尾原ダムでダムマニア認定証を授かった後、そのままトンボ帰りも何なので近くにある三沢城跡に寄って趣味の城跡巡りです。
なお、三沢城跡を訪れるのは自身3回目。
(過去:
2019年、
2022年)
三沢城跡(要害山)は標高418.5mの山に築かれた中世の山城。

要害山とは地形が険しく守りの堅固な山城・要塞・砦のこと。 三沢城は北・南・東の三方に流れる川を天然の堀とし、西は高さ200mの切り立った崖がある天然の要塞でした。
山間の町を通り抜け坂道を上がって、三沢城跡の駐車場に愛車を停めます。
駐車場からすぐ上にある三沢城跡の登城口。

標高418.5mですが、現在地が既に340mなので、山頂まで80mほどの標高差です。
縄張り図

三沢城は14世紀初頭に三沢氏によって築城されたと伝えられ、北側と東側の尾根を中心に大小30以上の曲輪が確認されてます。 城跡は土塁・堀切・枡形など中世山城の遺構をよくとどめており、戦国時代の豪快な縄張りの山城として貴重です。
山頂の本丸までは徒歩20分の道のり。 登山道はずっと整備されてます。

早速、小さな虫が耳元に纏わりついて鬱陶しいので、スタン・ハンセンのブルロープのようにタオルを振り回しながら登りました。
足元をササッと動いたものがいてビビって驚くとその正体はサワガニでした。(写真ブレ)
大手門石垣
大手門跡を通ったところに広い平坦なスペースの二の丸。

三沢城の大手門を備えた重要な場所です。 正面の南からの大手口、北からの水ノ手口、西からの萩森口、三方全てがこの二の丸で繋がり、ここから一筋の道となり本丸に至ります。
猛暑の中、さらに登っていきます。 額から流れる汗は指ワイパーで跳ね飛ばします。
迷路石垣

勾配が急な所で敵の侵入を石積みにより迷路を設けて撹乱する構えになってる石垣です。
画像見にくいですが石垣あります。 ほとんどは土に埋もれてるのかもしれない。
七曲り

山上部まではくねくねつづら折りの山道が続きます。
山上部に着いてここは本丸の下にある郭。
三沢城跡の石碑が立ってます。

三沢城は1309年から1589年に至る三沢氏の居城で中世山城の代表的なものの一つです。
本丸を中心として俗に四十八担といわれる平坦な地・壕・土塁・石垣などがあり全体規模は大きい。
本丸城壕。 城壕(じょうごう・しろぼり)とは堀切のこと。

左を登ると本丸(第1郭)、右を登ると鳥居丸(第2郭)です。
まずは鳥居丸(第2郭)に上がりました。

鳥居丸(第2郭)は奥に一段下がって続いており、その先には深い鳥居丸城壕が掘られてます。
鳥居丸(第2郭)の南端にある盛られて高くなった土壇が諏訪社壇。

三沢氏の祖先は信州から来往しており、故郷の諏訪神社を祀り守護神にしていたそうです。
古井戸
鳥居丸(第2郭)の北端から鳥居丸城壕(深い堀切)を背にして鳥居丸を振り返り。

鳥居丸は2段構造になってます。
鳥居丸(第2郭)から本丸を眺める。
鳥居丸から本丸城壕(空堀)を経て、山頂の本丸(第1郭)にやってきました。
本丸に立つ説明版。

合計30余りの大小曲輪(郭)から成る三沢城は、急峻で要害堅固な中世山城の最も曲型的なものであり、今日に至るもその姿をよく保存している好例であると書かれてます。
山頂の本丸からの眺望はどっちを向いても山々の景色です。
休憩できる小屋が建ってます。

テーブルの上にご来訪の芳名録があったので記名しておきました。
小屋より先、本丸の奥側です。

2年前に訪れたときはここをアナグマがのそのそと横切って歩いてたのでとても驚きました。
本丸にも三沢城跡の石碑が立ってます。
亀岩

埋まってる岩が亀の頭と甲羅の形をしていて、下には財宝を埋めたという埋蔵金伝説が残る。
三角点を捕獲しました。
三沢城跡の本丸で飲むアサヒWONDAプロレス缶は三沢光晴ではなくてアントニオ猪木です。

ハッキリ言って三沢光晴のプロレス缶はぶっちゃけ2年前にこの場所で飲んでるんでね。
自身3回目になった三沢城跡の攻略を果たし、下山してから近くの特産市にやってきました。

暑い中での山城巡りで軽い有酸素運動をした後は、体が何か冷たいものを欲してました。
巨峰ソフトクリームを美味しく頂きました♪

以上です、ありがとうございました♪
No.4340
Posted at 2024/09/09 21:22:20 | |
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