宍道要害山城の後は本来の目的地だった金山要害山城に行ってます。
金山要害山城に行くのは5年ぶり2回目です。
前回5年前は地元の人たちにより登山道が整備され、小学生が参加した案内看板が作られたとの新聞記事を読んですぐに訪れました。 あれから5年が経ち、さらに整備が進んでるのか、それとも荒廃してるのか、そんな視点も持ちながら2回目の登城に臨みました。

専用の駐車場は無いので前回と同様に南宍道駅すぐ横の公民館に愛車を停めさせて頂きました。
この画像の後方にある山が金山要害山城(標高144m)になるのだと思います、きっと。
木次線の南宍道駅。 ちょうど列車が発車したので撮り鉄。

列車といっても一両編成です。
金山要害山城、登城口の案内。

登山アプリの測定によるとこの場所で標高42mでした。 山頂までは標高100m差の登山。
登城口にはいきなり危険個所があります。

耳をよく澄ましたうえで左右を何度も繰り返し見直して線路を跨いで渡ります。
線路を越えたところに金山要害山の案内看板(昭和63年)。

『金山要害山』
金山要害山は北側(宍道湖側)を正面とする山城で、海抜144mの頂上には、詰成(つめなり)と呼ぶ本丸跡が広がっている。
この城は出雲守護・京極高氏の孫・秀益が城を築いて宍道八郎と号した応仁年間(1467~69)から、天正年間(1573~92)までの約130年間の間、この地方で勢力を誇った宍道氏の本拠地であったことは間違いないであろう。
詰成(山頂)からは宍道湖、北山が一望でき、眼下には支城といわれる宍道要害山、佐々布要害山が見通せる。また、のちに宍道氏が移り住んだ鳶が巣城は遥か北西に位置している。
山麓には城主・宍道氏が常住したと伝える御居出成(おいでなり)があるが、他にも二ノ成、茶臼成、出張成、天狗成、長成など、48の成が要害山にあるといわれる。
昭和63年3月宍道町教育委員会
(案内看板より)
少し進むと金山八幡宮があります。

元々は山上部にあったものがここに移築されたらしいです。
山城登山の安全を祈り参拝させて頂きました。(-人-)
余談ですが、本来は社殿の前方にあるはずの狛犬が後方に隠れて設置されていました。

前方に置くスペースが無かった都合なのか? それとも他に何か深い意味があるのか?
神社には詳しくないものの、ともかく社殿の後ろに狛犬が置かれてるのは珍しい気がします。

2頭の狛犬が社殿を挟み、互いに見えない状態で向かい合っている。
金山八幡宮の後方からが本格的な登山道の始まりです。
この時点で既に3合目でした。 この合目表記は前回5年前には無かったものです。

なお、ここまで1合目と2合目は見なかったです。
登山道はよく整備され登りやすかったです。 階段が続き、手摺りも設けられている。
南支郭群。

地元小学生のイラストが入った案内看板が立ち、この山が城跡であった痕跡を初めて感じたところ。
南支郭群のこの辺りが6合目。 前回5年前にあった休憩できる白いベンチはもう無かった。

ここまで4合目と5合目は見なかったです。
これは前回5年前には見なかった気がします。

左に「山城四十八成郭」、右に「戦国武将宍道氏居城」と書かれてます。
金山要害山城は広大な敷地内に48もの郭があった山城でした。
7合目を通過。
ほぼ山上部に分かれ道。

右に行くと山頂に向かいますが、まずは真っ直ぐ行ってみます。
大堀切。

大堀切に立って振り返ったところ。 左上に登ると詰ノ成(本丸)、右上に登ると二ノ成。
二ノ成に登りました。 なかなかに広いです。

二ノ成は、詰ノ成(本丸)と並び金山要害山城の中核となる箇所。
二ノ成の奥にはアスレチック? 木の間にロープが張られ遊具施設が設けられていました。

看板に平成31年(2019年)とあるので、前回5年前(2017年)の登城時には無かったものだ。
二ノ成から登って来たほうとは反対側に山を下りると枡形虎口があります。

枡形虎口は三方が傾斜面で囲まれ、攻めて来た敵を一網打尽にする防護施設になってます。
枡形虎口の案内看板。 地元小学生によるイラストが上手いです。
さらに山を下りると長成という馬乗り馬場だった細長い道が続く箇所があります。

ここは初めて来ました。 ですが、この先は藪になってて進むことを断念し引き返す。
再び山頂を目指す。 詰ノ成(本丸)の北側に配する出張成にも行ってみました。
山頂の詰ノ成を目指します。 8合目。

なお、この後の9合目は無かったです。
8合目にあるのが旧金山八幡宮の跡。

現在の八幡宮は3合目に移築されてましたね。
そして、山頂の詰ノ成に到達です。
金山要害山城、詰ノ成の看板が立ちます。

金山要害山城はこの地域を治めた戦国武将、宍道氏の居城でした。
詰ノ成から大堀切を挟んで二ノ成を眺める。
木や草が刈られ整備されてるので山城の段々構造がよく見て取れます。
詰ノ成(本丸)のさらに奥、一段高いところにあるのが天狗成(見張り台)という最高所。
金山要害山城の説明板が立ちます。 令和2年(2020年)の看板なので新しいです。

下の登城口にあった説明板(昭和63年)よりさらに細かく詳しく書かれています。
東西400m、南北600m、24万㎡の広さに、48もの成(郭)、急峻な切岸、大堀切、土塁、土橋、竪堀、枡形虎口、櫓台など戦場の地形を普請した壮大な縄張りが構築された大規模な山城でした。

とても広いので全てを見て歩くのは難しい。 まだ整備されてなく行けない箇所もあると思う。
金山要害山周辺図。

登山道は2つあるようで、今度はもう1つの登山道を歩いてみたいなぁ。
戦国武将の宍道氏居城から眺める宍道湖です。

ここから支城の宍道要害山城も見えるというが?よく分からない。
山頂からの景色を眺めながら鉄人小橋建太の缶コーヒーを飲んで休憩の図。
これにて金山要害山城は攻略としました。(5年ぶり2回目)
無事に下山して公民館に戻る。

金山要害山城は見応えと歩きがいのある立派な山城跡でしたね。 ありがとうございました♪