荷台に乗ってたSR(こっち参照)はピカピカの新車に見えたが,ファイナル・エディション(こっち参照)だったのかな?
ふっと思い出して書架から引っ張り出してきたのが,この一冊。『オートバイの科学』島英彦 1982年講談社 だ。
この本は,筆者の島英彦 氏が理想とするオートバイを,フレームから試行錯誤した制作過程の書である。
時は1976年。話は,オートバイ雑誌『モト・ライダー』が,オリジナル・モーターサイクルの製作を島 氏に打診したことから始まる。死語になってしまったが“カフェ・レーサー”が当時の流行り。『モト・ライダー』はインパクトのある改造車を願ったが,島 氏の考えは少し違っていた。
ハンドリングなんて概念が薄かった時代。スポーツバイクといえばインライン・フォーの大排気量車がお決まりだった。でも,島 氏の理想は軽くコンパクトで幅の狭い単気筒スポーツバイク。逆に『モト・ライダー』誌側を説得し,製作がスタートした。
苦心の末に製作されたのが,ロードボンバーⅠⅩ
※写真はネットから拝借いたしました。
エンジンはヤマハXT500で,足回りなんかはホンダCJ250Tを流用し,フレームは完全オリジナル。
余談だが,『モト・ライダー』誌はこの車両を1977年4月号にて,ヤマハ発動機が4月1日に発売するニューモデル「XT-S500 ロード・ボンバー」として紹介した。実はエイプリル・フールにひっかけた冗談だったのだが反響は大きく,ヤマハ本社に問い合わせが相次ぎ,中には愛車を売り払って購入資金を準備する者まで現れたという。
車重は126㎏,0~400mは14.28秒,最高速度177.6㎞/h,筑波のラップタイムは当時の市販750ccと同等の1分12秒8を記録している。
これに気を良くした『モト・ライダー』誌は,1977年の6月に行われた鈴鹿6時間(この年はまだ6時間だった)耐久レースにⅠⅩを走らせた。
※写真はネットより拝借しました。
故 堀ひろ子 氏をライダーに18位で完走している。
翌年の1978年2月に,本家本元のヤマハがSR400/500を発表。ロード・ボンバーをマネたのではないと思うが,同車の反響が発売を後押ししたことは想像に難くない。
ロード・ボンバーⅠⅩは,翌年にⅠⅩ改へとバージョンアップ。
※画像はネットから拝借しました。
このⅠⅩ改は,1978年鈴鹿8時間耐久レースにエントリーし,総合8位という結果を残している。
確か…現在このⅠⅩ改は,『バイカーズ・ステーション』誌の編集長である佐藤康郎 氏が所有しているのじゃなかったかな?
単気筒ロード・スポーツの嚆矢であるSR400/500発売前夜の話でした。
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