「拉致され、あるいはだまされて慰安所に監禁され、毎日大勢の軍人にレイプされた被害者…(中略)このような日本の加害事実にまっすぐ向き合おうとする人は、最近減っているのではないでしょうか?」
(゚Д゚)ハァ?
20万人の少女が日本軍に強制連行されたという従軍慰安婦報道・・・
朝日新聞の今世紀最大の大誤報だが、誤報を認め謝罪っぽいことはしたが、「証言は撤回するけれども、強制性は撤回しない」みたいな感じで、捏造であることは認めていません。
この一連の報道での”主犯”で”国賊”の
植村隆
は相も変わらず講演会等で主張しているようです。
- 慰安婦「強制連行」の否定がヘイトスピーチなのか? 法規制を求める市民団体「宝塚集会」への違和感
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、記事を引用する気になれないが、日本人はいつまでもバカではない。大半の日本人は朝日新聞が作り上げた虚構に気がついています。
- 講演を聞いた宝塚市議の山本敬子氏(65)=自民=は「自己弁護に終始した講演会だった」と指摘。
- 同市の男性は「講演後の質疑応答で植村氏は
『(慰安婦は)おそらく金をもらっていたと思う』 - と答えていた。報酬の存在を知っていたなら、なぜ『強制的に連行された慰安婦』という報道ができたのか」と疑問を呈した。
- 市議の大河内茂太氏(44)=自民=は「植村氏の主張は
『強制連行された慰安婦』の存在に疑問を抱くことは一切許されない
というものに思えた」
と話す。
- 告知チラシに象徴されるように、主催団体が求めるヘイトスピーチの法規制のとらえ方についても
「人種・民族差別に対する批判というよりも、むしろ、形を変えた〝反日闘争〟とすら言える」
と、違和感を覚えたという。
さっさと捏造を認め、余生を国益を回復することに努めたらどうだと思うが、相変わらず自己弁護ばかりのようです。
そして、YahooのTOPでも取り上げられた産経新聞の記事。
- 「慰安婦狩りなかった」朝鮮総督府〝100歳生き証人〟が語る「強制」の虚構、事実ねじ曲げに憤怒
- 「強制的に女性を集めることはなかった」
元朝鮮総督府官吏の西川清さん(100)が慰安婦募集の強制性を明確に否定した。
- 「差別感情はなく、同等という雰囲気だった。今、韓国が日本統治時代はすべて悪業として批判していることは、事実としてあり得ないことだ」
- 総督府江原道(朝鮮の日本の県にあたる道)の官吏になった12年当時職員の多くは朝鮮人。同僚や上司、知事や部長クラスの重席にもおり、分け隔てなく野球をやったり、飲み会をしたりもした。
- 「朝鮮人同士は朝鮮語を話していたし、朝鮮名の職員も多かった。何でもかんでも日本が強制したということはありませんでしたよ。ましてや女性を強制的に慰安婦にしたなんてありません」
- 「併合時代の朝鮮は、むしろ治安が良かった。そして何より、女性を強制的に集めることがあれば、当時の朝鮮人が黙っていないでしょう」
と韓国の主張を否定。
「男性の徴用はあったが、だからといって軍や警察も一緒になって暴力的に連行するということは決してなかった」
と証言する。
- 昭和18年、労働力不足を補うための労働者として男性の募集を担当した。19年9月以降は日本国民と同じく課せられた「徴用」となったが、18年当時は総督府自らが集める「官斡旋(あっせん)」方式だった。
- 「村長ら住民のリーダーにきちんと説明して納得してもらうことが必要だった。軍については総督府と指揮系統は別だったが、仮に軍が慰安婦を集めていたなら、われわれの耳にも少なからず入ってくるはず。でもそんな話はなかった」
- 元朝鮮総督府官吏、西川清さんは当時の朝鮮に、朝鮮人が経営する「カルボチビ」という売春宿があったことを記憶している。日本でも貧困から女性が遊郭に身売りされていた時代だ。
- 「朝鮮でも身売りはあった。こうした女性が朝鮮人の女衒(ぜげん)によって慰安所に連れられたことはあるだろうが、あくまでも民間の話だ。もしも日本の公的機関が関与していれば、絶対に文書で残っているはずだ」
- 国際的に誤った〝史実〟が広がっていることに憂慮を深める西川さんは2年余り前、日本軍や官吏による強制連行を否定する手紙を安倍首相に郵送したこともある。
- 「当時の朝鮮の仕組みを知る者からすれば、いわゆる『従軍慰安婦』は戦後に作り上げられた机上の空論です」
- 今夏に100歳となった西川さんは、事実がねじ曲げられた現状にいまなお憤りを感じている。
右の子はちょっと可愛いんだがw
- 反日物語の嘘を暴け
この記事にに寄せられたユーザーのコメントがとても面白いので、原文のまま引用します。
- 昔話を一つ
その昔、老舗の若旦那が自警団を組織した。地域全体の為になるであろうと、近所の河原まで警備の範囲を拡げたところ、橋の下のバラックに原始的かつ不衛生な状態で住みついている賤民一家があった。
哀れに思った若旦那は最新の家を建ててやり、食料と衣服を買い与え、物乞いで生計を立てていた両親には職を、子供たちは学校に行かせて、その後の就職の面倒までみてやった。
ところが、若旦那の会社が突如倒産の憂き目にあってしまう。若旦那は自らの生活や会社の立て直しに追われる事となったが、それでも一家に与えた家や生活物資はそのまま一家に残し、『もう何処へ出ても恥ずかしくはない。これからは自分達の力で幸せに暮らしていきなさい。』と言い残し、賤民一家のもとから去っていった。
その後、元来勤勉で人柄も良かった若旦那は、会社の再生に成功し、わずか数年で地域の名士に返り咲く。
賤民一家は元の自堕落な生活に逆戻りし、ほうぼうに借金をつくり、借金取りに追われる毎日を送っていた。
このままではバラックに逆戻りである。
賤民一家の家長は、若旦那の会社の門前で、『家を乗っ取られた。』『強制的に働かされた。』『子供達は思想教育を受けさせられた。』『娘は手籠めにされた。』『補償しろ。』とわめきたて始めた。
それでも人の良い若旦那は家長に『これで最期だよ。』と生活費を渡し、借金も肩代わりしてやった。
賤民一家の生活は再び豊かになったが、家長は子供達に自分の才覚で苦境から脱出したのだと説明した。
賤民一家は家長を讃えた。『これは淀川の奇跡だ。』と。
以降、味をしめた賤民一家は、生活が困窮する度に若旦那の会社の前でわめき立てるようになる。
若旦那はその度に追い銭を渡してやっていたのだが、流石に従業員からも疑問の声があがり始め、『もう充分に支援させてもらった。』と追い返すようになっていった。
追い詰められた賤民一家は、若旦那の会社と取引のある会社の前で若旦那の批難を始める。『若旦那に娘を手籠めにされた。』と。
『自分の不徳のいたすところ。言わせておけば良い。』と取り合わなかった若旦那であったが、賤民一家と縁のある自分の会社の従業員からも『ウチの会社の若旦那は賤民一家の娘を手籠めにした。』と避難されてしまうようになる。
若旦那の会社も代替わりをし、今では若社長が取り仕切っているが、社内外に拡められた事実無根の噂の鎮火に今も手を焼いている…。
この昔話には二つの教訓が含まれている。お人好しもほどほどに…。ということと、世の中には関わってはならない不浄の民がいる。ということである
朝鮮人は、まぁ支那人もだが、名字と名前の間に”恩知らず”というミドルネームを入れた方が良いでしょうw
- 不都合な歴史を公表すると家宅捜索・禁書・起訴処分にされる韓国の国家体質
まぁ、幼少期から「独島は我が領土~♪」wなんて歌っている民族ですからねぇww
いずれにせよ、産経新聞ががんばっていなかったら今頃どうなっていたのかを考えると恐ろしいことです。ナチスドイツと同類に扱われていたかもね。
意外とドイツって反日思想の人が多いらしいですよ。真相は知らんけど・・・
No.165
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2015/11/23 12:45:07