2016年04月25日
Facebookのほうと全く同じコピペでしたが、沢山のイイね!と暖かいコメント有難うございました。
本震後しばらくはSNSどころではなく、書き込みはおろか見る事も全くする気になれませんでしたが、ようやく余震も減ってきたので、昨日位から徐々に皆さんのページを覗かせてもらっています。
この土日は、他営業所からのフォローもあり、ゆっくり仕事を休めたと同時に、ようやく家の片付けも出来ました。
残念ながら、同じ町内にある築45年になる実家は、地震での痛みが酷く修理は難しいので、落ち着いた頃に取り壊して、独居の母はマンションを探す予定です。
我が家のほうは、先々月外装に200万円かけてリフォームしたばかりだったのですが、瓦と壁にあちこちダメージを受けました。
内装も天井が落ちたり、サッシの開閉が固くなったりしています。
自分の部屋としても、本棚やガラスケースが壊れました。
それに伴い、コレクションしてたガンプラ、ミニチュアカー、ラジコン等大破して、廃棄したものが幾つもあります。
一方、ギター、CD、DVD、そして何よりPCが無事だったのが奇跡です。
そして奇跡といえばもう一つ、あれだけ周りから瓦礫が出たのですが、義父のメルセデスベンツ、嫁さんのゴルフ7、自分の営業車のハイゼットとエボファイナルは全くの無傷だったのです。
失ったものも多いのですが、これで何とかカーライフやブログを続けて行けそうです。
早速になりますが、実は2月末に某パーツを特注でオーダーしていて、納期は4ヶ月かかると言われていたのですが、なんと来週には納品できるとの事。
余震の心配もありますが、早く届けば・・・と思います♪
Posted at 2016/04/25 21:41:35 | |
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日常 | 日記
2016年04月23日
4月14日21時半頃、それはいつもと同じ日常。
夕食と入浴を済ませ、PCに向おうとしたその時でした。
一瞬家全体が揺れ、地震?と思った瞬間、下から突き上げるようにドカドカと揺さぶられました。
それは熊本では初めての、震度7に迫る大地震。
自分の家は、今回の地震の震源地の益城町から数キロ先の隣町にあるので、特に大きく感じ、外装こそ無事でしたが、家財がかなり倒れてしまいました。
その後もしばらく余震が続いたので、ご近所さんもぞろぞろと外に出てきて、一旦駐車場で様子を見ました。
ところで、実は自分の仕事と言うのが、呼吸器系の疾患を持たれている患者さんをフォローする在宅医療に携わっており、地震や台風が発生すると停電に繋がるため、患者さんの安否確認や場合によっては直接訪問して対応する必要があるのです。
当然、この晩は即出勤して一晩中対応に当たりました。
明け方になって、明るくなった周りを見渡すとそれは悲惨な光景でした。
この段階で、大きな被害は震源地の益城周辺だけではあったのですが、道路が陥没したり、あちこちの瓦やブロック塀が崩れていて、通れない道も多数ありました。
しかし、患者さんをそのままには出来ないので、避難場所へ医療用の酸素ボンベ配達や、機器設置に当たったのですが、とても、熊本営業所のメンバーだけでは手が足りません。
ただ、うちの会社は全国に展開しているので、既に各営業所からの応援準備が進んでいました。
その日の夜になると、ようやく見通しが付いたので、皆不眠不休だった事もあり、一旦自宅に帰宅する事になりました。
ところが・・・、日付が変わった16日の1時30分頃、深眠りに誰もが付いていたのですが、またも突然大きな音がし、今度は昨日よりもさらに激しい揺れで、バキバキドカドカと、部屋中の家具が倒れ、瓦やブロック塀、ガラスの割れる音など、明らかに家が壊れ行くのが分かりました。
まるで地獄の底から、何かしらの魔物が地表を蹴り上げるかのように、上下左右と激しい揺れで、ベッドから動く事も出来ませんでした。
あまりの恐怖で、正直初めて死を覚悟した瞬間でもありました。
どれくらいたったのでしょうか?
ようやく揺れが収まったので、ベッドの隣いた嫁さんと滅茶苦茶になった2Fの部屋から脱出し、1Fの寝室にいる義理の両親に声を掛けました。
なんと1Fは天井が落ちていましたが、幸いに体に直接は当たっていなかったので、皆でゴチャゴチャの廊下を乗り越え、命からがら外に出る事が出来ました。
時を同じくして、ご近所さんも悲鳴とともに、着の身着のままで方々から脱出してきたのですが、震度5前後の揺れがこの後も何度もやってきました。
さすがにまずいと感じたのでしょうか、ご近所さん達は瓦礫だらけの道路を上を、次々と自家用車で脱出し始めましたが、自分たちは1時間位してようやく、広場へクルマで移動したのです。
大きな余震はその後も何度も続いたのですが、仕事柄患者さんをそのままにする事は出来ないので、家族を残し、自分は余震が続く中会社に向かい、昨日に引き続き安否確認と直接対応を行いました。
この日から他営業所からの応援が入り、資材や機台、物資などが徐々に揃い始めました。
しかし、2度の地震で熊本中大きな被害が出ており、沢山の・・・ホントに沢山の建物や道路が倒壊し、泣きたくても泣けないくらいの惨状でした。
熊本城、阿蘇神社、阿蘇大橋も、ボロボロです。
それでもなお、避難所へのボンベ配達を中心とした対応依頼が次々に入り、ずっと電話がパンク状態で、この日も21時過ぎまでずっと対応に追われました。
震災初日からずっとこういった対応でしたが、23日の今日、ようやく余震が減ってきましたので、このブログを書いている次第です。
家はあちこちヒビが入り、瓦が落ち雨漏り状態。
電気が早急に復旧したのは有難いです。
水道はようやく昨日から復旧しつつありますが、それでも半日は断水しています。
それにしても、これまで震度1以上の余震がなんと800回以上も起こっており、ほんとウンザリです。
夜に震度6以上を2回経験しているので、もしかしたらまた・・・と恐怖と不安で家の中では安眠できず、今でも車中泊を続けています。
有難いことに自分の所では、食べ物や飲料水には困っていませんが、とにかく今まで考えもなしに使っていた、水、電気、資源の大切さ、そして人の温もり誠実さを今更ながら切実に感じている次第です。
また、これまでSNS上や直メールで、数名の方々から安否確認や応援の連絡を頂きましたが、不眠不休仕事で走り回っていたので、ほとんど返事を返せず申し訳なかったです。
しかし、自分は大丈夫ですのでどうぞ安心してください。
気になるのは、今も余儀なく避難所で生活されている方々。
特に不自由のあるご高齢の方々が心配でなりません。
自分に出来る事がどれ位あるか分かりませんが、まずは仕事を通じて被災者や患者さんに出来るだけの事をやっていく所存です。
お気楽なブログは今しばらく書けそうにありませんが、絶対この状況を乗り切るつもりです。
最後になりますが、ネット上でもさんざん言われているとおり、マスコミの傍若無人ぶりがホントに酷いですね。
自分が目の当たりにしただけでも、避難所に大きなクルマで乗り付け、勝手に撮影したり、疲弊している人達にしつこくインタビュー。
倒壊しそうな家の前でずっとカメラを向け待機し、あたかも早く潰れて美味しいシーンをカメラに収めたいかのような願望が見え見え。
実際にそれが起こったらさっさと次の現場に向かう・・・。
個人的に許せなかったのは、倒壊した家からやっとの思いで救出された人への無理なインタビュー。
まずは家族と抱き合う事だろ!?
東日本大震災の時にも感じましたが、支援活動のきっかけ作りや現実を報道するよりも第一に、とにかく視聴率稼ぎ・・・。
被災者のストレスにしかなっていません!!
一方、警察、消防、自衛隊、医療介護関係者、市職員、ボランティアさん等、中には自分達も被災者の方も多いでしょうが、ホントに良くやってくれています。
書きっぱなしのまとまりのない乱文で失礼しました。
とにかく一日も早い災害の終息と、避難者の日常生活への復帰を願うばかりです。
Posted at 2016/04/23 23:15:18 | |
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日常 | 日記