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Note_1143のブログ一覧

2019年11月30日 イイね!

Demio 2019年11月度燃費 (第68回)

Demio 2019年11月度燃費 (第68回)11月も中距離と近場に終始しましたが、10月より悪化しているDPF再生の影響を受け、燃費はタメ息が出る様な値です。









 走行距離  759km
 軽油    32.84L @116
 燃費    23.1km/L
  *DPF再生はこの11月だけでも何と7回も発症。
   DPF再生始期のキロ数でカウントしますが、間隔は100km、135km、
   118km、103km、104km、108km、114km です。

  販売店で昨年2月1日付けで発表された「予見性リコ-ル」の適用の可否を
  尋ねましたが、エンジンの警告ランプがつかない状態では実施しない旨の
  返事がありました。

  私に残された手は、市販の添加剤しか無いのでしょうか?
  余り期待はしないのですが、PRO TEC社の「ディ-ゼルDPF再生の補助・
  洗浄」に効能があるという製品を買い、ダメ元で入れてみますが・・・
  (先ほどamazonから配達されました)





  
  マツダさん、何とかなりませんか????

  
Posted at 2019/11/30 15:09:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | Demioの燃費 | クルマ
2019年11月16日 イイね!

ル・マンを走ったレ-シングカ-達

前回に引き続き、ル・マンを走ったレ-シングカ-をご紹介します。
ポルシェのルマン仕様/ロングテ-ルは再度時系列に沿い、アップします。

1966年(昭和41年)

ウィナ-のFORD MKⅡ、ドライバ-は当時のF1ドライバ-のトップクラスであるB.マクラ-レンと同じオーストラリアンのC.エモンです。今では想像も出来ませんね。C.エモンはフェラ-リのNo.1ドライバでしたが、不運にも一度も優勝せずに引退しました。私の中での不思議な出来事です。






ポルシェ906(ロングテ-ル仕様)






1967年(昭和42年)

FORD MKⅣ、4位入賞。ドライバ-は昨年の優勝者のB.マクラ-レンとアメリカのオ-ルマイティ・ドライバ-のM.ドナヒュ-です。M.ドナヒュ-はインディやストックカ-レ-スで活躍したアメリカを代表するドライバ-の一人でしたが、事故で頭部にケガを負い残念ながら亡くなりました。






ポルシェ907(ロングテ-ル仕様)
1967年は907/6(2.0L)が総合5位に入賞。また翌年はプライベ-トエントリ-の907/8(2.2L)が2位に入賞しました。






1968年(昭和43年)

ポルシェ908(ロングテ-ル仕様)
予選は1~3位を独占しまたが、残念ながら優勝はFORDにさらわれ、3位に留まりました。






1969年(昭和44年)

ポルシェ908(ロングテ-ル仕様)
この年も最終ラップでFORDに競り負け2位となり、念願の優勝には手が届きませんでした。
この年の驚きは、優勝したFORDのドライバ-/ベルギ-人F1ドライバ-のJ.イクスが、ルマン式スタ-トで全車がスタ-トした後に充分安全を確認し、最後尾のスタ-トを敢行しました。結果的にこれがスタ-ト直後の周回に起きたクラッシュ事故に巻き込まれず、その後全てのクルマを抜き去り、最終的に24時間レ-スにも拘わらず、2位に僅か130mの差をつけて優勝しました。






1970年(昭和45年)

ポルシェ917 ルマン仕様のロングテ-ルでは無い、通常仕様も出場しました。
917になりワークス単独チ-ム体制から、ガルフやジョン・ワイヤ-とタッグを組み、ボディ-カラ-は白からスポンサ-カラ-を纏うようになりました。






1973年(昭和48年)

地元のMatra社もF1のみならずルマンにも挑戦し、優勝を遂げました。ボディ-カラ-は流石フランス車なので、フレンチブル-です。






年代は飛び、2001年になります。

アウディもルマンに挑戦し、優勝を飾りました。ドライバ-は3名体制です。
そういえば、1950年代には一人で走りきろうというドライバ-もいたんですよ。






日本からはマツダのロ-タリエンジン車が挑戦を重ね、優勝もしました。
日産も挑戦、その後はトヨタも挑戦しました。

2017年時のトヨタTS050です。






後楽園にあるトヨタ本社には2018年仕様の実車が展示されていました。
その後優勝を勝ち取って今までの努力が報われ、嬉しい出来事でした。


ボディはオ-プンより屋根がついたクロ-ズドの方が個人的には好きですが、皆さんはどちらの方が好みですか?






Posted at 2019/11/16 17:34:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | レ-シングカ- | クルマ
2019年11月09日 イイね!

中学生前後の頃の想い出深いクルマたち

前回に続き、ヤフオクで落札出来た私の想い出深いクルマを紹介します。

何と言っても我が家に初めてきたクルマは「パブリカ700」、昭和37年だったかな。色はホワイトだったけど、ヤフオクで落とせたのはこちらの色です。当時でも余り見かけない色でしたが、今見ても意外に可愛い色だと思いまし、アクアでも似たカラ-が復活しました。当時の定価は確か、389,000円(スタンダ-ド)の様な気がします。






その頃トヨタの乗用車のラインナップは上級車がクラウン、中級車がコロナ、大衆車がパブリカの3種のみでした。
クラウンが発売された当時は曲面ガラスの製造が難しく(コストが高い)、前面は2分割、後ろは3分割でした。ウインカ-はドアの間のピラ-から、腕木の様に出るという極めて分かり易い構造でした。小学生の頃の記憶にハッキリ残ってます。






パブリカが700ccから800ccになり、何故か日本では800ccのクルマが結構発売されました。日本人には「800」という数字が好きなんでしょうか・・・
これ以外にも、スズキフロンテ800、その後はホンダS800もありました。

三菱コルトも最初は800からスタ-ト、2スト3気筒エンジン、デザインもファ-ストバックという三菱らしからぬ時代の先端を走ってました。






マツダファミリアも800からスタ-ト。こちらは4気筒4サイクルです。既にキャロル600が有りましたからね。






ルノ-も好きなクルマでした。日本では日野ルノ-でしたが、エンジン音が他のクルマとは違う独特の音色で、今でもその音を聞けばすぐにルノ-と分かります。こちらは750ccでしたね。モデルは左ハンドルのフランス製がベ-スです。






当時は、トヨタとニッサンが2大メ-カ-でした。現在のニッサンの凋落が寂しい限りです。ニッサンも上級車はセドリック、中級車はブル-バ-ド、大衆車はやや遅れてサニ-というラインナップでした。
セドリックにはバンではない、ワゴンがありました。






ブル-バ-ドは通称柿の種の後継車のP410が独特のデザインで発売されました。販売ではコロナに苦戦しました。






ちょっと後になりますが、日産初のフロントドライブ車のチェリ-です。後方の窓のカ-ブが独特で、先進的なデザインでした。特にチェリ-・ク-ペも今見ても飽きません。






いすゞも乗用車に進出しました。ヒルマンで乗用車造りのノウハウを習得し、何と上級車マ-ケットに果敢に挑戦したクルマがベレルです。しかしながら、販売網がトラック主体で中々売れず、最後の方は3台100万円で投売りしたという悲しい噂まで出た位でした。






ホンダS500も稀少価値のあるクルマでしょう。軽サイズの360も有りましたが、5ナンバ-は600となり、更に800までになりました。






取りあえず10台ですが、想い出深いクルマをご紹介させて頂きました。

皆さんにとっての想い出深いクルマは何でしょうか?
Posted at 2019/11/09 09:12:04 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧車 | クルマ
2019年11月04日 イイね!

忙中閑ありではなく、何とか捻りだしました(^^♪

台風19号による床上浸水後、1Fのリフォ-ムや水に浸かった趣味の本等の処分で慌ただしい日々を送っています。

先週定期通院しているクリニックで血圧を計ったら、上が140位(普段は110台)を示し、先生からやはりストレスがあるんですよ・・と言われました。


8月頃から1/43のミニカ-に少々嵌りかかり始め、ヤフオクにて収集しました。今回の予期せぬ事により、これ以上増やさないことにしましたが、短期間に29台も集めてしまいました。

その中から、昔から好きだった『レ-シング・ポルシェ』をご紹介します。
特にベ-スがホワイト・ボディで、空冷エンジンの時代が好みです。


「906」いわゆる「カレラ6」の登場は衝撃的でした。
第3回日本GP(1966年/昭和41年)に滝進太郎がプライベ-トエントリ-で初めて日本のレ-スに登場させました。当時CGの三和自動車の広告に、売価1100万円という正札があった様な微かな記憶があります。
翌年第4回日本GPでは3台の「906」がエントリ-し、生沢徹が優勝しました。そのモデルは中々落札出来ず、これは1966年/タルガ・フロ-リオを走ったものです。






ポルシェはル・マン24時間レ-スに毎年出場してきましたが、高速コ-スということで、空力に優れたロングテ-ル車を作り出場してきました。「906」もこの様なボディでル・マンに挑戦しました。






番号は飛びますが、「906」を改良した「910」の流麗なスタイルも好きです。
第5回日本GPでは生沢が乗り、5.5Lエンジンの大馬力車/R381に続き2位に入りました。当時130Rで見ていましたが、目前で生沢が珍しくスピンをしたことを昨日の様に覚えています。






こちらはADAC1000km出場車で、当時プロトタイプ・クラスは大きく「P」の文字が掲げられていました。






番号は少し戻りますが「907」で、細かく分類すると空冷水平対向6気筒の2Lエンジンの「907/6」と空冷水平対向8気筒の2.2Lエンジンの「907/8」があります。何といっても、デイトナ24時間レ-スで3台の「907/8」が1~3位まで独占したのが、この車の最大の華やかな出来事でしょう。実車は過渡的な位置づけで早々に「908」にバトンタッチしました。勿論ル・マンにも出場し、「908」よりも上位の2位でフィニッシュしたこともありました。






いよいよ本命の「908」の登場です。
基本デザインは踏襲していますが、タイヤが13インチから15インチに大型化、空冷水平対向エンジンは3Lに拡大、SOHCからDOHCにと改良され、総合優勝を勝ち取れる競争力をもちました。

ル・マン仕様はロングテ-ルですが、通常のサ-キット向けのショ-ト・ボディに加え、タルガ・フロ-リオにはオ-プンも有ります。
所謂レ-シング用のサ-キットではない、一般公道ベ-スのタルガ・フロ-リオにこんなレ-シングカ-で走るなんて、驚き以外の何物では無いですね。V・エルフォ-ドの様にモンテカルロにも出場出来るドライバ-が優勝という素晴らしい成績を収めました。















最後は「917」です。
5L以下で25台以上生産する条件を目指し、開発されました。エンジンは当初は空冷水平対向12気筒の4.5L、後半は5Lまで拡大されました。最後の空冷エンジンのレ-ス車ですが、HONDAがRA-302で空冷エンジンを手放したことに比べ、結構長期間空冷エンジンに拘りつづけました。

ルマン仕様のロングテ-ルもありますが、意外にもショ-トテ-ル車でル・マンに出場し優勝も飾りました。また、ボディ塗色も白ベ-スからスポンサー企業のカラ-となったり、小排気量車の繊細さを感じなくなり、これ以降のレ-シング・ポルシェは余り興味をひかなくなりました。






以上、簡単にまとめてみました。











Posted at 2019/11/04 16:01:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | レ-シングカ- | 日記

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2024年3月に Note X e-Power(E13)に突然乗換えました。 ナンバ-は亡き父が60年前に初めて買った「パブリカ700」に合わせて「1143」...

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