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こるまろのブログ一覧

2016年10月12日 イイね!

秋の山口県ダム&発電所遠征 ② 巌流島に行ってみた

秋の山口県ダム&発電所遠征 ② 巌流島に行ってみた山口県ダム&発電所遠征、次は宇部市の宇部丸山ダム&発電所に向かうことになりますが、その前に大幅に寄り道をしまして観光することにしました。

一度は訪れてみたかった巌流島に行ってみます。

巌流島といえば、1987年10月4日に行われたアントニオ猪木とマサ斎藤による「巌流島の決闘」が歴史的にあまりにも有名。

巌流島に渡りその地に立つことで、歴史のロマンを感じたいと思いました。

国道2号線で巌流島への船が発着する下関の唐戸に向かう。

関門大橋の下を潜るところ。

下関唐戸にある船乗り場に着くと、ちょうど巌流島行きの船がやってきました。

渡りに船とばかりに飛び乗った。

船内だけでなく屋根の上にもオープンデッキ席があったのでそこに座って出発。

乗った便には他に乗船客おらず自分一人だけの完全貸し切り状態でした。

巌流島への渡航は往復料金800円。 片道約10分で巌流島に着きます。

天気が良くて日差しが暑かった。 
でも台風18号が近付いてたせいか風が強くて波があり船はけっこう揺れました。 

風と水しぶきを受け、関門大橋を背にして巌流島に向かう。 
右手に今年3月に訪れて上ってみた海峡ゆめタワーが見えました。

あれが巌流島か!

巌流島は関門海峡に浮かぶ無人島。 巌流島は通称であり、島の正式名称は船島(ふなしま)。

島の北端にある桟橋に接岸します。


乗ってきましたのは「がんりう」という名の船でした。 

定員120名のところを1名だけ乗船してきた。

時は来た! いよいよ巌流島に足を踏み入れます。


巌流島の東海岸に整備された遊歩道を歩きだします。 


巌流島の碑 (巌流島文学碑)  眺めの先に関門大橋が見える。

ムサシまだ~?

巌流島(船島)の神様が奉られている舟島神社を参拝しました。(-人-)


遊歩道を歩いて島の南のほうへと進む。 

関門海峡を通る大きな船が行き来してるのが見えます。

何やら見えてきました。


武蔵vs小次郎像。


宮本武蔵


佐々木小次郎


関門大橋


記念写真も撮りました。


こちらは決闘の場所をイメージして造られた人工海浜だそうで。


武蔵が乗ってきた舟(伝馬船)も再現されています。


広~い原っぱが出現。 一番訪れてみたかったのはこの場所だ。

ここが1987年に行われたA猪木とM斎藤との決闘の場。 2時間5分14秒、猪木のTKO勝ち。
あと1991年には馳浩とタイガー・ジェット・シンとの一戦もあった。

最後に佐々木巌流之碑をお参りしました。 (小次郎は巌流とも呼ばれた)


巌流島にいたのは約1時間でした。 一度は訪れたかった巌流島に来れて大満足です。

帰りは少し小さめの「大海」という船に乗った。

ちなみに帰りも乗船客1名で完全貸し切り状態でした。

下関唐戸に戻ると時刻は13時過ぎ。 

唐戸市場で何か美味しいものを・・と一瞬は思ったが、ダム&発電所巡りの旅を急ぐことにした。


【宇部丸山ダム&発電所】

お昼ご飯は抜いて、車を走らせ1時間ほどで宇部丸山ダムに着きました。

このブログの冒頭写真も宇部丸山ダムでのショットです。

ダムはいいのですが、発電所の場所がよく分かりませんでした。 そこでスマホで調べる。

宇部丸山発電所は工業用の取水塔の内部に設置された小水力発電所だと分かる。

ダムの上からズームで撮影。 ここを訪れたという証拠写真を撮ります。

ぐるりと回って取水塔のほうに近付くと森の中に発電所関連っぽい建物も見つけました。


ダムから1kmほど離れた場所にダムカード&発電所カードがもらえる「ダムの郷」はありました。

ダムの郷ってどんなところだろう?と思って中に入ると食堂みたいなところでした。
 
厨房からお母さんが出て来て、宇部丸山ダム&発電所を訪れた証拠写真をしっかり確認された。

ここで、宇部丸山ダムのダムカードと宇部丸山発電所の発電所カードをげっとです。



【佐波川工業用水道事務所】

次は防府市にある佐波川工業用水道事務所へとやってきました。

今朝早く一番で訪れた佐波川発電所の発電所カードはここで配布されています。

今朝撮った証拠写真を提示して佐波川発電所の発電所カードをげっとです。 

この時点で時刻は15時くらい。

次はいっきに県東部、岩国市の山奥にある平瀬ダム(建設中)に向かいました。

ところが、例のポリシーにそって全編一般道のみを走ってると、平瀬ダムに辿り着くのはダムカード配布時間が終わる17時ぎりぎりになりそうでした。 でも有料道路には乗りたくない。 
それにまだその後、小瀬川発電所にも行かなくてはならない。

となると、この日だけでは全部廻るのは不可能であることに気が付きました。

こんなことなら唐戸市場で何か美味しそうな海鮮料理とか食べれば良かったなぁと少し後悔。

ダム&発電所活動は切り上げて、この日の宿を探すことにしました。

スマホでホテル検索も予約も出来るから便利。 次の日の活動に備えて岩国市内のビジネスホテルに決めた。 街中なのに無料駐車場があることも決め手でした。

暗くならないうちに岩国市内に辿り着いてホテルにチェックイン。


そこから岩国の街中を徘徊して適当な食堂を見つける。 ちょっと昭和の香りがする食堂でした。

朝も昼も食べずに夢中で走っていたので、これがこの日最初で最後の食事となりました。
旅先なのに月並みですが中華丼を頂きました。 どうも、ご馳走様でした(^^♪

山口県ダム&発電所遠征の初日は、未明から夕方まで全編一般道を走って全走行距離541km、歩数計は11,389歩。 もうくたくたでしたね。(汗) ホテルで早めに休みました。

さて、遠征2日目は残りのノルマである平瀬ダム(建設中)と小瀬川発電所を巡ります。

ブログ続きます・・。
Posted at 2016/10/12 22:39:19 | コメント(2) | トラックバック(0) | ボクスター | 日記
2016年10月11日 イイね!

秋の山口県ダム&発電所遠征 ①

秋の山口県ダム&発電所遠征 ①今年も熱狂の夏となった中国地方ダムマニア認定制度は、7月21日に始まり大盛況のうち8月31日に終了しました。

私も7月末に早々とコンプリートコース認定書を頂きまして、昨年に引き続き2連覇を果たしました。

中国地方ダムマニア認定フルコンプリーターとして、威厳を保つとともに内心大いに安堵の思いをしたのでありました。


しかし、それは束の間の休息でした。

中国地方5県の中で、山口県だけはダムカード配布において無限の伸びしろを持つ成長株であり、今年の中国地方ダムマニア認定制度が終わったその翌日にはダムカードが増えてしまいました。

 9月1日ダムカード配布開始 : 平瀬ダム(建設中)(岩国市)
10月1日ダムカード配布開始 : 美祢ダム(美祢市)

そして、出発時は情報を知らなかったが、今回の遠征中にその情報を知ことになるダムがもう1つ。

10月1日ダムカード配布開始 : 宇部丸山ダム(宇部市)

と、3つのダムでダムカード配布が始まっていました。

もぐらたたき的に増えるダムカード。 これでは、枕を高くして眠ることが出来ません。



それに加えて山口県では独自にやってる企業局の発電所カードというものもあります。

山口県企業局で発電所カードをつくりました」 

今年の5月と7月の2回に渡る山口県遠征で、全11の発電所カードのうち8枚の発電所カードをげっとし、フルコンプリートまであと3枚と迫っていました。

木屋川発電所、佐波川発電所、小瀬川発電所の3枚・・

ところが、この発電所カードもさらにもう1枚増えてしまいました。

7月29日発電所カード配布開始 : 宇部丸山発電所

また、フルコンプ達成者のみが得られる黄金のコンプリート認定カードも、発電所カードが配布される発電所が1つ増えたことで、バージョン1.0からバージョン2.0にバージョンアップしていました。


もう、これ以上は黙って見ていることは出来ませんでした。

前日の米子城ウオークで疲れてたうえ、台風18号が日本列島に迫ってはいましたが、山口県ダム&発電所遠征を強行することにしました。


今回の遠征で巡るダム、発電所、カード配布場所の位置関係は下図の通りです。

今回で今年3回目となる山口県遠征では、ダムカード2枚、発電所カード4枚を一網打尽にげっとするのが己に課したノルマです。(遠征中にダムカードもう1枚増えてるのを知る)

まだ夜が明けきれない未明に出発しました。 

今回の遠征も例によって、有料道路を使わない全編一般道路をひた走ります。

夜明け前、津和野の大鳥居前を通過。

そして、山口県入りしました。

朝7時、緊急事態に遭遇して路上に停止する。

ここで90,000kmのキリ番げっとです。 しかもトリップメーター900kmのオマケ付き。

幸先の良いキリ番げっとに素晴らしい旅になることが予感された。


当初の計画では、一気に県の西部に行き、そこから東部にローラー作戦で巡ろうと考えていました。

ところが、カード配布が始まる時刻の9時よりも随分と早く着くことになりそうでした。


【佐波川発電所】

そこで急きょ、県中央にある佐波川発電所に先に寄ることにしました。

佐波川発電所の現地では発電所カードはもらえません。 発電所を訪れたという証拠写真を撮り、そこから30km以上も離れた佐波川工業用水道事務所に出向き初めて発電所カードをもらうことが出来ます。

佐波川工業用水道事務所には後で旅の途中に立ち寄ることにする。

佐波川発電所はナビで検索出来なかったので、まず佐波川ダムを訪ねてみました。

この時点で朝8時。 (佐波川ダム自体のダムカードは昨年もらっています)

ダムにあった簡素な地図で発電所のおおよその位置を確認。

ところが、頭にインプットしたイメージ通りに車を走らせてみましたが、途中で気が付かずスルーしてしまい道に迷ってしまった。

行ったり来たりしてようやく探し当てた佐波川発電所です。

ここを訪れた証拠写真を撮って次のダム&発電所に向かいます。


【美祢ダム】

美祢ダムには朝9時過ぎに到着しました。


ここ美祢ダムも現地ではダムカードはもらえません。

ダムを訪れたという証拠写真を撮ります。

ダムカードは、ダムから3km離れた美祢駅に併設するMineにぎわいステーションでもらえます。


ここでは事前のリサーチ不足で得られなかった新情報を教えてもらいました。

宇部丸山ダムで10月1日に始まったばかりのダムカード配布情報です。

危なかった・・。 せっかくの遠征で新たなダムカード情報に気が付かないところでした。
後で宇部丸山発電所に行く予定にしてたので、宇部丸山ダムに行くのは特に問題ありません。

とりあえず、Mineにぎわいステーションにて美祢ダムのダムカードをもらいました。

今回の遠征での初カードをげっと。


【木屋川発電所】

今回巡るダム&発電所の中で山口県の最も西側にあるのが木屋川発電所です。

木屋川発電所は木屋川ダムのすぐ下にありました。

川沿いのガードレールが無い狭い道を進んだ先に木屋川発電所はあった。

木屋川発電所。 入り口は金網ゲートで閉ざされ敷地内に入ることは出来ません。

ここを訪れたという証拠写真を撮ります。

木屋川発電所の発電所カードは、後ほど訪れる西部利水事務所でもらうことが出来ます。

木屋川発電所では車を転回することが出来ず、川沿いのガードレールが無い狭い道を数100m、鬼バックして脱出することを余儀なくされた。(汗)


何とかピンチを脱出して、道路をぐるりと回りダムの上にある木屋川ダム管理事務所を訪ねました。

木屋川ダムのダムカードは昨年もらってますが、せっかく来たのでまた同じものをもらいました。
(朝早く訪ねた佐波川ダムのときとは違い、午前9時を回りカード配布時間となっていました。)

ちなみに木屋川発電所のカードが、木屋川ダムの管理事務所でもらえないのは、発電所が企業局、ダムが県整備局の管轄であるためです。

木屋川ダム&発電所から15km走って、山口県企業局西部利水事務所に向かいました。

西部利水事務所のすぐお隣には湯の原ダムがありました。

このブログの冒頭写真もこの湯の原ダムでのダム湖側で撮った写真です。

山口県企業局西部利水事務所を訪ねます。

木屋川発電所の発電所カードと、ついでに昨年もらった湯の原ダムのダムカードをまたもらう。

これで、この遠征初となる発電所カードをげっとしました。

この時点で目標のダムカードは残り2枚、発電所カードは残り3枚となりました。

え~、ブログはまだまだ長くなるので続きます・・。
Posted at 2016/10/11 22:34:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | ボクスター | 日記
2016年10月10日 イイね!

米子城を極める! 現地ウオークに参加 (後編)

米子城を極める! 現地ウオークに参加 (後編)滋賀大学のお城博士と”城メグリスト”として知られる城郭ライターの女性と一緒に米子城を巡り、その魅力や見どころを探る「米子城を極める!現地ウオーク」の後編です。

いよいよ、米子城の頂上、天守台でお昼ご飯を食べます。 

お昼は城山の頂で「いただき」をいただきっ!



登山の末、ついに山頂の本丸に辿り着きました。

登山してきたところなので、吹く風がとても心地よい。 

楚石が残る天守台では絶景の大パノラマを満喫できました。


絶景は左手から、中海と米子港。

夏の夜の花火大会をこの天守台から眺めて楽しんだ想い出があります。

そこから右に見やると米子市内の眺望。

写真左手の小高い山の上には、さっき訪れた内膳丸が見える。

天守台の横には四重櫓があった小天守台が見えます。


さて、楚石に座って、事前に配られていたお昼ご飯を頂きました。 

お昼は城山の頂で「いただき」をいただきっ!

「いただき」とは、この地方の郷土料理です。(別名 : ののこ飯) 

見た目は大きなおいなりさんに似てますが、中身と作り方が違う。

油揚げの中にお米や野菜を入れてから炊き込んだものです。 
大きめな油揚げの中に炊き込みご飯が入ってますが、後から炊き込みご飯を詰めたのではなくて、あらかじめ、お米・具材を油揚げの中に入れてから炊き込んで作ります。

いただき(食べ掛け)を掲げた先に、本来ですと雄大な大山を望むことができますが・・

この日の大山は雲が掛かって残念ながら綺麗に見えませんでした。

食後の休憩時間。 天守台の上で暫しリラックス・タイム。 このチャンスを見計らって動きがあった。

米子城ウオーク参加者さんの中に、城メグリストの女性ライターのファンで大阪から来られたという女性がおられまして、持参した城メグリストとお城博士が各々書かれたお城本にサインをお願いするとのことでした。

サインをしてもらうとかそんな発想は思いも浮かびませんでしたのでちょっと羨ましいなと思った。

この機に便乗したい。 でも、あいにく先生お二人の著書のお城本など持ち合わせてはいません。

ここで取り出したりまするは~

昨年7月に購入してから愛用しているお城本「日本100名城に行こう(公式スタンプ帳つき)」です。
スタンプは今年7月に訪れた八王子城で目標達成半ばの52城目で止まっています。

偶然?にもバッグに入っていました。 いや、本当は米子城ウオーク参加するにお城繋がりで何かの役に立つかなと何気にバッグに入れてました。 

しかし、この本をパラパラ捲ってもサインをしてもらうに丁度いい白紙スペースが見当たりません。

そこで、裏表紙にサインをお願いしてみました。 快くサインに応えてくれる城メグリストさん。

『 めざせ! 100名城コンプリート!! 』 

これは嬉しいですね。(^^) 俄然やる気が出てきました。 早く次の53城目を目指そう!

これで満足だったんですが、その場の流れでお城博士もサインしてくださることに。

お城業界の巨星である先生お二人のサインが入りまして、自前の本に”箔”が付きました。

さらに、なんと記念写真まで撮らさせて頂きました! これは感激ですね。(^^)

本当は2ショットで良かったんですが、その場の流れでお城博士も加わり3ショットとなりました。

休憩時間の最後にはウオーク参加者さん全員での集合写真も撮りました。


休憩時間が終わりまして、米子城ウオーク午後の部のスタートです。

本丸から西側に少し降りて、水手御門下の郭(くるわ)というところへ。 

平成27年度の発掘調査で新発見された郭で、そこにある石垣の説明があった。
(マニアックです)

いったん本丸に戻り、今度は鉄御門(くろがねもん)跡を通ってお城の東側に降ります。


山道を降りて森の中に、米子城で現在発見されてるものの中で最も古いとされる石垣。

と、いうように米子城のマニアックな箇所のいくつかを巡っていき説明を聞きました。

続いては米子城本丸がある湊山を下山しまして、国道9号線を横断歩道を利して渡り反対側にある標高52mの飯山(いいのやま)へと登った。

米子城の独立した東の出丸であったところ。 現在は頂上に英霊塔が立っている。

再びウオーク一行は国道9号線を渡って米子城本丸の西側へと向かった。

途中、米子城とは関係無いが、現在はスポーツクラブ&ボクシングジムとなっている建物があって、ここは昔はYSPスケートリンクであったところ。(YSPの略は米子スケート・・?)

そこの敷地内に下は草木で覆われ廃墟化したかのような小汚いポールが3本立っている。


このうち真ん中の1本に『第18回オリンピック東京大会 国立競技場メインポール 昭和42年11月3日YSPスケートリンク開場を記念して移設す』 と記されたプレート付きの国旗等掲揚ポールがあるのだと教えて頂く。

こんなところに何だか凄そうなものがありますね・・。 お城博士は何でも詳しい。

ウオーク一行は米子城がある湊山の中海沿いの遊歩道をぐるりと半周歩きます。 

中海側は険しい崖となっており、中海側からの敵の侵入は想定されていなかった。
この先に行きついたところに大きな駐車場がありますが、そこは近代に埋め立てて作られた土地。

今回、米子城を登山した箇所とは違う別の登山口は「鈴の門」があったところ。


続いて大手門があった場所あたりから、内堀だった道路を歩く。

右手は三の丸だった現在は野球場。

最後に加茂神社という米子城に所縁のある神社に寄りました。

この神社はもともと湊山にあって、米子城を築城する際に現在の場所(内堀の外側)に移された。
そして、米子城は信仰の山であった湊山に築かれたというお話です。

これで、「米子城を極める!現地ウオーク」は終了。 いったん歴史館に戻りそこで解散しました。

天気が良くて暑い中を5時間に渡り歩きました。 歩数計は1万5千歩を超えた。

汗も掻いたし足も疲れましたけど、お城に詳しい先生たちの説明を聞きながら歩くことで、米子城の魅力や見どころを知ることが出来、大変有意義な一日となりました。 ありがとうございました。

日本100名城だけでなく、名城はまだまだたくさんある。 これからもいろいろなお城を巡ってみたいと思いましたね。

歴史館から再び米子城がある湊山公園の駐車場に歩いて戻りますが、その途中にあるホテルの前を通り過ぎようとしたところ、何やら幟旗が掲げられてイベント開催中のようでした。

恐る恐る覗いてみたらレクサスの展示試乗会であった。
これまでレクサス車に興味を持ったことは無く、ディーラーにも訪れたことはありません。

ウエルカムな感じで招き入れられついつい試乗してみることに。 試乗に選んだのはクーペモデルのRC300hというハイブリッド仕様車でした。 

初レクサス試乗です。 指定された試乗コースをぐるりと走らせてみる。

もう夕方近くて道路は混んで渋滞もあったから、思うようには走れませんでした。
しかし、快適でした。 室内はエアコンが効いてて、5時間ウオークで掻いた汗が一気に引いた。

試乗記念にレクサス・オリジナル・メモ帳とホテル内のカフェですぐに使える喫茶券をもらったので、アイス・コーヒーを飲んでから帰りました。 どうも、ご馳走様でした(^^♪
Posted at 2016/10/10 23:04:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ボクスター | 日記
2016年10月09日 イイね!

米子城を極める! 現地ウオークに参加 (前編)

米子城を極める! 現地ウオークに参加 (前編)滋賀大学のお城博士と”城メグリスト”として知られる城郭ライターの女性と一緒に米子城を巡り、その魅力や見どころを探る「米子城を極める!現地ウオーク」に参加してきました。

米子城跡は標高90mの湊山にあり現在は湊山公園として整備され、私も今年2度ほど登城しています。 一人で米子城を歩いても登って降りて1時間も掛からず見終わってしまいますが、お城に詳しい専門の方たちと一緒に歩くことで自身では気が付かない魅力を発見したいと思いました。

米子城ウオークの前日には、お二人を講師に米子城フォーラム「城メグリストとお城博士の米子城わくわく講座」が市内の施設で開催されていました。

このお二人は各々お城に関する書籍をたくさん出されています → 城メグリスト , お城博士
前日、私はJR車両所の見学と客船の歓迎式典に行ってたのでフォーラムには参加してません。

関連イベントの「米子城を極める! 現地ウオーク」は1ヶ月前に参加申し込みしてました。

当日朝は市内にある歴史館に10時集合。 しかし、10時~15時とは長時間だな。
お昼は城山の頂で「いただき」をいただきっ!となっていました。

米子城ウオーク当日、朝早く集合時間よりも先に米子城に寄って写真を撮ってみました。

二の丸門跡の手前にある桝形と呼ばれる箇所の前に車を停めてみて。

米子城は応仁の乱の頃に山名宗之により砦として1470年頃築城。
石垣を構えた本格的な城は戦国時代1591年頃に吉川広家により築城が開始。
関ヶ原の戦後、吉川広家は岩国に転封。代わって領主となった中村一忠により1602年頃に完成。

現在は建物は失われてますが、石垣などは残り、往時の姿をよくとどめています。
平成18年(2006年)に本丸、二の丸などが国史跡に指定されました。

山頂の本丸に四重天守(大天守)と四重櫓(小天守)の2つの天守を持つ壮麗な城であった。

北に内膳丸、東に出丸として、ふもとに二ノ丸、その下に三ノ丸を配した。
南西には中海があり、城郭は中海から水を引き込んだ内堀を廻らせて防御。
内堀と外堀の間は武家屋敷、外堀の外側は町人区を配していました。

車を米子城(湊山公園)の正規な駐車場に停め直して、現地ウオーク集合場所である歴史館に歩いて向かいました。

途中の交差点で振り返り米子城の遠景を撮影してみる。

この交差点の左右にある道路が内堀だったところです。

本丸石垣の上にそびえ立つ大小2つの天守はさぞかし壮観な姿だったことでしょう。

今回の米子城関連イベントの1つとして、1週間ほど石垣の夜間ライトアップがされたそうです。

集合場所である米子市歴史館に到着。 昭和5年に建築された赤レンガ色のモダンな洋館。

既に多くのウオーク参加者が集まっていました。 定員50名を超える55名くらいが参加された。

受付で会費300円(当初500円が値下がり)を支払い10ページに渡る説明資料と

ペットボトルのお茶、それに「いたたぎ」の配給があった。 「いただき」は郷土料理です。

ウオーク開始前に開会の挨拶をされる先生お二人。 

この日はとても天気が良くなりました。 暑い日差しにスタート前から汗ばむ感じです。

ウオーク開始。 米子城ウオーク一行50数名はぞろぞろと歩いて米子城へと。 

国道からかつては内堀だった道路を歩いて、朝早くはボクスターを停めて写真を撮ってた二の丸門前の桝形へと移動。

こちらは二の丸門跡側から撮影した桝形です。 四角く石垣に囲まれてる。

敵の直進を防ぐため二の丸門跡へは直角に折れ曲がっています。

桝形を囲む石垣の中に「矢穴」が残る石が使われていると教えてもらいました。


矢穴とは、石材を割り出す時に矢(鉄クサビ)を入れるためにノミで開けた長方形の穴。

ここは結局、石を割らずに?割れずに?穴だけ残ったものを石垣に使ったということなのか。

二の丸門跡を通ると米子城に唯一ある建物が現れます。 小原家長屋門。

しかし、これは本来は城内のものではなく、城下にあった屋敷門を昭和28年に移築したもの。

二の丸跡にはテニスコートがあります。


二ノ丸から下の三の丸を眺める。

三の丸跡には市営の野球場と他に大学病院も出来ている。

いったん二の丸を通り抜けて反対側の裏中門跡から三の丸へと下る。

ここは二の丸と三の丸の間にある石垣の角っこのところ。 出角部分(隅石)。

長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせることで強度を増す「算木積み」という石垣の出角部分(隅石)の積み方。

多くのお城は出角部分(隅石)が90度の直角なのに、米子城のここだけ120~130度となっており大変珍しいものと素人では絶対に気が付かない見どころを教えていただきました。

書いてる内容がみんカラユーザー向けではないマニアックなブログとなってきました~ (@_@)ξ

そして、二の丸と三の丸の間にある石垣沿いに狭い道を一列になって登るように歩く。 

この左手は野球場の外野スタンドであり、盛り土がしてあります。 盛り土の上を歩いてる。
お城博士は、盛り土がされてるため立派な石垣の下部分の多くが隠れて見えなくなってしまってるのが残念だと言われていました。

再び二の丸に戻り、こちらの城山登り口から本丸に向けての登山が始まります。


近年、米子城では発掘調査が進んでいます。 山腹から山頂の本丸に向けて続く「登り石垣」の存在が明らかとなった。 写真中央下から上方向に向けての石垣。

登り石垣とは、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、倭城の防備を固めるために採られた石垣普請の手法。
米子城には、出丸である内膳丸の石垣から、本丸まで続くこの登り石垣に繋がる一直線の石垣群が存在。

今度は内膳丸に向かいます。 

戦国時代の家老である横田内膳正村詮が構築を担当したことから内膳丸と呼ばれる。

内膳丸。

内膳丸は、標高52mの位置にある出丸であり、二重櫓数棟のと武器庫が設けられていた。

さて、登山を続けます。 本丸がある頂上まで約8分。


本丸が見えました。 左側が四重櫓(小天守)台、右側が四重天守(大天守)台。

大天守台の3段となってる石垣は、上段が慶弔に作られ、中段が平成に修繕、下段が昭和に修繕、さらに左の小天守台は幕末の修繕となっており、4つの時代の石垣がいっぺんに見れるとの説明を受ける。

次はいよいよ、米子城の頂上、天守台にて皆でお昼ご飯を食べます。 

お昼は城山の頂で「いただき」をいただきっ!  

ブログは後編に続きます・・。(^^;
Posted at 2016/10/09 19:45:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | ボクスター | 日記
2016年10月08日 イイね!

カマロ84日ぶりの復活~!

カマロ84日ぶりの復活~!ここのところブログが実際の日と比べ1週間遅れで進行していますが、ここで緊急のブレイキング・ニュースを挟みます。

本日、カマロが復活しました!!

カマロの修理が完了したとの吉報の入電がありましたので、朝からカマロを引き取ってきました。

実に84日ぶりの復活です。

思えば、走行中に路上で突然エンジン停止し、そのままエンジンが掛からなくなって、レッカー車のお世話となったのが7月16日、夏の日の出来事のことでした。

(関連ブログ : 一寸先はハプニング

原因は、エンジンに燃料を送るフューエル・ポンプの故障とそれに関連する配線のショートでした。

しかし、古い外国車のため部品の入手に時間を要し、修理は長引いてしまいます。

9月初旬に部品が入り、フューエルポンプと配線部品の交換が終わったものの、今度はその作業の過程で長年の経年劣化で硬直したダッシュボード・パネルが割れてしまうアクシデントが発生。

再びダッシュボードの部品待ちとなるも、結局この部品は無く入手不可との現実を突きつけられる。

代替え策として、仕方なくダッシュボード・パネル全体を覆うシートを貼り付ける対応となった。

オリジナルとほぼ同色の合皮シートで覆われたダッシュボード・パネルが取り付けられていた。
表面が合皮となり、これまでのプラスチッキーなダッシュボードから高級感が増したとの慰めの言葉をショップの社長に掛けられたが、オリジナルの状態で無くなったのは残念で悔やまれてならない。

整備手帳 : 突然エンジン停止し掛からなくなる フューエル・ポンプ交換他


ともあれ、実に84日ぶりにカマロが我が手元に戻ってきました。

久しぶりに運転席に座りエンジンを掛ける。 ズドドドド・・バキューン! やっぱりアメ車はええなぁ。

フューエル・ポンプの交換とともに、フューエル・ラインとタンク内の清掃もされてるせいか、以前にも増してエンジンの吹けが良くなった気がする。

軽く宍道湖畔をドライブしてみました。

朝はけっこうな雨が降ってましたが、お昼頃には徐々に天候も回復してきた。

この土日祝の3連休は年に1回、宍道湖に浮かぶ嫁が島に船で渡り、茶席を楽しむというイベントがありますが、本日の初日は朝の雨で早々と中止が決まりました。 行く気満々だったので残念!

このまま復活カマロで遠くまで・・と思ったが、近々ロング・ツーリングの予定あるので本日は軽めで止めておきます。

-------------------キリトリセン-------------------

その後・・ 国宝・松江城にやってきました。 城内を三の丸、二の丸と散策して本丸へと。 


そして、気前よく登閣券を購入し約1年ぶりに有料ゾーンの天守閣まで上ってみました。

各階の展示品を拝見しつつ天守閣を上る。 最上階では四方の景色を望みました。

天守閣最上階に誇らしげに飾ってあった昨年平成27年7月の国宝指定書を目にする。

当時の文部科学大臣は下村さんだ。 これがほんの3ヶ月ずれて平成27年10月以降の国宝指定であれば馳浩の名前だったのだなと思いを馳せた。

天守閣を降り、裏手の石段を下って、お堀の外側にある歴史館へと。 喫茶室で一休み。

抹茶と和菓子のセットを頂きました。

職人さん手作りの和菓子は10月とあってハロウィンでした。 和に洋のテイスト入ってますね。
Posted at 2016/10/08 21:03:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | カマロ | 日記

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「エビフライとカキフライの定食を食べてる。」
何シテル?   06/17 11:38
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