またしても観音様。
ここんとこちょっとだけ
調子は良くない。
「いつも良くないじゃん」
というなかれキミ。
、んなもんで1つの要因として解決すべく先日からようやっっと歯医者に行けた。
大老に「はよ来ないかんやないか」と怒られ怒られながらも行くことができなかったのだ、やっと行ったら怒られてショボン
歯も、うにうにぐりぐりと顎が外れそうなほどいたぶられてショボン
「はい、あーん」
口をあけて治療をうけながら口の中に大老の手が指がうにうにと押し込まれ 「これで治ったらええのう」 などと思いながら。
大老のその手には「使命」とか「義務」ってのがあったと思う。
「嫌やけどしゃあないなぁ凹」 というのも^^;
それでもそんな「手」があるおかげでみんなの歯が良くなったり元気になったり笑顔になれるのだなと感じていた。
次にまた行ったとき治療をうけながら 「あっ しまった」 などといつも聞こえる言葉にややハニワ顔になりながらもじっと黙って治療なのだ、忍なのだ。
あぐあぐと頑張って大きく口をあけながらそんな治療をうけながら
「今、誰かの手が動いてるからみんなが生活できるしいろんなもの生み出せるし安心にもなるのね」
と感じてた。
歯の治療をうけるなら例えば入れ歯なら入れ歯を作る人、それを使って治療する人、治療が終われば安心して期待感を持ちつつ歯磨きする 「手」。
料理をする愛情あふれた「手」 おいしく食べる 「手」
目的地に向かってハンドルを握る「手」 よりよい映像を残そうとカメラを持つ、シャッターをきる「手」
手術があれば執刀医の「手」 ナースさんの優しい「手」
子供を抱っこする母親の愛情あふれる力強い「手」
文字を書いてなにかを伝えたら誰かの気持ちが変わるかもしれない、大切ななにかが生まれるかもしれない、そんなペンを持つ「手」
パソコンでこうしてキーボードを叩いてなにかを伝える「手」
いつもどこかで命あるだれか・なにかの「手」のおかげで自分たちの生活があったり便利だったり治療を受けたり。
美容院に行けば器用な手でカットされ心機一転になるんだろう
エステにいけば (おら行けないけど^^;) プロの手で美肌になれたりするんやろうなぁとも思う
マッサージに行けば力強い手でもみほぐしてもらえる。
神様や菩薩様観音様の「手」も大切ではあるけれど身近な「手」で生活が成り立ってんだなと思うと 「すごいな」 と単純にそう感じたのである。
電気屋さん、水道屋さん、野菜屋さん、、、、、、奥さんだって子供だっておとーさんだって「手」でつながってみんな生きてるんだよな。
みんなの「手」がつながって気持ちもつながって・・・・・・いつも何かが生まれる。
私の手は惜しいけど半分、使えない。 右手はいちおう人並みに動くけど左手はほとんど動かない、って動くけど使えない(^_^;
かろうじてキーボードのシフトキーくらいは押せるけど・・・・・まさか両手で器用に文字入力なんてできない。
それでも運転する時はとても助かる。
手がない人もいるだろう、ほかの部分が手より器用に動いてくれるのかもしれないし誰かの手で支えられているのかもしれない。
こころが大切だよ、とよく言うけど
こころを包む、そんな「手」もやはりなおさら大切なんだろうなと思った。
握手は手と手でこころをつなげるもの。
ショボンなときに誰かの暖かな手で触れられるとなんだか落ち着くもの。
自分はなにもできないけれど、いつか誰か、なにかの「手」になれたらいいなと治してもらった歯を手で丁寧に磨きながら思った。
いつも 「暖かなその優しいふくよかな腕や手に、指に肌にみんなが添えられ触れられ乗せられ守られていますように」
そう祈り願い届けている。
Posted at 2022/03/26 23:37:41 | |
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