
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
英語教師をしていた夏目漱石が、「I love you」を「我君を愛す」と訳すのではなく、「今宵、月がきれいですね」と指導したという逸話があります。美化された都市伝説との話もありますが、漢詩や文学に通じていた漱石らしさ満点で、史実としての真贋は、必ずしも重要ではないと考えています。
この訳しかたには、二人で月を眺めている風景が伴います。お互い見つめ合うほどの深い仲であれば、月は視線に入ってきませんし、むしろ月明かりを邪魔に感じるかもしれません。月を眺めて視線をごまかしている気まずさや恥じらいのような空気まで、想像力を描きたてられるところがなかなかいいです。
八神純子は、1979年のヒット曲「想い出のスクリーン」の中で、「愛しているのなら、愛していると、言葉にすればよかった」と歌いあげています。いつの時代も、「愛している」とは言いにくいものだったようです。
近年印象に残っているのは、サッカー日本代表の長友佑都です。2016年に、「彼女は、僕のアモーレ」と宣言しました。当時、セリエAインテルの主力選手でしたので、イタリアとの遠距離恋愛を表現する見事なフレーズだったと思います。流行語大賞の10選にもノミネートされていました。
私自身は、まだ20歳そこそこの頃に、2つ年上のカノジョに衝撃的なことをいわれたことがあります。「あなたのことは好きだけど、愛してるとまではいえない」という話でした。「愛してるよ」と自分が口にした覚えはありませんので、日頃の振る舞いから真剣に愛されているのを感じてくれていたのでしょう。ところが、それが重荷になり、愛情を等価で返せないことに苦しんでいたのだと思います。
愛情が足りないという理由で失恋し、その直後にできたこの新しいカノジョからは、愛情が強過ぎると指摘される苦しい時期が続きました。コンプレックスが固着寸前の状態でした。
ここへ一つの解を示し、苦悩から救ってくれたのが、1996年に発表されたMr. Childrenの「名もなき詩」でした――愛は、きっと奪うでも与えるでもなく、気が付けばそこにあるもの。
この曲は、「愛という形のないものを伝えるのは難しい」と続き、「だから、この名もなき詩を君に捧ぐ」で結ばれています。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、桃子は俺のアモーレなんじゃないの~。
「アモーレ」と表現したのは、あやかりたい一心のゲン担ぎです。
Posted at 2024/10/27 07:56:09 | |
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