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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2019年07月31日 イイね!

橋本氏の心の中5

橋本氏の心の中518歳で北海道から上京し、食うや食わずやの貧困大学生生活から「芸能界ならロケ弁と云う食い扶持にありつける」という目的で当初乃木坂46入りを果たした橋本氏。









それから5年…。元々頑丈では無い身を省みずに自らを鞭打ち、努力を重ね、献身的犠牲を伴う奮戦敢闘に依り、今やグループ内でも、芸能界でも、ファッション業界でも老若男女問わずに圧倒的支持を受け、名実共に不動磐石なる立ち位置に辿り着いた橋本氏。













しかし、如何に鋭く研ぎ澄まされた名刀と云えども激戦を重ねればいずれ刃こぼれを起こす様に、或いは如何に百発百中の名弓と云えども征矢を放ち続ければいずれ引き絞られた弦が切れる様に、既に肉体的には満身創痍の限界迄来て居りました。


只、其を超越する精神力。是即ち家族の為、ファンの為、乃木坂46の運営組織と同期の桜たる1期生、後輩の2期生、後に続く3期生等々自らを取り巻く全ての環境の為にと云う信念と義務感が橋本氏を突き動かし続けて居たのであります。


そんな最中に舞い込んだ「無理をするな」と云う一通の母親の手紙が、橋本氏をして人生の岐路を「己が本来進みたい道」へと、転進せしめたる決断を促したのであります。


「私も24歳を迎える。郷里の友人達は各々、学生の身から一般的な社会人の道を進んで居る。其が率直に羨ましくも感じるな…。アイドルは引き際も肝心か。乃木坂46としての橋本奈々未、此処等でよかろうかい…。」


2016年10月の卒業発表から怒涛の如く時は流れて行きます。最初にして最後、「センター橋本奈々未」としての終幕を飾る花道。最後のご奉公であります。11月「サヨナラの意味」発売。12月はクリスマスライブから握手会。紅白歌合戦出場。明けて2017年1月、そして2月に再び最後の握手会…。全国から集いし幾万ものファン達が、乃木坂46創世の最大の功労者の1人へ、涙の別れを惜しみました。











































そしていよいよ迎えた2017年2月20日。「乃木坂46 5th birthday live 橋本奈々未卒業コンサート」。会場は埼玉スーパーアリーナ。ファン達の別れの涙、慟哭を表したが如く、寒風荒び、氷雨が容赦なく地面を叩きつけます。集いし一同は皆、解っては居りました。後に初代センター生駒氏が語るところの「ぐるぐるカーテンから始まった乃木坂46。第2章の始まりは17枚目シングルのインフルエンサーからだったのかもしれない…。」今日が第1章の終幕、一つの時代の区切りであると。



















そして時は午後6時、約35000人の大観衆が息を潜めて見守る中、サヨナラの意味の衣装に身を包んだ橋本氏の勇姿が、ステージ上に現れました。


続く
Posted at 2019/07/31 18:52:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乃木坂46 | 日記
2019年07月29日 イイね!

橋本氏の心の中4

橋本氏の心の中4一見すればクールビューティとの評も高かった橋本氏。しかし如何にアイドルとしての笑顔を振り撒きつつも、見た目の華やかさとは裏腹に、 他の勇士の方々とは違う「陰」、触れれば壊れてしまいそうな硝子の如き儚さ、内に秘めたる、ある種の「危うさ」をはらんだ方でもありました。


其を秋元康総合プロデューサー氏は、「棘(とげ)」と表現したのであります。綺麗な薔薇には棘がある、という言葉も在りますが、正に言い得て妙でありましょう。






其が橋本氏の写真集第1幕「優しい棘」という題名にも現れて居ります。更には16枚目シングル「サヨナラの意味」に登場する橋本氏扮する「棘人(しじん)」、即ち感情の起伏により、何人(なにびと)をも寄せ付けない棘を体中から発するという人物像を佳く描いて居るのであります。






※写真集・優しい棘の表紙。二種類存在した。

セブンイレブンでの予約版。



通常版。





思い起こせば、橋本氏の卒業の伏線については、勇士達も過去何度か見届けて参りました。其の為、卒業発表については、「いつか来るものが、遂に来てしまった」という感も強かった様であります。


例えば初期の冠番組登場前では過呼吸で倒れ伏すこともしばし。時は下って2014年は、乃木坂46が有名になるに連れて仕事も多忙化。通って居た大学を夢半ばで中退するの已む無きに至り、更にはアナフィラキシー症候群という謎の病症により、体も前後不覚となる有り様に…。体重も一挙に30kg台迄落ち、一時は命すら危ぶまれたのでありました。

















それでも、這いつくばってでも前進しようとした橋本氏。胸中去来するものは一体何であったか?


「動かぬ我が身…、此程口惜しいものは他に無い。既に皆は真夏の全国ツアー2014の戦陣に立とうとして居る…。大勢の、沢山のファンの方々も待っておられる。こんな所で遅れを取ってなるものか…!斯様な姿を、郷里に残した父上、母上、そして我が愛する弟には見せられん。申し訳が立たんでは無いか!」


将に忠孝義烈…!鬼神をも哭かしむる気迫と闘魂、例え我が身が砕け散ろうとも、全てのファンの為、戦友の為、郷里の家族の為、道産子の意地に掛けても橋本氏は前に進もうとしたのでありました。


しかしながら、流石に此の時ばかりは知人友人、戦友・勇士達も皆、橋本氏の自室迄駆けつけ、「栄養を付けよ!」と、療養を促したのであります。


「奈々未!何故、斯様に無理するのか?!親御さんから授かった体を粗末にしてはならん!」

「気遣い無用!父上、母上には無理して東京の大学行きをお許し頂いておきながら、乃木坂との両立叶わず中退の憂き目!あまつさえ、ファンの皆様方、乃木坂の運営スタッフさんから戦友・後輩の皆に迷惑を欠けておる始末!此儘おめおめと生き恥を晒せようか!?弟の学費のこともあるのだ!這ってでも行くぞ!止めてくれるな!」

「今はまず、休め。そうでなくてはライブなど叶わんぞ…。」

周囲の説得と、後日いらした母親の献身的看護もあり、橋本氏の体調は回復したのでありました。此の時生誕委員会等のファンの呼び掛けもあって、千羽鶴が橋本氏の元に送られるという美談を残しました。


已む無く休場した2014年のライブツアーの途上、勇士達の活躍を見た橋本氏。「皆に追い付けるのか?否、追い付くしかあるまい…」


此の無念と決意を噛み締めた橋本氏。2015、2016と飛躍的な活躍を見せます。しかし、2016年の真夏のツアー、神宮会場でのリハーサルの途中、長年の無理も祟ったのか?腰を激しく痛めてしまい、緊急搬送の憂き目に遭われたのであります。

しかし、橋本氏は本番にあたり、不屈の精神力で痛み止めを打ち、アドレナリンを放出してその苦しみすら忘れ、ものともせずに全力でのパフォーマンスを駆けつけた数万のファンに魅せつけたのでありました。


スタッフより、「椅子に座りながら大御所が歌う感じでゆっくりやろうではないか?腰の負担を軽く出来るぞ。」という提案があった時、「せっかく良い振り付けがあると云うのに、私1人のせいで台無しに出来ようものか!通常通りやらせて下さい!ファンの方々が待って居ります。お願いします!」と、血書嘆願の如く強い直訴ではね除け、其の儘、腰の爆弾を抱えた儘舞台にかけ登ったのでありました。


橋本氏が誰からも一目置かれ、尊敬の眼差しを受けていたのは、こうした氏の姿勢に依る所、大なるものがありました。


其だけに、卒業発表の世間に与えた衝撃も又、大きかったのであります。


続く
Posted at 2019/07/29 17:48:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乃木坂46 | 日記
2019年07月28日 イイね!

橋本氏の心の中3

橋本氏の心の中3橋本氏が桜井氏と生田氏と共に卒業発表に望んだのは、二人が自分自身に対して甘くない、ズルくないというのを特に感じていたからとのことでありました。


人に優しくても自分自身には厳しい氏らしい考え方であります。卒業発表に落涙を禁じ得ない桜井氏と生田氏… 。後に語る所では、桜井氏が「大多数の我等同年代の婦女子と比しても、橋本氏は全く自我がぶれない強さがある」。生田氏が「そもそも橋本氏の様に己自身にすら冷理冷徹に見据える御仁がアイドル稼業をして来た事。其自体が奇跡的である。」と述べられ、グループ全体で橋本氏の幸多からん未来を全力で願い、今後も応援していくと決意を新たにしたのであります。


橋本氏が卒業を決めたのはいつ頃のことであったか?実はこの乃木坂46オールナイトニッポンでの放送(前回ブログのスクールオブロックは誤りでした。訂正致します)前に、報道陣に対して会見を開いた内容が其を物語っております。


「卒業は入った時から考えている。2011年当時はAKB48のフライングゲットが大盛り上がりを見せ、後に前田敦子氏の卒業が取り沙汰された頃である。アイドルの卒業とは斯様なもので、いずれ我が身にも降りかかることと承知していた。」

「乃木坂46に動員されてからは、スタッフさんなど周囲から仕事・任務が来ていた。除隊復員後は一般社会の感覚を養うべく、今は英語や秘書検定を学んで居る。」

「芸能界への復帰は考えて居ない。かつて色々と貧窮した折りに、現状打破の為に幸いにして乃木坂46への道が開けて、入らせて頂いたのだ。家計援助の目標を達した以上は、自らの進まんとする本来の道を模索したい。富や名声だけの為に芸能界に居た訳ではない。其では他の方々に申し訳が立たんであろう。」

「色々と軌道に乗って、落ち着いたら30歳ぐらいには籍を入れたい。私はこう見えて荒ぶる気性もあるから、器の大きい優しく穏やかな御仁が良いな(苦笑)」

「私のファンであった方々は、乃木坂46全体が好きであると思う。私は過去の画像、動画で残るから、これからは組織全体に視野を広げて応援して欲しい。」


淡々と心中を語りつつも、組織全体やファンの方々への思いも強かった橋本氏。それは当時新たに入る3期生のことも視野に入れた発言でした。


氏の儚くも尊く、そして潔い身の処し方、言動が効をそうしたか?センターを勤めた16枚目シングル「サヨナラの意味」は100万枚以上販売のミリオンセラーを獲得。乃木坂46の組織全体としての初金星、歴史的な赫赫たる不朽の大戦果を収め、不滅の金字塔を打ち立て、其栄光を橋本氏は最後の手向け、置き土産としたのであります。


其はただの素人・寄せ集めの集団であった乃木坂46が公式ライバルのAKB48に漸く追い付く所迄来たことを意味しました。結成から既に5星霜の時が流れて居たのでありました。


続く
Posted at 2019/07/28 16:47:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乃木坂46 | 日記
2019年07月27日 イイね!

橋本氏の心の中2

橋本氏の心の中2「与えられた以上は、良いものを作って世に送り出して残したい」。橋本氏がセンターに就任した直後のインタビューにて。静かに淡々と、しかし力強く発した言葉であります。






其の胸中に深く秘めたる思いは如何ばかりであったか?5年間活動して来て、漸く得たセンターの重責を噛み締めたのか?或いは他に思う所あったのか?真意は氏のみぞ知る、でありました。


同じく2016年の某日。北海道の母親から一通の手紙が投函されて居たのを見つけた橋本氏。「母上からか?何と書いてあるのだ?」。


其処には「今迄苦労を掛けた。弟は特待生として大学入学を果たした。だから家計援助の必要はもう無い。お前の好きな様に生きて良い」と云う内容でありました。


「食い扶持に困って乃木坂46に入って早5年か…。只々ひたすらに愛する家族の為、弟の為、家計を支えるべく活動してきたが、此所に来て我が役目は終わったと云うことか。」
「新たな道を模索してみたいものよ。しかし、其が意味することは?これは果たして言わざるべきか?否、口にしなくては前進しない…。」深謀熟慮・試行錯誤を繰り返し、氏は覚悟と決意を決めたのであります。


そして迎えた運命の日。2016年10/19の深夜ラヂヲ番組「乃木坂46オールナイトニッポン」(ニッポン放送)の放送に於いて橋本氏の桜井キャプテンと生田氏を目前にしての発言。


「皆さま方も、此度の選抜発表を不可思議に思われたことであろう。既に御察しの如く、私、橋本奈々未は乃木坂46を卒業する決を下すに至った。」

「また、来年(2017年)の2月を以て芸能界も引退し、2/20の誕生日を迎えて24歳からは一般庶民として生きることにした。」

まあ、そんなところか?と云う反応であろうと、橋本氏はお考えの様であった所、意に反して此の衝撃的な発表は全世界を駆け巡ったのでありました。


※翌日の新聞報道写真(みん友のいぃ氏より画像提供。ありがとうございます。)




記事概要

公式ライバルとしてデビューせる2011年8月以降引続き、優勢なる敵AKB48を芸能界の一角に圧迫し激戦敢闘、克く敵戦力を撃砕しつつありしが、其の目的(家計援助)を達成せるに依り、2017年2月下旬芸能界を徹し、他に転進せしめられたり。


芸能界での全作戦行動の終結…。
其はかつての我が国に於ける大東亜戦争終結にも似た衝撃的な出来事でありました。

※終戦を報じる各紙。





続く
Posted at 2019/07/27 23:23:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乃木坂46 | 日記
2019年07月26日 イイね!

橋本氏の心の中

橋本氏の心の中夏と言えば、毎年、怪談やら不可思議話等で盛り上がりを見せます。ある意味では風物詩の一種とも言えましょうか。


乃木坂46もファンの間では、様々な都市伝説というものが存在しております。ネット上でもまことしやかに語られるものが存在しており、冠番組内にて何度か検証されることもありました。


かつて初期の頃に検証された内容の一つに我が永遠の推しメンである橋本奈々未氏が、「センターになると卒業する」というのがありました。


検証当時はご本人は其を否定をしておりました。2016年2月号の雑誌「ブブカ」におけるインタビューに於いては、「家計を支えねばならぬから、卒業はまだない。」「もし、卒業する時はブログ上で発表したい。」「周りからは、あれ?最近橋本を見ないな?というぐらいにひっそりと卒業したいし、まあそうなるであろう。」と、目立つよりも裏方を好む、如何にも氏らしい考え方でありました。


しかしながら、ファンの間に動揺が走ったのは2016年の秋に差し掛かる頃、16枚目シングルの選抜現役兵発表の折り。橋本氏の名前が呼ばれたのは最後、つまり名実共にセンター就任となったのであります。

「まさか、都市伝説は現実のものとなるのではあるまいか?」其の答えが出るのは、間もなく。橋本氏の胸の内の変化に依るものでした。

続く
Posted at 2019/07/26 18:44:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 乃木坂46 | 日記

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