ってことで、競馬と盛り場情報はかなり正確でも政治の話に於いては1mm
たりとも信用のおけない某夕刊紙のインタビューに当事者が得意げな顔で
応じている件について・・・(;´Д`)
以下はYahoo!さんのニュース記事を転載します。
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誹謗中傷も “車いす搭乗拒否事件”木島英登さんが振り返る
昨年6月、奄美空港で航空会社バニラ・エアが身体障害者の搭乗を拒否したことが大きな話題と
なった。その当事者こそ、木島英登さん(44)だ。あれから7カ月。今、どうしているのか?
■ネット上には読むに堪えない罵詈雑言
「正直言って、よもや、あんな騒動になるとは思わなかったんです。なんせ朝日新聞が記事にした
のが6月28日ですが、トラブルになったのは、その3週間以上前の6月5日。しかも、直後にバニラ
から謝罪され、奄美空港では車いすでも搭乗できる設備を整えることが決まっていましたからね」
大阪・豊中市のカフェ。愛用の車いすで現れた「木島英登バリアフリー研究所」木島代表は、こう
言って苦笑いした。
木島さんを全国区にした“搭乗拒否事件”は、友人5人と奄美島へバカンスに訪れた際に起きた。
往路・奄美空港到着後のタラップは同行者に車いすを担いでもらって降りたが、帰路では「担ぐのは
違反、歩いて上らないとダメ」と強く制止されたのだ。
「仕方ないので昇降階段に座り、一段一段、両手でお尻を持ち上げて強引に上りました。取り残され
ても困るし、帰るための最終手段でした」
わが国では、一昨年4月に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が施行され、
官民一体となって2年後の東京五輪・パラリンピックに向けてバリアフリーを積極的に推進しようと
している。
「それなのに歩けないことを理由に搭乗できないのは差別じゃないか? というのが私の主張
です」
木島さんは、過去に160カ国を訪問し、200カ所以上の空港を利用している車いす旅行の第
一人者。搭乗拒否を受けたのは初めてではない。
「でもその都度、航空会社や空港の担当者と話し合い、理解してもらいました。だから、バニラの
ように頭ごなしに拒否するのは悲しく感じ、繰り返して欲しくないと異議申し立てしたのです」
記事掲載の反響は大きかった。
「マスコミ各社からの取材依頼の電話もさることながら、イタズラ電話や嫌がらせのメールは数え
きれないほど。中にはウイルス付きの迷惑メールまで送りつけられる始末。その対応にしばらく
忙殺され、本業にも影響が出ました」
SNSには「クレーマー」「プロ障害者」との中傷が相次いだ。HPには当時送付された批判メールも
アップされているが、読むに堪えない罵詈雑言が並ぶ。
「差別的な人も含め、いろんな考えの方がおられます。その現実を可視化することも大切だと考えて
います。障害者だけでなく、社会全体で理不尽なルールは正して欲しい」
■「行きたいなら来れば」に目からウロコ
木島さんが身体障害者になったのは、高校3年だった1990年4月。ラグビー部の部活中だった。
「密集プレーの際に下敷きになりまして、みぞおちの裏っかわ、第11胸椎を脱臼骨折。脊椎損傷に
よる両下肢機能完全麻痺で歩けない体となりました」
治療とリハビリにそれぞれ半年かかり、1年後に復学。1浪して神戸大学発達科学部(現国際人間
科学部)へ進学し、夏休みにアメリカ・カリフォルニアでホームステイ。語学学校で運命を変える経験
をした。
「ある日ハイキングに行くことになり、最初はちゅうちょしたんです。日本で『設備がない』『前例が
ない』と断られたことが頭をよぎったから。ところが、先生はいとも簡単に『行きたいなら来れば』と。
目からウロコが落ちました。本人の意思を尊重し、どうすれば可能になるか? を考えたらいいと
教えてくれたんです」
卒業後の97年4月、電通に入社し、2002年に1年間休職して米カリフォルニア大バークレー
校へインターンシップ留学。帰国の半年後、米国での経験を生かすべく退社して木島バリアフリー
研究所を設立した。
「専門は、観光バリアフリーです。車いす生活27年の経験とバリアフリー先進国での知見を生かし、
障害者が自由に出歩けるインフラの整備やソフトの企画、提案、講演を行っています」
海外でのシンポジウムや会議への出席、講演依頼も多く、昨年だけでも約1カ月のスペイン、
西アフリカ諸国旅行を含めて22カ国を訪問、国内外で飛行機に44回搭乗した。
「企業だけでなく、学校や地域での講演も大歓迎。ご依頼、ご相談はHPに記載してあるメアドから
ご連絡下さい」
既婚。子供3人と5人暮らしだ。
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そもそもこの話・・・
バニラエア側は5日前までに車イスで利用する旨を言ってくれれば対処する
って話なのに、その手順をすっ飛ばして当日になって空港のカウンターで
"オレは車イス利用者様だぞっ?!"とやらかした結果、そんな目に遭った
わけで・・・
件の木島英登氏に対しては全く同情出来ないし、
逆に急でかつ無理な対応を迫られたバニラエアや
奄美空港に対して大いに同情してしまいます。
しかも木島氏はうっかり忘れてって類ではなくワザとで、それも複数回に
亘って同じことをやらかし、航空会社に何か落ち度があればギャンギャン
騒いで講演のネタにしてやろうと考えているんだからタチが悪いし・・・
"プロ障害者"と蔑まれたなんてボヤいているよう
だけど、そりゃ当たり前だっつーの!(・Д・)
”障害を持っている人でも自由に旅が出来れば良いな♪”って目的で、自ら
いろんなアクションを起こされているようですが・・・
その意気や良しとしても、無理を通すような事ばかりしていると、却って
木島氏と同じく障害を持ち、車イス生活を余儀なく送らされている人々に
とってはいい迷惑じゃないか?と思うんですが、きっと木島氏にはそれが
分かってないんだろうね( ;´Д`)
で、もう一つ・・・
木島氏が現在のような状態になったのは、高校時代に(当時所属していた)
ラグビー部で練習していた時に負った怪我が元なので、高校時代に多少なり
ともラグビーをやっていた自分としては大変気の毒と思いますが、ラガー
マンであればフェアプレーを重んじて然るべきなのに・・・
この御仁はアンフェアなことをやらかしてるん
ですから、ラガーマンの名折れじゃあるまいか?
いずれにしても本件はなんか腹立たしい話でしたね。
この記事は、誹謗中傷も “車いす搭乗拒否事件”木島英登さんが振り返るについて書いています。
Posted at 2018/01/19 22:14:01 | |
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