の丸石垣。

球場のため盛られた土の下にはさらに6mも続く高石垣が眠ってるとのことです。
山上の本丸石垣をズーム。

近年の整備による木の伐採で城下からも本丸石垣がよく見えるようになりました。
一行は先に進んで裏中門跡に。

今年に入ってからここに茂ってた木も伐採され、
それまで隠れて見えなかった石垣がその姿を現しました。

米子城跡の整備着々。
城山の中腹まで登って近年に発見された登り石垣です。

山の尾根上に沿って山上の本丸石垣まで続きます。 ここも発見当初より木の伐採が進んで、少しずつ綺麗に見えるようになってきました。
山上まで登ってきました。 大小2つの天守閣がそびえていた本丸石垣です。
登ってきた側から本丸を反対側に少し降りて水手御門腰郭の発掘調査現場です。

今回の発掘調査では水手御門腰郭を巡る石垣が初めて確認されました。
鎬積(しのぎつみ:鈍角に曲げる積み方)の石垣。

崩落した石垣の補修は無く破城行為が行われたと推測されるとのこと。
鎬積から間隔を置いた斜面を掘った先にも石垣。

江戸時代の絵図の通りに水手御門腰郭を巡る石垣が横に続いてることが分かります。
以上で米子城発掘調査現地説明会は終了です。 現地解散。 大変ありがとうございました。
再び本丸に戻ります。
本丸に咲く桜は個体差あれど城下の公園の桜よりも開花が進んでいました。
山頂の本丸、大天守台跡からは広く360度パノラマ景色が望めます。
城下には米子の街と遠く先に日本海。

すぐ眼下に番所跡。 三の丸の球場も見えてます。
こちらは遠見櫓跡と米子港の方向。
最後に米子港から米子城の遠景をバックに愛車を撮影して〆としました。

ありがとうございました♪
少し肌寒い日だったので体を温めようとラーメンを食べに行きました。

この頃には雨になってます。 発掘調査現地説明会のときには雨が降らずに良かった。
何気に初めて訪れるラーメン店です。

牛骨ラーメンが主力商品。
牛骨野菜ラーメンを頼んでみました。

ラーメンは塩か醤油の味が選べて醤油をチョイス。
丼ぶりを回して別角度から撮影。 野菜盛り盛りです。

美味しく頂いて体も温まりました。 どうも、ご馳走さまでした(^^♪
Posted at 2020/03/29 20:41:43 | |
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