
スゴく書くのが時間が空いてしまったノッシーでございます。
前回のブログで書きましたように、かなり切羽詰まった状況で、RJCの会長さんや理事の方々にも頭を下げられ、ただいまカービートの発売日を伸ばして、RJCのブリテンというRJCの雑誌、RJCのカーオブザイヤー特集号を制作しております。
そのくらい、自分ではイッパイ、イッパイの状態です。
中央高速道の笹子トンネルの崩落により、尊い命を失われた方々、御冥福をお祈り致しますm(_ _)m
本当は今日も作業をするため、パソコンに向かおうと思っておりましたが、朝から評論家と言われる人たちが、中央高速道の笹子トンネルの崩落は「老朽化が原因」と言って片付けようとしているのを見ていて、スゴく腹が立ち、記録を残しておきたいと思い、時間を裂きました。
もっと言えば、専門家のくせにバカかと言いたい…
だったら専門家として今まで何をやってきたんだ…
無責任にテレビなどに出て能書き垂れるなら、新橋の飲み屋で飲んでいるサラリーマンだって言える…
それだったら、何で市民運動的なカタチで訴えてこなかったんだ!!
「老朽化」というのであれば、東大寺の大仏も老朽化で潰さなければならないし、姫路城や名古屋城なども、「老朽化」で無くせば良いという結論になるのではないか?
高度経済成長期に建てた東京タワーなどは最たるもの…
専門家だったら専門家らしく、「オレはこういうことをしてきて、こういう活動してきた。その観点から言えば、こうです」という言い方をなぜできないか
単純に老朽化したから、建て替えてしまえば良いような言い方をするのか?
それにもっと、メンテナンス方法や長持ちする方法を教えてこなかった理由は?
また僕もマスメディアの世界に身を置いて、18年になるので裏側を良くわかりますが、自分の意志に近い専門家にもの語らせて、ミスリードするやり方は良くないでしょうに…
色々な意見を織り交ぜて、何で皆で検討する方法を考えて、ベターの方法を模索しないのか?と
色々と言いたくなってしまいます。
もっと言えば、だから「メディアは信用できない」と言われてしまうでは?
さて今回、RJCのブリテンというRJCの雑誌、RJCのカーオブザイヤー特集号を編集制作のに、僕はRJCに対して「お金をくれ」とは言っておりません。
昨年もRJCのブリテンというRJCの雑誌、RJCのカーオブザイヤー特集号の編集制作するのに、お金をもらうどころから、率先して身銭を切って編集制作に携わりました。
本音を言うと、そんな余裕もないのですが…
自分でも出来は不出来だけれども、RJCの雑誌、RJCのカーオブザイヤー特集号の編集制作に率先して関わった代わり、
RJCの会長さんや理事の方々、RJCの諸先輩の方々との強い絆が生まれ、今、前回、前々回と勉強会を開催できているのも、この頑張りがあるから…
そして、それに賛同してくれて、「お金は儲かってから良いから、協力させて下さいよ」と言って頂ける方々も僕の目の前にイッパイ現れて、
僕が苦しくて、仕方がない状況にあることをわかって、周囲で必死に汗を掻いて動いて頂いたことにより、さらに感動が生まれた…
一緒になって泥んこになって格闘してくれる同士ができたじゃないか
そう言って頂いたRJCの先輩方もいらっしゃってくれました。
感動は感じて動いたところにしか、生まれないと、僕は改めて思いました。
でも、こんな時だからこそ「1人は皆のために、皆は1人のために」何をすることによって、自分を含めて幸せになる方法を模索する…
そのためには実績を作らなければならない、そう思って12月20日に第3回目の勉強会を行うことに決めました。
第三回 車ニ無ニの会(勉強会&懇親会)
・日程 12月20日(木) 18時30分~21時00分
(受付開始時間/18時より)
・テーマ 「日本の発展とクルマ文化の遍歴」
講師…武井道男 氏(自動車ジャーナリスト)
プロフィール詳細はこちら
http://www.npo-rjc.jp/member/detail.php?id=rjc041
前回の反省を踏まえて、一般財団法人 日本学力検定協会 の理事長である塩野時雄さんにも協力して頂き、会場などを準備して頂きました。
・場所は
新宿区西新宿8-4-2 野村不動産西新宿ビル4F(ラーニングエッジ株式会社)
※武井道男 氏のプロフィール
1954年学習院大学理学部物理学科卒業。卒業後に東大航空研究所で超音 速空気力学研究に携わる。1960年プリンス自動車入社。プリンス自動車において、R380/381というレースカーの空力開発主任を勤め る。プリンス自動車と日産自動車合併により日産自動車に転属。そして日産自動車車両実験部S30プロジェクト主管を担当する。 1974年には欧州技術事務所長、欧州スポーツコミッティ日本代表となり、この時代に構築したポルシェ社開発研究陣と の間の関係は 今日に至る。1978年日産自動車の車両実験部主管、1986年 日産自動車の顧問となり、1988年退社。自動車研究者ジャーナリスト会議(RJC)の会長も経験し、今でも現役として自動車の空気力学や操縦安定性、自動車開発新技術などの分野を研究、自動車ジャーナリストとして活躍中である。
・内容について
小学生から中学生にかけて、太平洋戦争で東京大空襲を経験し、完全に焼け野原になった日本を蘇らせるために、「自分は何になるのが一番なのか?」と自問自答した結果、技術屋になることを決意した武井氏。東大航空研究所などで空力の研究に勤しんだ後、プリンス自動車や日産自動車では、世界中においても名車と呼ばれるクルマの開発に携わり、 日本におけるモータリゼーションの発展に貢献。そして日本は、クルマ大国と呼ばれるようになった。しかし日本の経済発展ともに育ってきたクルマ文化。今日では日本の産業衰退と連動して、クルマ文化も落ち込
む一方。これを打破するには、どのような解決方法を見出すべきなのか? 武井氏の体験談を交えながら、解決方法の手がかりを講義してもらい、ともに考える。
何とかして費用を安くし、将来的に無料でできるようにしていきたい。そのためには、それも説得するために行動を起こして実績を作らなければならない…
僕は辛い…でも、仲間や応援してくれる方々、一緒になって泥んこになって格闘してくれる同士がいる。だから前に進められる。
今日も、どこまでできるかわかりませんが、精一杯、イケるところまで生きたいと思いますよ(^^)
Posted at 2012/12/05 10:27:43 | |
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