
プロゴルファーのセベ・バレステロス似で、三菱ギャランに乗っていた先輩の続編です。
後輩の面倒見がよかった先輩を象徴するエピソードとして、CDの写真を掲載しました。いずれも、先輩のセレクションで、この4枚があれば、どんな女性とデートしても大丈夫とのことでした。今夜こそ、というときには、SADE(シャーデー)を流せとの付言もありました。確かにSADEは、今聴き直しても、ムーディーでエロいです。スローテンポなサックス等、どこかの特殊な劇場で使われていそうな雰囲気があります。
私がまだ駆け出しに生毛が生えたくらいの若手だったときに、先輩は30代の中堅社員でした。別の出張所から先輩が転勤してきたのですが、今なら訴訟必至のひどいパワハラを受けていたことを知りました。先輩を虐めていた鮫島所長(仮名)は、顔を合わせるたびに、悪罵を飛ばしてきたそうです。
「売れない中堅にいてもらっても困るんだよね。辞めるかい? ソラばっかしてるんじゃないよ」
「まだ会社にいるの? 辞める決心つかないの? 営業できてないんだから日当は全部カットだよ。いいね?」
「ガソリンと駐車料金の無駄だから営業車いらないんじゃないの? 来月からそうするかい?」
ソラとは、競走馬が騎手に鞭を入れられても全力で走らない駄馬を意味しています。
必然的に先輩の考課は最低点となり、同期では、周回遅れ級の最下位だと話していました。お前には、俺のようになって欲しくないんだ、とよくたしなめられました。当時の私にも折り合いがよくない上司がいて、何度も衝突しかかっていました。不服従反抗の引き金を引こうとすると、そのたびに先輩の手が銃口を押さえつけていました。
その後、先輩は持ち前のバイタリティで顧客の心をつかみ、指導力も発揮されて、出張所No.2格のチームリーダーに就任しました。
そこに部下としてやってきたのが、役職定年となった平社員待遇の鮫島氏でした。しかも、先輩と同じ独身寮へ入寮するという話でした。
この人事には仰天しました。鮫島氏を辞めさせるための異動という説が有力でしたが、営業本部が、単に昔の遺恨を知らなかっただけだったのかもしれません。
本社勤務だった私は、直ぐに先輩と連絡をとりました。
「先輩、やり返しますよね。協力させて下さい。情報なら取れますし、なんでも言って下さい」
「有難うな。でもな。もう昔の鮫島さんではない感じなんだよ。精神病んでるぽくってさ」
「甘いですよ。大切な20代をぶち壊されたんですよ。辞めるまで追い込むべきでしょう」
「そうだな。確かに許し難いね。暴挙暴言の数々は一生許さねえよ」
このようなやりとりがあった数週間後、先輩から電話がありました。
「俺さあ、疲労の限界に達して、この間の金曜日、少し早く寮に直帰したんだよ。一応18:00過ぎたのを見計らって大浴場に行ったらさあ、もう湯船に浸かってる奴がいてよう」
「まさか」
「お前もそう思うだろ。ところが、鮫島だったんだよ。湯加減いいぞう、とか話しかけられてよう。参ったよ」
先輩は、完全に拍子抜けしてしまったそうです。鮫島氏が死んだふりをしているだけという忠告も周囲から聞いていたようなのですが、あまりの覇気のなさに戦闘意欲が消えてしまったそうです。
先輩は強者に立ち向かっていくのを好み、弱者には優しい方でした。かつての鬼上司も弱れば弱者と変わりないという感覚でした。
こういう人間性ですから、鮫島氏の呪縛がなくなってからは、とんとん拍子で出世され、台湾支社の事務所長に就任されました。専属の運転手が付いている、子会社の社長待遇です。
ギャランでは、よく荒い運転をしていましたが、仕事では、煽り運転をされた憎き相手でも手助けをする温情の塊のような方でした。
Posted at 2022/08/08 08:31:49 | |
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