みんカラでブログを始めていつの間にか趣味が増え、いろいろな活動を並行して行うことになりました。
お城巡りもその一つです。
みんカラ的な車ネタも溜まってますが、ここで敢えて地味な山城登山のブログを捻じ込みます。
三沢城は
5年前に茶臼山城の見学会に参加したとき、ガイドさんから話を聞いてその存在を知りました。
山城だけどけっこう上まで車で上れるらしい。 あとプロレスファンとしては三沢というネーミングにも惹かれました。 いつか行ってみたいと思ってましたが、あれから5年経ってようやくです。
山間の町を通り抜け三沢城の入り口に到着です。
三沢城跡の大きな案内看板。 要害山とは地形が険しく守りの堅固な山城・要塞・砦。
山は標高418.5mありますが、この現在地でけっこうな高さまで上がってます。
さらに上がると広い駐車場がありました。
もう一段高いところにも数台停めれる駐車場。 何故か敢えて移動して停め直してみる。
このすぐ上に登山口。 見える建物はみざわの館という宿泊・宴会施設ですが閉まってました。
登山口
三沢城跡の説明板
14世紀初頭に三沢氏によって築城されたと伝えられる。
北側と東側の尾根を中心に大小30以上の曲輪が確認されている。 地元では1郭を「本丸」、2郭を「鳥居ヶ丸」と呼んでいるが、南端の土壇を櫓台と見て2郭を主郭(本丸)とする考えもある。 虎口が数箇所確認されるほか、大手口には石垣が残っている。
この城跡は、土塁・堀切・枡形など中世山城の遺構をよくとどめており、戦国時代の豪快な縄張りの山城として貴重である。
なお、説明板には無かったですが、三沢城は長い歴史の中で尼子十旗であった時期がありました。
尼子十旗(あまごじっき)は、戦国時代に出雲国を支配した尼子氏の本城である月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城です。
本城の
月山富田城を守る尼子十旗は、
白鹿城、三沢城、
三刀屋城、赤穴城、牛尾城、
高瀬城、神西城、
熊野城、馬木城、大西城。 (攻略済みのお城はリンクを貼ってます)
縄張り図
標高418.5mですが、現在地が既に340mなので、山頂まで80mほどの標高差です。
山頂の本丸まで徒歩20分の道のり。
登山道は割と緩やかでよく整備もされており歩きやすかったです。
三沢城は、オウレン(黄連)という薬草にもなるキンポウゲ科植物の群生地であるとのこと。
白い可愛い花を咲かせるとのことでしたが、登山中はオウレンの存在に気付かなかったです。
大手口、大手門の石垣が見えてきました。
大手門石垣
三沢城跡は案内看板も多くて充実しておりお城歩きがしやすかった。
大手門から本丸まで190m
大手門跡を通ったところが、広い平坦なスペースの二の丸。
三沢城の大手門を備えた重要な場所です。 正面の南からの大手口、北からの水ノ手口、西からの萩森口、三方全てがこの二の丸で繋がり、ここから一筋の道となり本丸に至ります。
続けて登ると人を発見。
登山道の落ち葉を払い清掃されてます。 こういう人たちのお陰で三沢城は整備が行き届いてる。
さらに登ると迷路石垣という遺構が現れました。
三沢城で見つけた石垣は大手門石垣とこの迷路石垣の2つ。
山頂の本丸まで90mのところで、なんとトイレまで備わってました。
山城跡の途中にトイレがあることが珍しくて驚く。 凄いな三沢城。
険しいつづら折りが続く七曲がり。 ミッサワ!ミッサワ! 額を流れる汗を指ワイパーで拭う。
いや、実際は汗掻くほどの登山では無かったです。
山頂から一段下にある郭。
ここに三沢城跡の石碑が立つ。
登山したのは桜の咲く季節でした。
倒れて斜面にもたれかかってる三沢城跡の説明板。
1309年から1589年に至る三沢氏の居城で中世山城の代表的なものの一つである。
本丸を中心として俗に四十八担といわれる平坦な地・壕・土塁・石垣などがあり全体規模は大きい。
山頂にある本丸城壕。 城壕(じょうごう・しろぼり)とは聞き慣れない言葉ですが堀のこと。
左に登るとと1郭(本丸)、右に登ると2郭(鳥居丸)。
まずは2郭(鳥居丸)に登ってみました。
登山口にあった説明板によると、この2郭(鳥居丸)の南端にある土壇を櫓台と見て、ここを主郭(本丸)とする見方もあるそうです。
2郭(鳥居丸)の南端にある盛られて高くなった土壇が諏訪社壇。
三沢氏の祖先は信州から来往しており、故郷の諏訪神社を祀り守護神にしていたそうです。
古井戸
深さ9mあり城内の飲料水に利用されていたという。 明治初めごろに牧場に使用され、牛が落ちてしまったため井戸は埋められたとのこと。
2郭(鳥居丸)の北側には段階状にいくつもの郭が続きます。
広い。 そして綺麗に整備されてることに驚く。
2郭(鳥居丸)から見た1郭(本丸)。 間は城壕(空堀)で区切られている。
続いてはいよいよ1郭(本丸)に向かいます。
1郭(本丸)に上がりました。
四方が開かれた気持ちいいスペースです。
1郭(本丸)にあった説明板。
合計30余りの大小曲輪(郭)から成る三沢城は、急峻で要害堅固な中世山城の最も曲型的なものであり、今日に至るもその姿をよく保存している好例である。
立派な小屋が建っている。
中にはテーブルと椅子があり休憩場所になってます。 あと、整備に使われる道具も置かれていた。
内壁には三沢城の略歴年表が。
また、反対側の内壁には歴代城主の名前が連なってました。
三沢城は尼子十旗の一つでもありましたが、もともとその前に三沢城の三沢氏は尼子氏を脅かす存在であったそうで。 その後、尼子氏に従って吉田郡山城の毛利氏を攻めます。 ですが、さらにその後は毛利氏に従って尼子氏を攻める展開に。 三沢城が尼子十旗だったのは一時期だったということのよう。
これまで尼子十旗を4城巡り、三沢城で5城目ですが、今のところ一番立派な城跡に感じます。
テーブルの上にご来訪の芳名録があったのでしっかりと記名しておきました。
小屋の先も広くて石碑が立っているのが見える。
山頂の1郭(本丸)に立つ三沢城跡の石碑。
三角点もあってここが頂上です。
これにて三沢城は攻略!
石碑の横にあった亀岩。
埋まってる岩が亀の頭と甲羅の形をしている。
この亀岩に因んで三沢城は別名を亀嶽城(かめだけじょう)とも呼ばれます。
三沢氏がこの地を離れる1589年にこの亀岩の下に財宝を埋めたという埋蔵金伝説が残る。
1郭(本丸)から南東側にある一段下の郭を見下ろし眺める。
1郭(本丸)から北側の眺望。 山ばかりだけど、出雲大社の方向らしいです。
登山の醍醐味の一つが山頂から望む景色でしょう。
南側の眺望。
奥出雲、中国山地の景色。
東側をズームすると・・
大山が見えました。
いやあ、三沢城を訪れてみれば立派な城跡だし、綺麗に整備もされてて登りやすく気持ちいい。
下山時は大手門からは別ルートを通り、大回りして駐車場に戻ることにしました。
十兵衛坦(じゅうべえなり)
その名から重臣の居館跡と伝えられ、三沢城の東北側を守る重要な場所でした。
さらに進むと水の手口がある三沢池。
三沢池は出雲風土記にも登場する神聖な池で、今も清水が湧き出ています。
馬出し堀(うまだしほり)
十兵衛坦の後方北側にあり、館から攻め出るときに使われた。
ぐるり大回りして駐車場に戻る。 約1時間の登山、散策でした。
三沢城、かなり見応えのある城跡でした。 綺麗に整備もされてて歩きやすかったです。
満足度が高い。 来てみて良かったです。