
6泊7日に渡った舞鶴&岐阜遠征の続きです。
3月から気まぐれに飛び飛び連載してる遠征ブログは、ようやく最終日7日目(3月13日)に入りました。
もう少しで完結するので頑張って書き貫こうと思います。
最終日7日目(3月13日)の朝を迎えました。 最終日は岐阜から帰路の旅となります。
長旅の疲れもなんのその、岐阜羽島駅近くの宿泊ホテルでは朝早く目覚めてしまいました。

7時過ぎにチェックアウトし出発します。
ところが、出発時のエンジン始動でいきなり冷却液量のレベル低下を表わす警告ランプが点滅!

昨年の岐阜&愛知遠征時にあったウオーターポンプ故障と同様の警告ランプ点滅に緊張が走る。
(昨年の岐阜&愛知遠征時の参照ブログ:
遠征途中終了のお知らせ)
底面を覗くも液漏れしてないし、変な音もしないし、白煙も出ないし、液の量が減っただけのような?
エンジン暖まった後(冷却水膨張して?)、エンジン掛け直したら警告ランプ消えました。
遠征から戻ったら冷却液を足しておくとします。(遠征後の整備手帳:
クーラント液補充)
前夜の時点で最終日は大垣城に寄ろうと考えてましたが、翌朝になると出発が早過ぎて、大垣城の営業開始時間よりも大幅に早く着いてしまいそうでした。
それで、待つ時間が勿体ないので大垣城は寄らずにスルーして、帰路の旅を急ごうと思いました。
(大垣城はいずれまた別の機会に・・)
立ち寄るにしても、その先にあるお城を目指します。
朝から虹のアーチを潜ります。

雨が降ったり止んだりの不安定な天気でした。
4泊5日過ごした岐阜県をついに脱出。 ありがとう岐阜。
立ち寄りのお城として目指したのは滋賀県と福井県の県境にある玄蕃尾城(げんばおじょう)です。
玄蕃尾城は続日本100名城に選定されているので、続日本100名城スタンプ活動が目的。
玄蕃尾城のスタンプは、滋賀県長浜市にある余呉駅(よごえき)に設置されているという。
9時ジャスト、余呉駅に到着の図です。
なんと、駅の改札窓口に続日本100名城スタンプが設置されてました。
以前に宮城県の多賀城に行ったとき、日本100名城のスタンプが国府多賀城駅に設置されてましたが、あれは駅構内片隅にあった公衆電話の脇でした。 ところがこの玄蕃尾城のスタンプは改札窓口という極めて重要な場所に設置されていることに驚かされました。
ともあれ、これで続日本100名城は9城目のスタンプげっとです。
スタンプ押してお城巡らずではいけませんので、この後は実際に玄蕃尾城の現地を目指しました。
ところが、ナビを頼るも登山口に辿り着くことが出来ずに道に迷ってしまいました。
ナビが役立たないので、ネットで過去に玄蕃尾城を訪れた人のブログを参照し登山口を探すことに。
トンネルの先を曲がると登山口に行けるらしい。
トンネルの入り口です。

トンネルの入り口に信号がある。
赤信号で停まっています。 待ち時間がとても長いので車を降りて撮影できました。

実はこのトンネルが凄いトンネルでした。 日本一長い?赤信号が6分30秒の道路信号機。
柳ヶ瀬隧道(柳ヶ瀬トンネル)

平成15年度に土木学会より選奨土木遺産に、平成20年度には経済産業省より近代化産業遺産に認定されていた。 そんな凄いレジェンド・トンネルでした。
明治17年完成当時日本最長(1,352m)で、黎明期の技術進歩に大きく貢献し、今も使用中では2番目に古いトンネルです。 (説明版より抜粋)
信号が青になりトンネルに突入です。

滋賀県と福井県の県境にあり、鉄道路線時代のトンネルを現在も道路トンネルとして使用している。
幅が狭く車1台分しかないので、トンネルの両入口に信号機が設置され交互通行になってます。
トンネルを抜けて福井県に入ったところで玄蕃尾城のほうに入っていく道がありました。

トンネル出てすぐの狭い道だったので危うく見逃すところだった。
それから対向車とは遭遇したくない狭い山道を約1km進みました。

寂しい山道で心細くなる。 全く対向車と出くわすことは無かった。
車で行けるところまで進んでそのドン突き(突き当たり)。
周りは山に囲まれ寂しい。 他に車が停まっておらず、孤立した世界。
ここに玄蕃尾城跡への登山口があります。
登山口。 主郭まで徒歩約20分とある。 時刻は9時45分、それでは登山開始します。

雨で地面が濡れてるから足を滑らせないよう注意したい。
旅の帰路で立ち寄れそうな位置にあったからアドリブで寄ってみた玄蕃尾城。
予備知識無くどんなお城か知りませんでした。 果たしてこの先に何が待っているのか?
山の中にあるから山城であることは容易に察しました。 山道を登っていきます。

最初のうちはつづら折りを登ります。
久々坂峠(刀根越)

後になって知りますが、ここは1573年に織田信長軍と朝倉義景軍が戦った戦国時代の合戦の場。
刀根坂の戦いの舞台とのことでした。 この看板によると駐車場から玄蕃尾城の登山道は合計700mになります。
分かれ道
玄蕃尾城跡は左0.5km

右に行くと行市山砦跡という場所になるがそっちには行かない。 歩くと往復7kmにもなる。
朽ち落ちて埋まっている玄蕃尾城への指示看板。
急勾配ジグザグの坂道を登る。
登りきると柳ヶ瀬山(標高439.16m)の三角点。 玄蕃尾城跡はこれより先の北にある。
後は緩やかな道が続きました。 平坦な尾根の上を進む。

とても静かで寂しく心細くなるような道。
途中で折れたり、根から倒れている木が多かった。

時おりミスト程度に感じる小雨も降りました。 もう帰りたくなる気持ちを抑え進みました。
おっと、先に何か見えてきたぞ。
玄蕃尾城跡の説明看板。
玄蕃尾城跡は、滋賀県と福井県に跨る柳ヶ瀬山山上にあります。 1583年の賤ヶ岳の戦いの際、戦国時代の武将である柴田勝家の本陣が置かれたところでした。 柴田勝家!

本遺構は極めて限定された時期の城郭遺構であることから、中世城郭から近世城郭への過渡期にあたる城郭編年の標式遺跡として重要であることと遺構が良好に遺存していることなどから史跡に指定して保存を図っています。
これより玄蕃尾城跡の遺構を見て歩きます。
ここで区切ってブログは後編へと続きますが、後編は極めて地味な画像が連続して炸裂します。
<(_ _)>