
※添付表題画像は乃木坂46随一の至誠の人、橋本奈々未氏。
去る1/5(火)は靖国神社と乃木神社へ初詣に行きました。
古人に曰く、一年の計は元旦にあり。正確には元旦は過ぎて居りますが、昨今の武漢ウイルス感染防止の為、三が日の密集陣形を避ける御詣りとした訳であります。
密集陣形、其は古代ギリシャにて生まれし戦闘教義…。
ファランクス(Pharanx = ファランクス(古代ギリシャ語: φάλαγξ、phalanx)は、古代において用いられた重装歩兵による密集陣形である。集団が一丸となって攻撃するファランクスは会戦において威力を発揮した(Wikipediaより引用抜粋)
今は武漢ウイルスに対し守るべき時。しかしながら隠忍自重・臥薪嘗胆の気概だけは忘れず、時来たらば一気呵成に攻めに転じましょう。
此ぞ令和に生きる神州日本の帝国臣民たる心得の「ファランクス」であります。
話を元に戻しますと、護国の礎となられた英霊の方々を祀る靖国神社。日本武士道精神、そして乃木坂魂の原点たる乃木希典大将閣下を祀る乃木神社。
此の二つの御社(おやしろ)に詣でることに依り、身も心も引き締まる訳であります。
靖国神社名物大鳥居。此方へは、10年来お世話になって居る恩師と向かいました。
傍らには日本武道館。先日の乃木坂46の感動のアンダーライブから2週間余り。緊急事態宣言も発令されんとする昨今、次にライブ自体が出来るのはいつの日になるのか?
御本殿。
英霊縁の武徳を偲ぶ品々を展示する遊就館。実際に活躍した汽車、零戦、野砲等々。
爆撃機・彗星。
特攻隊出撃の図。
前述の彗星のエンジン。
彗星の旋回後方機銃。
前方より勇姿を拝む。上に吊るされて居るのはロケット特攻機・桜花。
南方戦線より里帰りした遺品の数々。胸襟を正す思いでありました。
凡そ2時間余りの観覧の後、遅い昼飯はインド風カレー店へ。
九段下で恩師とは別れ、私は一路乃木坂駅、乃木神社に向かいます。
途中3期生の先陣をきって活躍なさる梅澤氏の御生誕を祝す告知ポスターを拝見。乃木神社直通の地下鉄構内通路は、いわば勇士達もお通りになられる参道でもあります。其の方々の御目にかかる所へ貼られるとは中々粋な計らいであります。
外界に出れば既に釣瓶落としの如く、夜の帳も下り始めて居ました。
一礼の後鳥居をくぐり、
防疫対策の施された所を抜けて境内に入ります。
ライトアップされた聖域、ピンと張り詰めた冷気と空気。人は疎らでありました。
御賽銭は、乃木坂46勇士達に敬意を表して46圓也。
御本殿の様子。
神社の傍らには乃木希典大将閣下の記念館が御座いました。
幼い頃から厳格に武士道精神を基として教育された乃木大将。其の御様子は戦前の尋常小学校の授業にあった修身の教科書にも「至誠」と云う項目で載る程であります。精神的荒廃の叫ばれる現代社会。修身は義務教育課程で復活させるべきではなかろうか?とも思います。
明治大帝崩御に伴い、殉死なされた乃木御夫妻の御刀。
丑年だけに縁起の良い掛け軸。
思わず考えさせられる四字熟語。
乃木大将閣下には、様々な高潔な逸話が御座います。
ロシア軍立て籠る旅順要塞を陥落せしめた後、敵の将軍ステッセルとの会見が御座いました。
しかし、其の様子を記念撮影に残すと云う時、乃木大将閣下は、「ステッセル氏が敗軍の将として、後世に恥を残してはいかん。降伏されたとはいえども、誇りと共にサーベルの帯剣を許す!」と、敵方の面子も配慮すると云うフェアな精神を見せたのであります。
※以下に詳細引用文。
鬼神の強さをもつ軍神乃木は、ただ剛勇だけの将帥ではなかった。
「武士の情(なさけ)」をあわせもつ「花も実もある」真の武人であった。それを示す戦争中の佳話が敵将ステッセル(旅順要塞司令官・陸軍中将)との「水師営の会見」である。
「古今の最難戦」であった旅順攻囲戦が終った明治三十八年一月五日、旅順要塞近くの水師営で会見は行われた。乃木はこの時ステッセルに対し、深い仁慈と礼節を以て接した。会見においてアメリカの映画関係者が一部始終の撮影を希望したが、乃木はそれは敗軍の将に恥辱を与えるとして許さず、ただ一枚の記念写真だけ認めた。
乃木とステッセルが中央に坐り、その両隣りに両軍の参謀長、その前後が両軍の幕僚たち、ロシア側は勲章を胸につけ帯剣している。全く両者対等でそこには勝者も敗者もない。
この有名な写真が内外に伝わるや、全世界が敗者を恥ずかしめぬ乃木の武士道的振舞、「武士の情」に感嘆したのである。世界一強い陸の勇将はかくも仁愛の心厚き礼節を知る稀有の名将と、賛嘆せずにいられなかったのである。欧米やシナの軍人には決して出来ぬことであった。
会見で乃木はまず明治天皇のステッセルに対する仁慈に溢(あふ)れるお言葉を伝えた。
「わが天皇陛下は閣下が祖国のために尽くされた忠勤を嘉賞(かしよう)し給い、武士の体面を保持せしむべく、私に勅命あらせられました」
この言葉にステッセルはいたく感銘してこう答えた。
「貴国の皇帝陛下よりかくのごとき優遇を蒙(こうむ)ることは、私にとって無上の名誉であります。願わくは閣下から私の衷心よりする深厚なる謝意を電奏せられたい」
このあと両者は打ち解けてなごやかに語り合った。
ステッセルは日本軍の不屈(ふくつ)不撓(ふとう)の勇武を天下に比類なきものと賛嘆を惜しまなかった。
乃木もロシア軍の頑強無類の守備の堅固さを称えた。続いてステッセルは乃木がこのたびの戦いにおいて二人の息子を戦死させたことを哀悼した。
すると乃木はこうのべた。
「私は二子が武門の家に生れ、軍人としてその死所(ししよ)を得たるを悦(よろこ)んでおります。両人がともに国家の犠牲になったことは一人私が満足するばかりではなく、彼ら自身も多分満足して瞑目しているであろうと思います」
ステッセルは愕然として言った。
「閣下は人生の最大幸福を犠牲にして少しも愁嘆の色なく、かえって二子が死所を得られたことを満足とされる。真に天下の偉人であります。私らの遠く及ぶところではありません」
そこにはもはや仇敵同士の姿はなく藹々(あいあい)たる和気が漂った。
乃木の人物に深く打たれたステッセルは白色の愛馬を乃木に献じた。
この両者の会見は唱歌「水師営の会見」として小学校で教えられるなど、永らく人々に愛唱された。
※以上引用終わり。
此の見事な精神は、昨年末の紅白歌合戦に於いて敵AKB48が落選の憂き目にあった時、公式ライバルである乃木坂46を代表しての秋元真夏キャプテンの発言にも見て取れます。
此ぞ勝利の時!と言っても世間的には何ら可笑しくはないと云う所、公式ライバルとしての敬意を表された真夏キャプテン。此ぞ乃木大将閣下の示された武士道精神を、時代を越えて乃木坂魂として継承して居る揺るぎ無い、確固たる事実なのであります。
果たしてそんな乃木坂46が、今後駆け昇らんとする坂の上には一体如何なる雲が待ち受けて居るのか?
坂の上の雲、其は司馬遼太郎氏の明治日本を扱った歴史的超大作…。
因みに司馬氏は乃木希典大将閣下を無能と嘲って居ります。確かに閣下指揮の下、多くの将兵が命を捧げることとなりましたが、ロシア側が三年は持つと豪語した旅順要塞級の代物を近代野戦攻城術に於いて僅か半年足らずで落としたのは、寧ろ世界戦史的には称賛されて居ることなのであります💪
其の坂の上の雲の正体は、もしかしたら試練をもたらす雷鳴轟く暗雲であるのかもしれません。
しかしながら其の雲の切れ間にも注ぐ一條の光は、必ずや各勇士達の行き先を照らしてくれるものと信じて居ります。大同一心・臆せず進むのが肝要なのであります。
光はどこにある? 僕を導いてくれ
太陽は 太陽は 夢の背中を押す
明日はどこにある? ヨロヨロと立ち上がれ
夜明けまでは さあ かっこ悪くていい
朝日が見えて来た 弱音はもう吐かない
今日こそは 今日こそは 自分らしく生きる
(by 乃木坂46・24枚目シングル、夜明け迄強がらなくても良い。一部抜粋)
さあ、此の歌詞の意味も噛み締めて、我々も又一意専心に、己が関わる家族、友人、知人等々には至誠を尽くすを第一義として、勇猛果敢に人生を邁進して参りましょう💪
※当日入手せる各御朱印並びに御守り。