というわけで、8月に入りました。
となると、あと3ヶ月もすれば待望のウィンターシーズンに突入するというわけではありませんか!
個人的には夏の10倍冬が好きな私、今シーズンはもう少し滑りに行きたいなぁ。
昨シーズンは結局2回、マウントジーンズと玉原に行っただけでしたからね。
本当は岩原が一番好きなのですが、最近とんとご無沙汰しておりますので初滑りにはぜひ行きたいなぁ。
オッサンボーダーの私ですが、まだまだ頑張るばい。
で、タイトルの件ですが、40年前の苗場で3番目に多かったのがBMWだったんだって、というお話です。
これは最近入手した、実業之日本社発刊の「ブルーガイドスキー」'84年2月号に掲載されていたページであります。
これは'83年10月発行の雑誌のようですから、そうすると'82年から'83年にかけてのシーズンのお話ということですね。
昭和に直すと'83年は昭和58年、私は高校1年生ですね。
高校の課外授業で初めて石打でスキーをやったんだったなー、散々でしたけど。
この頃はまだバブル前でしたが、この雑誌を見ていると案外ファッショナブルというか、アフタースキーの情報も含めて結構青春をエンジョイ(死語)しているような内容になっていますね。
この頃からどんどんスキーブームも盛り上がっていって、そしてあの'87年を迎えるのかと思うとなかなか興味深いというか感慨深いものがありますな。
あのホイチョイの極楽スキーの発刊も、私をスキーに連れてっても'87年でしたもんね、確か。
あの頃のスキーの思い出を話し出すと止まらなくなってしまう世代の私ではありますが、今でも健康にボードを楽しめているのは素晴らしいことだよなぁ、なんて思う次第です。
ま、私は万年初級レベルと自負しておりますが、ゲレンデを上から下まで楽しく滑走出来ればそれで満足です。
話がそれてしまいましたが、このタイトル画像も味わい深いですね。
このBMWは320ですね、5ナンバーですしグリルに320のエンブレムがついているように見えます。
当時このE21型の3シリーズに乗っている人はどちらかというとマニア属性の方かしら、なんて思っていたのですが、どうやらそんなことはなくバブル期の六本木カローラに通ずるものがすでにあったようですね。
苗場という土地柄もあるのかもしれませんが、苗場プリンスホテルとセットで日本で一番ハイソ(死語)なスキー場だったのでしょう。
ホテル前のゲレンデの賑わいも今とは比べ物にならないくらいだったようですし、リフトなんかも今はずいぶん間引きされてしまったということですからね。
この雑誌は苗場以外にも湯沢近辺のスキー場の情報がいろいろ特集されている号だったのですが、今はもうないスキー場も少なからずありますね、浅貝とか。
スキーブームも一時期の低迷期を脱してまた盛り上がりつつあるという話も数年前から出ていますが、それでもバブルの最盛期のようにはいかないんだろうなぁ。
あの狂乱のスキーブームを経験出来たのは決して悪くないですね、リフト待ち、ゴンドラ待ちが異様に長くて大変だったけど。
ということで、やっぱり湯沢のリゾマンが欲しい私です、って何百回目だろうこれ言うの。
ヴィクトリアタワーの高層階が良いよなぁ・・・
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Posted at
2023/08/01 21:47:49