
記念ダムカードを貰いにダムに向かったわけですが、それだけのために遠距離ドライブするのもあれだったので、近くにある城跡を探して寄ってみたわけです。
日倉城(ひぐらじょう)は標高376mの日倉山に築かれたが、現在は公園として整備されてるとの情報があり、登りやすいのかなと思った。
ところが、地図アプリを頼りにするも登山口や駐車場が見つからず右往左往して大幅に時間ロス。

町内に案内看板さえ見つけられず、仕方ないので国道沿いのパーキングエリアまで退避。
恐らく後方の山が日倉山ではないかな?と思うも、手前には三刀屋川が流れ直接は行けない。
アプローチするには掛合町内を通って大きく回らないと行けなさそうだ。
古い町並みの掛谷町はメイン通りこそコルベットで通れるものの、一つ角を曲がると狭かったり急な坂があったりしてかなり危うい。 不便な車で来たから仕方ない。 歩いて行くことにした。
歩き始めてみたものの掛合町を通るのも遠かったです。 車ならすぐなのに。
掛合町にある酒蔵は竹下本店です。

「出雲誉」を代表銘柄に竹下登やDAIGOラベルの日本酒が売られています。 「ういっ酒」とか。
竹下登記念館。 竹下本店は元総理大臣の生家。

町の何処かにはお墓もあるらしいです。
竹下本店や記念館は以前に訪問したことあります。 今回は目的では無いのでスルーします。
お隣に酒蔵資料館。 酒造りもここで?
さらにお隣には大正4年の木造2階建て建造物。

元は銀行の支店だったそうで、現在は竹下本店の倉庫になってるとか?
ところで、メイン通りを途中まで歩いても「日倉城跡」や「〇〇公園」を指す案内看板を見つけられなかった。 日倉城跡は市指定史跡のはずなのに町では名所として扱われてない気がする。
なので、こっちの方向かな?と勘を頼りに狭い路地に入って行きアプローチ。
路地を抜けて次第に山道へと。 狭く急な坂道を登っていきます。
城山公園との石碑を見つけました。

日倉城跡は近そうだ。
登っていくと遊具と慰霊塔が見えた。

公園らしい場所はここだけでした。
さらに進むと「日倉城記念碑」というのが。

この辺り一帯も日倉城の一部だったのかもしれない。
辺りは民家や墓地がぽつぽつと。 梅の花がたくさん咲いてました。
そして、日倉城跡の駐車場を見つける。 ここが車で来れる日倉城跡に一番近い場所。

ですが、ここまでの道のりが狭かったり起伏や急な坂があってコルベットでは絶対無理でした。
国道沿いのパーキングエリアからここまで2kmくらい歩いた気がする。
日倉城跡の説明看板。

築城年代や築城主は定かでなく、1542年に大内氏が尼子氏を攻めた頃には多賀山氏が居城していた。 一時期は毛利元就長男の毛利隆元が滞在してたとある。
登山口です。

「日倉城これより600M先」とある。 山頂の主郭まではこれが最初で最後の案内看板でした。
登っていきます。
竹林を歩く。
少し広がった郭のような場所がいくつかあるが、案内看板が無いので何なのか分からない。
左右が谷になってるので尾根沿いに歩いてる感じです。

あと何mとか何合目とか案内看板が無いので、どのくらいまで登ったのかは分かり難い。
山上が近くなると急勾配に。 ここらあたりは登りやすく整備がされていた。
空が開けてきて、いよいよ山頂か?!
山頂に到達。

登山口から山頂までの所要時間は13分でした。
「日倉城址」の石碑が立つ。

ここが主郭(本丸)でしょう。
しかし・・
三の丸?
二の丸?
主郭(本丸)のはずなのに、同じ場所に二の丸と三の丸の案内看板があるのは謎。(?)

「日倉城址」の石碑には平成29年と掘られてて新しい。
その一方で、主郭の隅に朽ちた「日倉城址」の木碑を見つけました。
石祠があったのでちゃんと手を合わせる。(-人-)
眺望。
眼下に国道が見えた。
ズームしてみるとパーキングエリアに停めたコルベットを発見。

ここで日倉城跡との位置関係が分かった。 車を停めた右後方に見えた山が日倉城だ。
これにて日倉城跡は攻略としました。
ボディカラーは異なるけどC5コルベットのミニカーを持参。

今後の山城巡りではなるべくミニカーを連れてきたい。(みんカラ的に)
下山して。 さっき登ったから分かる、右奥の山が日倉山で日倉城跡だと。

今回、登山口を探し当てるのに大変苦労して時間掛かりました。 それが難攻なお城だった。
なお、続いてのブログは記念ダムカードを貰いにダムに行くというお話となります。
Posted at 2019/02/26 19:07:04 | |
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コルベット | 日記