
――1学生1アイドル。
これは、高校時代の実体験に基づいて考案したオリジナルの格言です。男子校でしたので、必須科目の如く、各人が好みのアイドル像を抱いていました。菊池桃子さんのラジオ番組にエピソードを付けて投稿したところ、「1学生1アイドル」がうまくツボにはまり、地声で笑ってくれました。
1980年代は、歌謡曲が全盛で、実力派シンガーの中には、新興のアイドルソングと一緒にベストテン形式で比べられるのを拒絶していた方もいました。一番印象に残っているのは、呉田軽穂こと、松任谷由実です。「松田聖子を筆頭にしたアイドル達を自分の天敵だと思っていましたから」と形容していました。なのに、最終的には、ご主人の仕事仲間であり、日本を代表する作詞家になっていた松本隆を通じて、聖子さんの曲を書く歴史的オファーを引き受けました。「天敵というマイナスの意識よりも、松田聖子に対する興味がうわまわってしまった」と述懐していました。当時の聖子さんのキャッチフレーズは、「抱きしめたい! ミス・ソニー」でした。
自分の「アイドル狂遺伝子」にスイッチが入ったときの状況は、今でもよく覚えています。同級生のミツル君(仮名)の快挙が、世界観を変えました。中森明菜のラジオ番組で、ハガキを読まれたのです。最後に、「ミツル君、おやすみなさい」と色っぽい口調でいわれ、驚愕しました。翌日の学校で大騒ぎになりました。
中森明菜は、「ちょっとエッチなミルキーっこ」がキャッチフレーズでした。「少女A」や「銀河伝説」といった男子高校生のたくましい想像力を直截的に刺激する路線の持ち歌で耳目を集めていました。その最中でしたので、余計にラジオでの声が桃色に感じられたのだと思います。
刺激を受けたのは間違いありませんが、目覚めるところまでは到達しませんでした。自分の中にあるアイドル狂サプレッサー遺伝子が、「ちょっとエッチな」に傾くのを抑止していたのだと思います。
ほどなくして、アイドル狂遺伝子が全開になりました。季節は、11月でした。よく晴れた夕焼けの美しい放課後のことで、友人の自転車を借りて、書店へ急行したのを覚えています。世界選手権10連覇の競輪王だった中野浩一が憑依していたはずです。周囲の車両や歩行者が自分をよけているように感じるほどの鬼走りをしました。
書店に入り、「It's Real Fresh 1000%」の新人「菊池桃子」が表紙を飾ったその雑誌を手にした刹那に、あらたなアイドル狂がこの世に誕生しました。昆虫がサナギを経て羽化するのと同じ経過で、成虫になったわけです。
――そのことを書くのに、これほどの長い前置きがいるのか、という話に展開します。
制御性T細胞(サプレッサーT細胞)の研究業績により、坂口志文先生が、ノーベル医学生理学賞を受賞されました。日本人として、たいへん誇りに感じる快挙でした。
免疫は、非自己に対して強ければ強いほどいいわけではなく、ときに自己免疫疾患のような好ましくない病変に至ることもあります。サプレッサーの概念は、車でいえば、アクセルを踏んでいる最中に、神業のタイミングでリミッターが作動する感じでしょう。
なにはともあれ、ミルキーっこに傾きかけたところを制御性アイドル狂細胞が作動し、桃子さんのデビューまでのラグを埋めてくれたことになります。
つい最近知ったのですが、「ミルキー」には、「美新人」という意味があり、「美しい」と「ルーキー」を合体させた造語だったそうです。「そんなの血気盛んな当時の高校生に分かるわけないよ」という嘆きで締めたいと思います。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、桃子の中で眠っている遺伝子がもう直ぐ目覚めて、俺との恋が始まるんじゃないの~。
今までの君は間違いじゃない。
君のためなら、七色の橋を作り、河を渡ろう。
Posted at 2025/11/30 11:23:20 | |
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