2017年04月03日

先日書いたブログの続きになりますが、ホンダの第3期F1活動では”車体
開発を含めたフルワークス参戦”を掲げ、当初は自前でチームを組み”白い
ホンダF1”ことRA099でグランプリに参戦するはずが、当時ホンダ全体の
売上利益に大きく貢献したホンダの米国法人(以下アメホンと略す)の社長
他の反対派の声に屈して、バカでアマチュアなレーシングチームBritish
American RacingことBARとジョイントで参戦する形にならざるを得なく
なりましたが・・・
では、アメホンの社長他の反対派の声を押し切って、当初からフルワークス
参戦が出来ていたらどうだったんだろうか?とちょっと考証してみます。
まずはチーム体制から・・・
ブリティッシュアメリカンタバコからの資金が潤沢にあっても、ジャック・
ヴィルヌーヴ選手と深い間柄って要素が非常に強いクレイグ・ポロック氏が
代表で、F1マシンの製作経験に乏しいマルコム・オスラー氏がテクニカル
ディレクターを務め、スタッフも寄せ集めと、まとまりに欠ける素人集団の
BARに対し・・・
資金はBAR程潤沢ではなくとも、テクニカルディレクターをフェラーリや
ティレルで活躍したハーヴェイ・ポスルズウェイト氏が務め、スタッフは
'98年まで参戦していたティレルの面々が中心だったので、BARに比べて
遥かにシーズンを戦える体制にあっただろうと思えます。
次はマシンについて・・・
F3000より下のカテゴリーでは経験が豊富なれど、F1マシン製作の経験が
ないレイナードが製作し、同じくF1経験の少ないマルコム・オスラー氏が
デザインを手がけたものの、前年度は無得点に終わったことを考えて、期待
値に?がつくBARに対し、F1経験の豊富なハーヴェイ・ポスルズウェイト
氏がデザインし、製作はF1経験のあるダラーラが手がけており、実際に'99
年のプレシーズンテストではトップタイムを叩き出すなど、期待値が高め
でした。
その2点を踏まえて'99年のシーズンを戦えていたら・・・
まずハーヴェイ・ポスルズウェイトさんは死ななかったでしょうし・・・
オールホンダチームと言うことでホンダ側の真剣度が増し、責任感が遥かに
強まるでしょうから、あの当時2強だったフェラーリやマクラーレン、及び
無限ホンダを積むジョーダンには恐らく及ばなかったでしょうが、凋落の
一途を辿っていたウィリアムズやベネトンあるいはスチュワートやザウバー
とは互角以上に戦えたでしょうし、プロストやBARあるいはミナルディに
対してはOut of 眼中だっただろうと思います。
そして協業が進めば、実際は最初(で最後)の勝利を挙げたのは2006年の
ハンガリーGPでしたが、もっと早い段階で初勝利を挙げられ、その後も
勝てる可能性があったでしょうし・・・
また、ゆくゆくは中嶋さんを監督に据えて、あの当時だったら高木虎之介
選手か佐藤琢磨選手を出走させて表彰台の可能性もあったでしょうね。
以上、(素人考えではありますが)オールホンダで参戦していたら、BARと
組むよりも遥かに高い可能性を感じられただけに、参戦中止の決断を下した
ホンダに対しては・・・

とねぇ、今でも言いたいわけですよ( *`ω´)
Posted at 2017/04/03 23:32:58 | |
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