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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2020年11月25日 イイね!

再録・四国名所・紫電改展示館

再録・四国名所・紫電改展示館以前NHKオンデマンドで閲覧した帝国海軍の戦闘機「紫電改」を扱った番組が大変印象的でありましたので、其を御紹介するブログをあげました。


そして、最近になって講談社発行の漫画雑誌「イブニング」上にて、此の紫電改を扱った作品が鋭意連載中であるという朗報を耳にしました。


其の名も「紫電改343」!


既に単行本一巻が発売中。電子書籍でも購入可。



舞台は大東亜戦争末期、圧倒的な米軍の物量に徐々に劣勢に追い込まれた我が大日本帝国陸海軍。南方戦線各地で敗退を重ねた結果、遂に神州皇土へ醜翼の空襲を許してしまう形となります。


しかしながら、神業的な技量を誇る精鋭パイロット達は、多勢に無勢をものともせずに活躍を続け、敵側からも恐れられて居りました。


※引用画像は無料配信中のものを引用しました。






其の名パイロット、菅野直大尉も其の1人。





されども、実際には彼の様なベテランパイロットは既に大勢が大空に散ってしまい、現実には大量動員された未熟なパイロットが大勢を占める状況になって居りました。



戦局の挽回をはかるには特攻作戦以外には無い…。フィリピン決戦を前にして、菅野大尉は零戦の補充の為に敵機の弾丸を潜り抜け、内地に帰還します。



そんな菅野大尉は自らが特攻隊第一号となる覚悟を決めて居たのであります。



しかし、時代はまだ彼が特攻隊になることを許さず、違う任務を求めることになります。



零戦を受け取りに来た菅野大尉を待っていたのは、開戦初頭の真珠湾攻撃を指揮した源田実氏!




彼は各戦線から選りすぐったベテランパイロット達を内地に集めて精鋭部隊を作り、先ずは其処から制空権の確保、米軍への反撃を目指すことになるのであります。

其の切り札となる戦闘機が紫電改であり、部隊名が第343海軍航空隊・通称剣部隊でありました。


そして、菅野大尉にも白羽の矢が当たった形となったのであります。


つまり、漫画の題名は此の2つを合わせた形なのであります。




果たして時代の荒波に揉まれる男達の運命や如何に⁉️刮目して見るべし!


さて、そんな本作に関するドキュメンタリー番組を、改めて以下に再録してご紹介致します。一部漫画の説明文と重複する箇所も御座いますが、何卒ご了承下さいませ。



時は大東亜戦争末期の1945年。紫電改は日本本土に大挙来襲する米軍機を迎え撃つべく、旧式化したゼロ戦に代わる最新鋭戦闘機としてつくられました。





格闘戦重視・軽量化の為に防弾設備を犠牲にして、約1000馬力エンジンを生かしたゼロ戦に対し、紫電改は米軍新型機の特徴を取り入れた2000馬力エンジン、重防御、重武装が目玉でありました。又、自動空戦フラップというのを採用し、未習熟パイロットでも簡単に小回りのきく性能を手に入れたのであります。


「戦局挽回の為には制空権の奪回が肝要である!」との掛け声の下、内地、大陸、南方の各戦線からエースパイロットが集められ、紆余曲折を経て現在の愛媛県松山空港を基地とする「第343海軍航空隊」が結成されました。



此の戦闘機隊を有名にしたのは1945年3月19日の九州沖航空戦であります。



我に倍する敵恐るるに足らず!と、2倍以上の敵に対し、其の半数近くを撃墜するという大戦果をあげたのであります。


4月に沖縄戦が始まると、特攻隊支援等で九州へ移るなどして死闘を繰り広げますが戦局の好転には至りませんでした。


そして、7月24日。来襲した500機以上の米軍機に対し僅か21機で突入して行った戦闘隊は僅か10分足らずで16機程を撃墜しますが、未帰還6機の損害を出しました。此の内の一機が愛媛沖に不時着水。パイロット諸とも海中深く没したのであります。


時は流れて其から約30年後、海に落としてしまった漁に使う道具を探して居る最中、偶然に紫電改は発見され、愛媛県側が引き上げることにしたのであります。


一体誰が乗っていたのか?遺骨も残らないパイロットの遺族達が真剣な眼差しで見守ります。



一分間に約1mのスピードで慎重に引き上げられます。







思わず感極まり、花を投じる関係者達。20歳そこそこで空に散った勇士に想いを馳せます。











しかし、30年の歳月から腐食も進み、コクピットには遺品、遺骨等手がかりとなるものはありませんでした。



よく頑張ってくれたと、労いと感謝を述べる元・同僚の方。著者も思わず涙ぐんでしまいました。










最早誰が乗っていたか?ではなく、引き上げられた紫電改は「6人の勇士達の象徴」として、補修保存が決まりました。其が設けられたのが現在の「紫電改展示館」であります。拝観料は無料で、各種お土産品もあるとのこと。曲がったプロペラは遺族の方々の願いもあり、不時着水した時の衝撃其の儘にされました。





















場所は此方。昨年10月にロードスター30周年ミーティングの帰りに四国・徳島にお邪魔しました。今度再び四国に遠征する機会にはぜひ立ち寄ってみたいと思います。





敵味方を問わず、其々の立場で戦った全ての勇士達に対し、合掌敬礼。
Posted at 2020/11/25 12:02:19 | コメント(1) | トラックバック(0)
2020年11月25日 イイね!

暴支膺懲(ぼうしようちょう)

暴支膺懲(ぼうしようちょう)滅多なことでは怒らない私でありますが、先日の以下の様な報道記事を目の当たりにし、腸(はらわた)が煮えくりかえる怒りを覚えて居ります。







何故自由を求める人々を弾圧するのか?そんなことが許されて良いのか?



日本文化が好きなうら若き一人の婦女子すら護れずして、何の民主主義か?何の自由主義か?


居合・剣術を嗜む下級士族の端くれとして、斯様な事態には愛刀の柄を鼻息荒く、叩くぐらいの憤りを覚えて居ります。


「自由で開かれたインド・太平洋」を目指し、益々世界侵略の野望を逞しゅうする共産支那への包囲網を形成しつつある我が国の国策でありますが、正直生ぬるいです。もはや人類のガン細胞である彼等は手遅れになる前に殲滅しなければならないのであります。


しかしながら其以上に問題なのは、敗戦後に占領軍の手先となり、今尚反日売国活動に勤しむサヨク勢力であります。彼等は政財界、教育現場、至るところに蔓延り、言論統制を行い、ODAをばらまき、学術会議等を通じて共産支那の軍拡に寄与した忠犬ハチ公なのであります。


自らを正しい人に見せる為に他人を踏みにじっても何も感じない外道な彼等。センソーハンザイの捏造で元日本軍の方々の名誉を棄損して反日感情を煽り、連合国軍の作った永久非武装植民地憲法を、ヘーワケンポーヲマモレというバレバレな嘘で有難がって、我が国の防衛力発展を阻害しました。


結局の所、奴等の目指すところは共産支那の日本征服、共産主義革命という冷戦時代の残りカスの様なものなのであります。


香港の様に共産支那の元で制限された自由の未来が良いのか?あくまでも自主自存自衛の独立国たるを目指すのか?今こそ我々は腐った戦後民主主義体制を打破し、目覚めねばならぬ時なのであります。


そして、支那事変・大東亜戦争を戦った先人達の想いをしっかり汲み取り、思想形成にも充てて行かねばなりません。



※八紘一宇(はっこういちう)とは、各国各自の主体性を互いに認め、手を携えて栄えようとする思想。



そして、当時叫ばれた標語の意味を噛み締める時であります。


※以下Wikipediaより引用。


暴支膺懲(ぼうしようちょう)とは、支那事変(日中戦争。対米英開戦以降は大東亜戦争に含まれる)における大日本帝国陸軍のスローガン。

「暴戻(ぼうれい)支那(しな)ヲ膺懲(ようちょう)ス」を短くした四字熟語。
「暴虐な支那(中国)を懲らしめよ」の意味。

大本営が国民の戦闘精神を鼓舞するために利用したスローガンでもある。
1937年(昭和12年)の盧溝橋事件および通州事件(支那軍による日本人民間人虐殺事件)以降は特に用いられるようになり、「暴支膺懲国民大会」が数多く開催された。

同年7月21日には日本革新党が日比谷公会堂で開催したほか、9月2日に東京府東京市(当時)の芝公園で開催された対支同志会主催・貴族院及び在郷軍人会、政財界後援による暴支膺懲国民大会では「抗日絶滅」や「共匪追討」がスローガンとなっており、政財界・言論界の人物が登壇したという。

対米英開戦後(太平洋戦争中)は「鬼畜米英」が前置されるようになり、合わせて「鬼畜米英、暴支膺懲」となった。

※以上引用終わり。


米英に関しては、今や自由主義陣営の大切な仲間でありますが、暴支膺懲に関しては今こそ世界的にも通用するものなのであります。


武漢ウイルスをばらまいて各国を疲弊させ、其の隙に乗じて世界征服を企む彼等の暴虐。そして共産支那の腰巾着の様に反日言動に勤しむ南北朝鮮と、非日本人であるサヨク勢力。


此ら全てをまとめて駆逐してこそが、令和日本の明るい未来、そしてひいては周庭氏の様に圧政に苦しむ民達の解放と人類の未来にも繋がるのであります。


正義凛たる旗の下に、明朗アジアの建設が成されんことを切に願います。
Posted at 2020/11/25 15:11:54 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年11月25日 イイね!

軽井沢ミーティング2020報告2

軽井沢ミーティング2020報告2さあさあ、全国1億2000万人のロードスターファンの皆様方!大変お待たせしました!

…え?待ってない?其を言っちゃあ、おしまいよ!


後れ馳せながら先月25日開催のロードスター軽井沢ミーティング報告の第2段と参ります!(笑)


午前7時にはボランティアスタッフ一同の集結も終わり、8時からのゲートオープンに合わせて各自散開となりました。


私の役目は碓氷峠側から水を得た魚の様に「ヒャッホーイ(o’∀`)♪」と山道を走り回ったロードスター軍団が、会場入りを前にしてはぐれた仲間達と待ち合わせたりとか、其の為に路駐してないか?等々を取り締…、いや、見守らせて頂く役割なのであります。


スポーツカーが大挙して押し寄せて集会を開く…。斯様に聞けば如何にクルマのミーティングが一歩誤れば世間から批判の的となる得るデリケートなものか?


凡そまともな思考判断能力を持つ方々ならば、多くを語る必要は無かろうかと存じ上げます。平たく言えば無関係な方々の迷惑千万となってはならんのであります。


幸いにして私の知る限り「自分達だけで集まって楽しければ、其で構い無し」とする様なロードスター乗りは1人も居りません。世界に誇る名車に乗る誇り、光輝溢れる伝統あるミーティングに参加出来る悦びを前にして、斯様な面汚しをしようなどという恥知らずにして、下衆な輩は居らん訳であります。


前口上が長くなりましたが、以下に写真と共に振りかえって参りましょう。


警戒区域である第一駐車場周辺道路。







「猪突猛進!!猪突猛進!!」

「どいつもこいつも俺が助けてやるぜ 須らくひれ伏し!!崇め讃えよこの俺を!!」

「信じると言われたなら それに応えること以外考えんじゃねぇ!!」




二刀流、各種被り物の会場誘導員スタイルで人気劇画作品「鬼滅の刃」に登場する鬼殺隊勇士・嘴平伊之助(はしびらいのすけ)殿に対抗意識を燃やす著者(笑)





※変質者ではありません(爆)


今年1月に100周年を迎えたマツダの記念車たる現行NDロードスター。



白に赤内装!素晴らしく上品!



エレガンスなラグジュアリー仕様なのに、あえてロールゲージを組んだレース戦闘車輌にしてみたいですね(爆)









会場の盛況振り。





我がクラシックレッドのND弐號機の産みの親、マツダの中山氏と念願叶ったりのツーショット!\(^-^)/



ロードスター創世神の1人、貴島氏の隣に赤文字でサインを頂きました(笑)



少数精鋭でも会場を圧倒する奈良軍団車輌の勇姿!





燦たる秋晴れの下、つつがなく時間は進行して行きます。









初代NAロードスター復刻パーツの数々や、レストア車輌に関する公示。









ミーティングで支給された糧秣。







西日本方面奈良軍団の方々の勇姿!



お洒落なマスク!





名残惜しけれども、ミーティングの終結の時が近づきました😭次は半年後!しばし別れの涙が滲みます。












マツダスピードNBの方々と打ち上げ夕食会の筈が、合流に失敗😭次回はよろしくお願いいたしますm(_ _)m


已む無く帰り際のコンビニで空腹を覚えて腹拵え(笑)



急造したスペアタイヤのお世話になることなく、無事に走ってくれてるND弐號機。



かれこれ直近3年余りは、NDで軽井沢ミーティングに参加して居りますが、NA初號機を見てみたいとする御意見もチラホラあります。


サーキットやらなにやら、数々の激戦を潜り抜けてあちこち傷だらけ。塗装も南方戦線での帝国陸海軍航空隊の戦闘機の如く、ヤれて居りますが、其でもよろしければ考えてみます💪




以上報告終わり❗
Posted at 2020/11/25 15:51:51 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年11月19日 イイね!

帝都御府内散策行・江戸東京博物館

帝都御府内散策行・江戸東京博物館続いて向かった先は両国にある江戸東京博物館。江戸開府から400年余りの、文字通り江戸と東京の歴史を今に伝える博物館であります。


駅ホームより国技館を臨む。



同じく博物館。





次回の展示会もチェック済み💪



お目当ては此方。1923年の関東大震災から僅か7年余りで見事に復活した1930年代のモダン都市・東京。度重なる大空襲で消滅する前の幻の帝都。今のごちゃごちゃした品の無いビルヂングが乱立する姿ではなく、街其の物が美しく、芸術的であった時代を懐古してみます。



博物館正面。圧倒的な大きさ!



まずは巨大な日本橋から江戸時代へタイムスリップします。








武家地広すぎ(笑)江戸100万人の人口の内、60%以上がサムライでしたからやむ無し(笑)



江戸幕府についてもお勉強。











松の廊下、赤穂浪士で有名な「殿中で御座る!」の舞台ですね。



食事中の方は失敬(笑)

此は農家が運んだ下肥の桶です。下水道がなかった当時は肥溜めの中身が優秀な肥料としてリサイクルが徹底されてました。同時代のパリ、ロンドンが至るところに垂れ流しの悪臭漂う汚染都市だったのに比べれば、江戸は美しい街でした。



長屋の様子。







共同トイレです(笑)





芝居小屋。



膨大な展示品の多さと時間の都合から、撮影は控えて一挙に明治、東京へ。ゆっくり観れなかった所は又次回に。

人力車。



昭和初期の住居。











浅草にあったランドマークタワー、浅草12階の迫力ある模型(関東大震災で倒壊)。







大震災後の復興モデルである共同住宅、同潤会アパルトメントのモダン的建築物。

建設前の小汚いスラム街みたいな所が…



見事な住居に変貌!



続いて昭和初期の円タク(一円で回れるタクシーのこと。貨幣価値は当時のもの)よく、日本の戦争映画で政府要人や軍人が使うものでもあります。



洒落た住居。



戦時下の空襲に備えた住居。



火消し用具もありましたが…



B29の無差別大規模空襲には無力でした。

真ん中が皇居、空襲でやられた点は赤く光って居ります。作り上げたモダンな文明大都市が炎上。寒気がしました…。



高熱でひん曲がった鉄骨。


戦後の混乱期から不死鳥の如く甦り、東京オリンピックを目指して高度経済成長時代が推し進められます。





懐かしの車輌。





90年代に流行ったコギャルの衣装迄もが展示される時代になりましたか(驚)



ケータイが流行る前に全盛期を迎えたポケベル。



ルーズソックスも今や歴史的文化遺産か?



2000年代にはコスプレ、メイド服迄もが展示品に。徳川家康公もビックリ(笑)





閉館30分前に漸くお目当ての特別展へ。



明治、大正、昭和と、此の時代は街の移り変わりから特に女性のファッションが洗練化された時代でもありました。



























建設中の東京駅!あちらこちらが原野です。











震災からの奇跡的な復興。



大阪市の都構想が先日報道されて居りましたが、東京も昔は「市」でありました。戦時体制強化に伴い東京都35区になったのが昭和18年。今の23区になったのは戦後の22年であります。





おや?此方の都バスの資料、コレクションに持ってますよ(笑)





嗚呼、懐かしの麗しきモダン文化。





















モダンガール(モガ)、モダンボーイ(モダ)と呼ばれるお洒落な方々がモダン都市東京を闊歩して居たのであります。



様になるというか、絵になりますね。











小洒落たタバコセット。



日も暮れてきたので現代へ戻りましょう。


此の続きは家にあるコレクションの東京古写真集で楽しみます(笑)




月はいつの時代も変わらずに闇夜を照らします。



タイムトラベルで腹が減ったので下級士族の懐事情に見合った掛け蕎麦に、麺大盛とミニカレー丼を組み合わせてささやかなにわかリア充をアピール(笑)



次は相撲も見てみようか?




おしまい




Posted at 2020/11/20 07:03:22 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年11月19日 イイね!

帝都御府内散策行・東武博物館

帝都御府内散策行・東武博物館本日は一ヶ月振りの帝都御府内散策を行いました。目的は終了間際でまだ見て居ない博物館展示会観覧であります。


まず第一目標は、関東圏随一の私鉄「東武線」の博物館。都心の埼玉県在住ならば誰もが使う鉄道で、私も学生時代から現在に至る迄大変お世話になって居ります。


目当ての展示は此方。デジタル全盛の現代と違って人々の触れ合いも多かった古き良き昭和レトロの時代に触れておこうとするものです。



但し、肖像権の絡みから写真撮影は不可でありましたので、代わりに常設展示品の数々をアップして参ります。


入り口付近。防疫対策は万全であります。



昭和、平成と活躍された車輛が所狭しと展示されて居ります。鉄道に関しては門外漢の私でも十分に楽しめました。

戦前、戦中、戦後間もない頃の車輛。

















左上の車輛はほぼ毎日見てましたな。



TJライナー!最寄り駅に止まってくれないのが残念な弾丸列車であります😭



レトロでも迫力満点。





昔懐かしのキャブオーバーバス。



今は無き貨物列車。自動車にとって変わられましたが、東上線では2000年代初頭迄現役でした。懐かしい。









こうして見ると構成部品は大きいですな(驚)











体験コーナーは防疫上使用不可のものもありました。





日光方面に出ていた車輛の表看板。わかる人にはわかる?





此方は今でも現役の風景(笑)何だか落ち着きますね💪







残念ながら時間短縮営業で15時で閉館。ただ、此の後もう一件博物館に行きたいので、14時前に撤収。





乗り換えにやや手こずりながら、両国を目指します💪





スカイツリーがちょうど左手のビルヂングで隠れてるがな😭しかし、時間の都合で撮り直しは省略。



総武線到着便をにわか撮り鉄気取りで収めました(笑)




続く

Posted at 2020/11/19 19:27:13 | コメント(0) | トラックバック(0)

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