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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2020年07月31日 イイね!

再録・橋本氏の心の中6

再録・橋本氏の心の中6此の日の埼玉スーパーアリーナは「スタジアムモード」。他の催しでは中々類を見ない最大級に観客が入る設定でありました。無論、会場に集った35000人の観客だけではなく、参加は叶わずとも全国に散らばる幾万とも知れぬファン一同の心は、関東の此の一角に集中していたのであります。




















乃木坂46のライブ開始を告げるオープニング曲の「オーバーチャー」が流れて、観客達が歓声を上げてリズムを合わせます。続いてステージ上に設けられた大型モニター(モニター裏にも音席と呼ばれる音声と画像のみで観覧する席がある。約5000人分)に流れる、橋本氏の歴代PVやら思い出深い映像の数々…。改めて今日此の日が一つの時代の締めくくりであると、誰もが否応なしに感じ取ったのでありました。

































しばらくして、舞台演出で焚かれた煙幕の中から登場したのは、威風堂々たる橋本氏。360度見渡す限りが橋本氏のサイリウムカラー(各勇士ごとに異なる。複数色、単色のいずれか)である緑色の海と化して居りました。正に心は一つであります。ゆっくりと、周囲を一瞥して、ニコリと笑うと、やおら意を決したが如く、深々と最敬礼…。此の時氏の胸中去来するものは、只々全てに対する「ありがとう」と云う感謝の念であったと思われます。





















歴代のbirthday liveではデビューシングル「ぐるぐるカーテン」から、順番通りに歌って行く形でしたが、今回のセットリスト(演目)は、橋本氏自らが特に思い入れのある曲を選抜なされたものありました。










此に先立ち運営側より橋本氏へ一つの提案がありました。


「今回の卒業コンサートは乃木坂46の橋本奈々未が最後を飾る晴れ舞台である。どうだろう?君を全てセンターにした特別セレモニー版として、思い出に残すというのは?」


長年の功労賞として橋本氏に対する粋な計らいの提案でありました。しかしながら此を制して橋本氏に曰く、


「非常にありがたいお申し出であるが、辞退させて頂く。確かに私の卒業コンサートであるが、其以前に乃木坂46の結成5周年を祝うライブである。私個人の為に私物化しては申し訳ない。ファンの方々にも馴染み深い伝統ある形でお願いしたい。選抜曲だけではなく、人知れず努力を重ねたアンダー曲にもスポットが当たる様なセットリストも考えてある。よろしく頼みます。」


最後の最後迄、自身の事よりも他を優先させようとする橋本氏の謙虚な心意気に触れ、心を打たれた運営側は涙ながらに其を快諾したのでありました。


サヨナラの意味から次々と歴代の名曲が流れます。長年共に戦陣を駆け抜けた白石麻衣氏は、自身最初の記念すべきセンター曲「ガールズルール」が流れた時、「ななみん(橋本氏のあだ名)ラストー!!」 と、歓声を上げ、橋本氏も「しーちゃん(白石氏のあだ名の一つ)行くぞー!」と、共にセンターステージ迄走り抜けたのでありました。























龍虎相立つ美の奇跡・双璧と称せられた2人。同じ道をこうして駆け抜けるのも最後、これから駆け抜けた先にあるのは全く違う道となります。一歩一歩、一言一句を噛み締めながら、演目を進める姿が其処にありました。


続く
Posted at 2020/07/31 17:52:28 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年07月28日 イイね!

再録・橋本氏の心の中5

再録・橋本氏の心の中518歳で北海道から上京し、食うや食わずやの貧困大学生生活から「芸能界ならロケ弁と云う食い扶持にありつける」という目的で当初乃木坂46入りを果たした橋本氏。









それから5年…。元々頑丈では無い身を省みずに自らを鞭打ち、努力を重ね、献身的犠牲を伴う奮戦敢闘に依り、今やグループ内でも、芸能界でも、ファッション業界でも老若男女問わずに圧倒的支持を受け、名実共に不動磐石なる立ち位置に辿り着いた橋本氏。













しかし、如何に鋭く研ぎ澄まされた名刀と云えども激戦を重ねればいずれ刃こぼれを起こす様に、或いは如何に百発百中の名弓と云えども征矢を放ち続ければいずれ引き絞られた弦が切れる様に、既に肉体的には満身創痍の限界迄来て居りました。


只、其を超越する精神力。是即ち家族の為、ファンの為、乃木坂46の運営組織と同期の桜たる1期生、後輩の2期生、後に続く3期生等々自らを取り巻く全ての環境の為にと云う信念と義務感が橋本氏を突き動かし続けて居たのであります。


そんな最中に舞い込んだ「無理をするな」と云う一通の母親の手紙が、橋本氏をして人生の岐路を「己が本来進みたい道」へと、転進せしめたる決断を促したのであります。


「私も24歳を迎える。郷里の友人達は各々、学生の身から一般的な社会人の道を進んで居る。其が率直に羨ましくも感じるな…。アイドルは引き際も肝心か。乃木坂46としての橋本奈々未、此処等でよかろうかい…。」


2016年10月の卒業発表から怒涛の如く時は流れて行きます。最初にして最後、「センター橋本奈々未」としての終幕を飾る花道。最後のご奉公であります。11月「サヨナラの意味」発売。12月はクリスマスライブから握手会。紅白歌合戦出場。明けて2017年1月、そして2月に再び最後の握手会…。全国から集いし幾万ものファン達が、乃木坂46創世の最大の功労者の1人へ、涙の別れを惜しみました。


※当時の報道と、現場での長蛇の列の様子。




















※握手会時に於ける橋本氏の御様子。









※2017年2月5日、橋本氏最後の握手会の御様子。





















※報道の様子と、ファン一同感謝の印。



















そしていよいよ迎えた2017年2月20日。「乃木坂46 5th birthday live 橋本奈々未卒業コンサート」。会場は埼玉スーパーアリーナ。ファン達の別れの涙、慟哭を表したが如く、寒風荒び、氷雨が容赦なく地面を叩きつけます。集いし一同は皆、解っては居りました。後に初代センター生駒氏が語るところの「ぐるぐるカーテンから始まった乃木坂46。第2章の始まりは17枚目シングルのインフルエンサーからだったのかもしれない…。」今日が第1章の終幕、一つの時代の区切りであると…。


















そして時は午後6時、約35000人の大観衆が息を潜めて見守る中、サヨナラの意味の衣装に身を包んだ橋本氏の勇姿が、ステージ上に現れました。


続く
Posted at 2020/07/28 17:23:21 | コメント(1) | トラックバック(0)
2020年07月22日 イイね!

再録・橋本氏の心の中4

再録・橋本氏の心の中4一見すればクールビューティとの評も高かった橋本氏。しかし如何にアイドルとしての笑顔を振り撒きつつも、見た目の華やかさとは裏腹に、 他の勇士の方々とは違う「陰」、触れれば壊れてしまいそうな硝子の如き儚さ、内に秘めたる、ある種の「危うさ」をはらんだ方でもありました。


其を秋元康総合プロデューサー氏は、「棘(とげ)」と表現したのであります。綺麗な薔薇には棘がある、という言葉も在りますが、正に言い得て妙でありましょう。






其が橋本氏の写真集第1幕「優しい棘」という題名にも現れて居ります。更には16枚目シングル「サヨナラの意味」に登場する橋本氏扮する「棘人(しじん)」、即ち感情の起伏により、何人(なにびと)をも寄せ付けない棘を体中から発するという人物像を佳く描いて居るのであります。



































※写真集・優しい棘の表紙。二種類存在した。

セブンイレブンでの予約版。



通常版。




思い起こせば、橋本氏の卒業の伏線については、勇士達も過去何度か見届けて参りました。其の為、卒業発表については、「いつか来るものが、遂に来てしまった」という感も強かった様であります。


例えば初期の冠番組登場前では過呼吸で倒れ伏すこともしばし。時は下って2014年は、乃木坂46が有名になるに連れて仕事も多忙化。通って居た大学を夢半ばで中退するの已む無きに至り、更にはアナフィラキシー症候群という謎の病症により、体も前後不覚となる有り様に…。体重も一挙に30kg台迄落ち、一時は命すら危ぶまれたのでありました。


















それでも、這いつくばってでも前進しようとした橋本氏。胸中去来するものは一体何であったか?


「動かぬ我が身…、此程口惜しいものは他に無い。既に皆は真夏の全国ツアー2014の戦陣に立とうとして居る…。大勢の、沢山のファンの方々も待っておられる。こんな所で遅れを取ってなるものか…!斯様な姿を、郷里に残した父上、母上、そして我が愛する弟には見せられん。申し訳が立たんでは無いか!」


将に忠孝義烈…!鬼神をも哭かしむる気迫と闘魂、例え我が身が砕け散ろうとも、全てのファンの為、戦友の為、郷里の家族の為、道産子の意地に掛けても橋本氏は前に進もうとしたのでありました。


しかしながら、流石に此の時ばかりは知人友人、戦友・勇士達も皆、橋本氏の自室迄駆けつけ、「栄養を付けよ!」と、療養を促したのであります。


「奈々未!何故、斯様に無理するのか?!親御さんから授かった体を粗末にしてはならん!」

「気遣い無用!父上、母上には無理して東京の大学行きをお許し頂いておきながら、乃木坂との両立叶わず中退の憂き目!あまつさえ、ファンの皆様方、乃木坂の運営スタッフさんから戦友・後輩の皆に迷惑を欠けておる始末!此儘おめおめと生き恥を晒せようか!?弟の学費のこともあるのだ!這ってでも行くぞ!止めてくれるな!」


「今はまず、休め。そうでなくてはライブなど叶わんぞ…。」


周囲の説得と、後日いらした母親の献身的看護もあり、橋本氏の体調は回復したのでありました。此の時生誕委員会等のファンの呼び掛けもあって、千羽鶴が橋本氏の元に送られるという美談を残しました。


已む無く休場した2014年のライブツアーの途上、勇士達の活躍を見た橋本氏。「皆に追い付けるのか?否、追い付くしかあるまい…」


此の無念と決意を噛み締めた橋本氏。2015、2016と飛躍的な活躍を見せます。しかし、2016年の真夏のツアー、神宮会場でのリハーサルの途中、長年の無理も祟ったのか?腰を激しく痛めてしまい、緊急搬送の憂き目に遭われたのであります。


しかし、橋本氏は本番にあたり、不屈の精神力で痛み止めを打ち、アドレナリンを放出してその苦しみすら忘れ、ものともせずに全力でのパフォーマンスを駆けつけた数万のファンに魅せつけたのでありました。


スタッフより、「椅子に座りながら大御所が歌う感じでゆっくりやろうではないか?腰の負担を軽く出来るぞ。」という提案があった時、「せっかく良い振り付けがあると云うのに、私1人のせいで台無しには出来ません!通常通りやらせて下さい!ファンの方々が待って居られます!お願いします!」と、血書嘆願の如く強い直訴ではね除け、其の儘、腰の爆弾を抱えた儘舞台にかけ登ったのでありました。











橋本氏が誰からも一目置かれ、尊敬の眼差しを受けていたのは、こうした氏の姿勢に依る所、大なるものがありました。



其だけに、卒業発表の世間に与えた衝撃も又、大きかったのであります。


続く
Posted at 2020/07/22 13:48:18 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年07月18日 イイね!

再録・橋本氏の心の中3

再録・橋本氏の心の中3橋本氏が桜井氏と生田氏と共に卒業発表・芸能界に於ける全作戦行動終結の玉音放送に望んだのは、二人が自分自身に対して甘くない、ズルくないというのを特に感じていたからとのことでありました。




人に優しくても自分自身には厳しい氏らしい考え方であります。卒業発表に落涙を禁じ得ない桜井キャプテン(当時)と生田氏… 。


後に語る所では、桜井氏が「大多数の我等同年代の婦女子と比しても、橋本氏は全く自我がぶれない強さがある」。





生田氏が「そもそも橋本氏の様に己自身にすら冷理冷徹に見据える御仁がアイドル稼業をして来た事。其自体が奇跡的である。」と述べられ、グループ全体で橋本氏の幸多からん未来を全力で願い、今後も応援していくと決意を新たにしたのであります。







橋本氏が卒業を決めたのはいつ頃のことであったか?実は此乃木坂46オールナイトニッポンでの放送前に、詰め寄せた記者クラブ・報道陣に対して会見を開いた内容が其を物語っております。


「卒業は乃木坂46に入った時から考えている。乃木坂が結成され、1期生合格発表のあった2011年当時はAKB48さんのフライングゲットが大盛り上がりを見せ、後に前田敦子氏の卒業が取り沙汰された頃である。アイドルの卒業とは斯様なもので、いずれ我が身にも降りかかることと承知していた。」


※2011年年度のレコード大賞を受賞したAKB48の夏曲フライングゲット衣装。ミリオンセラーを連発し、天下無双を誇った強大なる同グループへ公式ライバルとして乃木坂46が結成・宣戦布告を換発したのが同時期であります。





※2012年3月、さいたまスーパーアリーナに於ける前田敦子氏。何度も嗚咽を交えながら行われた卒業発表と、肩を支える盟友高橋みなみ氏。奇しくも此の5年後に同地に於いて橋本氏は卒業ライブをなされました。





※同年8月、2005年の結成以来悲願であった東京ドームライブの夢を叶えたAKB48。其の卒業ライブに於ける前田敦子氏の御様子。




「乃木坂46に動員されてからは、スタッフさんなど周囲から仕事・任務が来ていた。除隊復員後は一般社会の感覚を養うべく、今は英語や秘書検定を学んで居る。」


「芸能界への復帰は考えて居ない。かつて色々と貧窮した折りに、現状打破の為に幸いにして乃木坂46への道が開けて、入らせて頂いたのだ。家計援助の目標を達した以上は、自らの進まんとする本来の道を模索したい。富や名声だけの為だけにいつまでも芸能界に居残ってはならない。其では他の方々に申し訳が立たんであろう。」


「色々と軌道に乗って、落ち着いたら30歳ぐらいには籍を入れたい。私はこう見えて荒ぶる気性もあるから、器の大きい優しく穏やかな御仁が良いな(苦笑)」


「私のファンであった方々は、乃木坂46全体が好きであると思う。私は過去の画像、動画で残るから、これからは組織全体に視野を広げて応援して欲しい。」


淡々と心中を語りつつも、組織全体やファンの方々への思いも強かった橋本氏。其は当時入営間もない3期生新兵達のことも視野に入れた発言でした。


※2016年9月の3期生御披露目当時の様子。






※橋本氏の意志を継ぎ、立派に中核勇士達に成長した3年後の様子。




氏の儚くも尊く、そして潔い身の処し方、言動が効をそうしたか?センターを勤めた16枚目シングル「サヨナラの意味」は100万枚以上販売のミリオンセラーを獲得。乃木坂46の組織全体としての初金星、歴史的な赫赫たる不朽の大戦果を収め、不滅の金字塔を打ち立て、其栄光を橋本氏は最後の手向け、置き土産としたのであります。


※当時の新聞、テレビ、ネットニュースに見る報道発表。









其はただの素人・寄せ集めの集団であった乃木坂46が公式ライバルのAKB48に漸く追い付く所迄来たことを意味しました。結成から既に5星霜の時が流れて居たのでありました。









続く
Posted at 2020/07/18 00:10:40 | コメント(1) | トラックバック(0)
2020年07月16日 イイね!

再録・橋本氏の心の中2

再録・橋本氏の心の中2此処でまずは橋本氏の人と成りをご説明致します。一体如何なる人物であったのでしょうか?


盟友・白石麻衣氏を戦艦大和、ゼロ戦とするならば、橋本氏は姉妹艦武蔵、一式戦闘機隼といった所でしょう。


共に旧帝国陸海軍を代表し、時代の荒浪に揉まれながらも駆け抜けた最強の存在で、現代でも日本人の記憶に残るものであります。


そして、橋本氏の人間性を一言で言うならば、「仁・義・智・礼・徳」の全てを兼ね備えた方でした。


1993年2月20日北海道旭川市生まれ。幼少期より厳格なる躾教育、勉学、常識等を叩き込まれました。当時の父親は橋本氏が甘えようとするならば「奈々未さん!」と敢えて敬語で叱り、厳冬の屋外へも平気で放り出す等の峻烈ぶりでありました。


其の甲斐もあってか?学校の模試では全国一位を取るなどの秀才ぶりを発揮。趣味の読書では、特に偉人伝を好み、なかでもガリレオガリレイに深く感銘を受けたとのこと。氏の事に臨んでは周囲はどうあれ、己が意志を強く持つ姿勢はこの時から養われたのでありましょう。


高校時代はバスケ部マネージャーを勤め、この時に集団生活での立ち位置等を学んだと考えられます。卒業後は「東京に出たい」という一心で大学進学と共に上京します。


しかし、家計状況も芳しくない苦学生でもあり、奨学金、バイト代等生活費は学費に消え、食うや食わずやの貧困生活を送りました。水道・電気・ガスが止まったり、散髪は美容室のカットモデルで安価に済ませたり、苦難の日々が続きます。


元来、体もあまり丈夫ではなくフラフラになりながらバイトと学業の掛け持ちをすることも…。ある時は1日1食1個だけの貴重なおにぎりを己の置かれた境遇を嘆き、感情が決壊したが如く地面に叩き付け、激しく瞠目したこともあったそうです。

「私は一体…?東京に来て何をして居るのだ!?此の儘ではいかんぞ…。さりとて、御家には迷惑は掛けられん。其に我が弟も学問の道を進まねばならんのだ。何とかせねば…」


そんなある時のこと。2011年の夏、乃木坂46の募集要項を目の当たりにし、「芸能界ならロケ弁当が食べられる」という、凡そアイドルらしからぬ動機から応募、同年8/21に見事合格を果たしました。


いまだ誰も知らない、東京に埋もれていた当時齢18歳の一人の少女の人生は、其処からから大きな転機を向かえることになり、無名新人からトップアイドルグループの中心人物となって行くのであります。


※18歳当時、デビュー直後の橋本氏




其から5年余りの歳月が流れた2016年秋、16枚目シングル選抜発表。


「与えられた以上は、良いものを作って世に送り出して残したい」。橋本氏がセンターに就任した直後のインタビューにて。静かに淡々と、しかし力強く発した言葉であります。





其の胸中に深く秘めたる思いは如何ばかりであったか?5年間活動して来て、漸く得たセンターの重責を噛み締めたのか?或いは他に思う所あったのか?真意は氏のみぞ知る、でありました。


同じく2016年の某日。北海道の母親から一通の手紙が投函されて居たのを見つけた橋本氏。「母上からか?何と書いてあるのだ?」。


其処には「今迄苦労を掛けた。弟は特待生として大学入学を果たした。だから家計援助の必要はもう無い。お前の好きな様に生きて良い」と云う内容でありました。


「食い扶持に困って乃木坂46に入って早5年か…。只々ひたすらに愛する家族の為、弟の為、家計を支えるべく活動してきたが、此所に来て我が役目は終わったと云うことか。」
「新たな道を模索してみたいものよ。しかし、其が意味することは?これは果たして言わざるべきか?否、口にしなくては前進しない…。」深謀熟慮・試行錯誤を繰り返し、氏は覚悟と決意を決めたのであります。


そして迎えた運命の日。2016年10/19の深夜ラヂヲ番組「乃木坂46オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の放送に於いて橋本氏の桜井キャプテンと生田氏を目前にしての発言。


「皆さま方も、此度の選抜発表を不可思議に思われたことであろう。既に御察しの如く、私、橋本奈々未は乃木坂46を卒業する決を下すに至った。」

「また、来年(2017年)の2月を以て芸能界も引退し、2/20の誕生日を迎えて24歳からは一般庶民として生きることにした。」

まあ、そんなところか?と云う皆の反応であろうと、橋本氏はお考えの様であった所、意に反して此の衝撃的な発表は全世界を駆け巡ったのでありました。


※翌日の新聞報道写真(みん友のいぃ氏より画像提供。ありがとうございます。)





記事概要

公式ライバルとしてデビューせる2011年8月以降引続き、優勢なる敵AKB48を芸能界の一角に圧迫し激戦敢闘、克く敵戦力を撃砕しつつありしが、其の目的(家計援助)を達成せるに依り、2017年2月下旬芸能界を徹し、他に転進せしめられたり。


芸能界での全作戦行動の終結…。
其はかつての我が国に於ける大東亜戦争終結にも似た衝撃的な出来事でありました。


※終戦を報じる各紙。





続く
Posted at 2020/07/16 22:16:18 | コメント(0) | トラックバック(0)

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何シテル?   04/28 08:44
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