こんばんは(^^)/
今宵は、『GENERAL STORE RAILYARD』JR東グループ運営のショッピングモールへ8/16に注文していた『ダイヤエース 時刻表復刻版 43年9,10月号』が届いたお話でも♪
昭和43年10月、戦後4回目の白紙ダイヤ改正月とその前の月の時刻表復古版です。
『ヨン・サン・トオ』 当時の国鉄はどんな感じだったのでしょう。
東北本線、上越線が全線複線化完了しました。
最高速度の120㌔化を行ったのもこの頃です。(北陸本線は米原~金沢間にとどまる)
👆 今の北海道の地図と比べてみてください。
隅々まで張り巡らされた鉄道路線。
蒸気機関車は旅客で6%、貨物で38% 貨物ではまだ三分の一以上もの列車で健在なんですね。
👆七尾線に準急がいました。さすがに末期、全国でもわずかの生き残りです。
停車駅は急行と変わらないけど、穴水から準急になっています。距離を100㌔以内にするためですね。
国鉄から準急列車が静に消滅されてゆきました。
末期の準急って走行距離100㌔以内の列車とされていたのですね。
👆 これは東京発の列車群、まだ新幹線が新大阪までなので東海道本線の急行 も健在です。
そして列車の相性が整理されました。
似通った区間を走る列車はできるだけ愛称をまとめ、
昼行、夜行特急は別愛称とするも、急行は同一愛称に。
そして多本数列車には発車時刻順に何故か「第一、第二」「1号、2号」二種類の区分があったのですが、これを「1号、2号」に統一されました。
☝ これは改正前、43年9月の北陸本線です。「第一雷鳥」「第二雷鳥」が
誇らしげです。
東京(上野)への夜行急行としては、福井発の「越前」金沢発の「黒部」が信越本線経由。金沢発上越線回りの「北陸」と3本ありました。
急行「黒部」は昭和36年から43年まで活躍した夜行列車です。
☝ 昼行列車は当時まだキハ82の信越本線経由特急「はくたか」と
客車急行「白山」が、
そして東京発米原回り金沢行で夜行の急行「能登」がありました。
大阪へは昼行での2本の雷鳥、急行は富山までの「立山」が2本、金沢までの
定期で「加賀」が1本、青森行の特急「白鳥」と新潟行きの急行「きたぐに」、夜行としては富山までの「つるぎ」と「金星」そして青森行きの急行「日本海」が頑張っています。
☝ これは「ヨン・サン・トオ」後のダイヤです。定期で「雷鳥」が3号までになりました。
「日本海」がブルートレイン特急に、急行「きたぐに」があとを継いで大阪~青森間の
夜行列車に、新潟まではDC急行「越後」が受け持つことになりました。
大阪方面の夜行としては4号までになった「立山」が電車で、「つるぎ」が寝台急行として走りました。
「金星」の名前は583系で 名古屋駅 - 博多駅 電車寝台 として表舞台に返り咲くことになりました。
高山本線は名古屋方面へ夜行も走る幹線でした。当時路線状態のよくない高山本線を.キハ55やキハ58の夜行ですから、さぞ厳しかったと思われます。
新形式の特急車両としては583系、485系、そしてDCの181系、高速貨物電気機関車としてEF66が新たに登場しています。
昭和43年と言えば私は小5、消えていった列車が寂しかったのを覚えています。
ギャランΣで通ったダイエー。 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2023/04/11 06:18:17 |
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