
現在の芸能界の各戦線に於いて精強無比を誇り、多大なる戦果を挙げる乃木坂46。
2019年9月、長年陣頭指揮をとり続けた初代キャプテン桜井玲香氏の卒業に依り、其の2代目を襲名なされたのが現・侍大将である秋元真夏氏であります。
持ち前の明るさから皆に愛される真夏氏。おバカキャラからぶりっ子、ドジっ子等々様々なキャラクターを魅せることで組織内外へ、そしてお茶の間へと笑顔を届ける尊い御仁であります。
※バラエティー要素の一例
内容は真夏キャプテンが申し上げた言葉をヘッドフォンで耳栓した勇士達が口の動きだけで読み取り、其を次の者達へ同じように伝えて行くと云うものであります。
真夏キャプテン対白石氏、宿命の対決!
美の象徴・白石氏、すごい表情であります(笑)
白石氏「何だと?真夏の方が美しいだと?」
途中で違う意味になってしまった伝言…
真夏キャプテン御立腹!
真夏キャプテン「誰がヘボいって⁉️」
プンプンのお顔がよろしい(笑)
一方、久々の黒石氏発動!
※以上引用終わり。爆笑ものでした(笑)
しかしながら、其の実(じつ)は某有名女学校出身。頭脳明晰で回転も早い、乃木坂46随一のキレ者でもあります。
令和の世に大組織の舵取りと云う大役は、真夏氏の様な類い稀な鬼才が居ればこそ勤まるものでありましょう。
但し、氏の現在に於ける立ち位置は、かつての大帝国・ローマの様に決して1日にして形作られたものではありませんでした。
今回は斯様な真夏キャプテンの辿られた数奇な運命、苦難の道のりと、戦友西野七瀬氏とのかかわり合いについてお話致します。
元々、幼き頃より芸能、テレビの中の世界に憧れていた真夏氏。笑っていいとものタモリ氏との共演を夢想する等、其の情景は強いものでありました。
真夏氏「タモリ氏に断髪せしものか?などと言われてみたいものよ。其の時来たらば実際に髪を切ってスタジオに行くか?(笑)」
小学卒業と共に中高一貫教育の私立の女学校へ進学。
高校時代は生徒会長を御勤めになられる程の模範生でありました。
高校3年生の折、テレビで乃木坂46・1期生募兵の報を知り、何とはなしに写メを撮影して応募。すると後日書類審査合格の第一報が届きました。
突如として開かれた、ずっと夢想だにして居た世界!しかしながら真夏氏はすぐに生徒手帳を広げました。大変校則の厳しい私立の女学校。芸能活動は基本的には禁忌だったのであります。
しかし、よくよく見れば希望の一節が其処には御座いました。
「芸能活動ハ其内容如何二依リ此ヲ認ム」
真夏氏「よし、一か八であるな。此の一節を信じて腹を括ろう…。いざ行かん!」
並々ならぬ意気込みで望んだ真夏氏。勇躍志願。一次、二次審査を順調に突破して行きます。
そして2011年8月21日、前日に18歳を迎えた真夏氏は愈々最終審査の場へ!
真夏氏「ウエストは52センチであるぞ!乃木坂46に入営叶わぬ時は、エアガールにでもなるとするかのぅ♪」
審査員一同を持ち前の明るさを生かして魅了し、見事合格を果たされたのでありました。
しかも立ち位置は暫定選抜16人の内、センターの左側、ナンバー3のポストでありました。
真夏氏「やったぞ!漸く手にした夢の開始線だ!」
しかしながら、学校側より示された答えは無情にも「否」。
真夏氏「そんな馬鹿な!教官殿!校則のあの一文は、嘘なのでありますか!?」
必死に食い下がるも頑として首を縦には振らぬ学校側。卒業迄は後半年、退学すべきか?そんな考えが頭をよぎるもなかなか踏ん切りのつかぬ真夏氏。
如何ともし難い状況を運営スタッフ側に打診すると、幸いにして卒業迄活動を一時休止する許しを得たのでありました。
何とか首の皮一枚で繋がった我が身…。しかし秋元康総合プロデューサーの発した言葉が否応なしに真夏氏の頭をよぎります。
「AKB48が5年かけてやって来たことを、乃木坂46は5ヶ月で追い抜かせる!者共!心してかかれ!」
真夏氏「死命を決する開戦霹頭の大切な半年間…!どう足掻いても私は其処には居れん。其を過ぎたならば、我が立ち位置は無くなってしまうのではあるまいか…?」
ガラガラと音を立てて何かが崩れ、真夏氏は無明の闇へ独り、迷い子となって放り込まれてしまったのでありました。
其の後、真夏氏は先に活躍する同期の桜達の訓練の場を見学なされたり、テレビでチェックなさるなどされましたが、誰一人として打ち解けあうことはなく、又自らの居ない戦陣に虚しさを覚えてしまうのであります。
時は流れて2012年秋。4枚目シングルの選抜発表の折に、戦列に復帰した真夏氏はいきなりの衝撃的な選抜入りを果たされました。
戸惑い涙する真夏氏。此の時の勇士達の「パッと出でいきなり選抜入りだと?」と云う射る様な瞳もなかなか背筋の凍るものでした。
選抜より外れ、アンダーとなった中田氏は、
「何故だ!?私が選抜落ちをせねばならぬとは何事か!?」
と、狂乱してしまい…
アンダーとして活躍されていた中元氏は、
「我等は努力したればこそ、次への選抜への道があったはずだ!其が何故こうなるのか!?」と、激しく感情を爆発なされました。
そして西野七瀬氏とは更に深い確執が生じてしまいました。
「制服のマネキン」選抜発表当時(2012年秋)の西野七瀬氏。
同じく秋元真夏氏。
此の時の選抜発表では7福神から8福神(福神=選抜の布陣の内、前衛、中衛を固める中心人物達)に増えたものの、暫定から正式となった桜井前キャプテンの福神入りと真夏氏の復帰に伴い、前作で福神の位置に居た西野氏は弾き出される形で後列の方になったのであります。
西野氏「納得がいかんぞ!デビューシングルのティッシュ配りから始まった苦労はなんであったか!?血反吐を吐く想いで乗り切ったプリンシパルは何であったか!?どんな事情があるかは知らん!しかし、何故復帰したばかりの真夏が福神なのだ!?私は国へ、大阪へ帰るぞ!今まで世話をかけたな!さらばだ!」
母への電話で「斯様な奴が来て、自分でもどうしたら良いかわからん。福神を落ちた。最早やってられん…。」と涙を流した西野氏。心配して声をかけて来たスタッフに息せききった様に思いの丈を放った西野氏の剣幕!何とか押し止めたスタッフ…。
真夏氏「私が戻ったことで、秩序を乱してしまった…。七瀬は口もきいてはくれぬか。何とかせねばなるまい…。」
戸惑いながらも何とか食らいついて行った真夏氏。此の後、握手会においては全力を振るい、5枚目シングルでのヒット祈願(伝統的恒例行事の一つ。新しいシングルが発売される時に行われるもの)に於いては、勇士達が怯む中、率先垂範してスカイダイビング方式のものへ志願するなど並々ならぬ意気込みでありました。
此のヒット祈願でありますが、後々の乃木坂46の躍進を語る上で、其の果たされた意義は大変大なるものが御座います。
まだまだ無名時代のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」の時は1期生勇士一同が全国各地に散らばり、4000枚以上のティッシュ配りをしつつ現地民と交流を持つと云う内容でありました。現在に於ける世界に冠たる高名とレコード大賞2連覇等数々の輝かしい大戦果・人気の裏側には、勇士一同の尊い血涙赤心の籠った挺身的犠牲の下積みが、文字通り其の不動磐石なる礎となって居るのであります。
其では前述の5枚目シングル「君の名は希望」の時に行われた、世界戦史に名高い落下傘を用いた空挺様式を振り返って参りましょう。
挺身的犠牲の精神で志願なされた真夏氏…!
福神から外れ、長く過言を残すこととなった西野氏。
活動再開から徐々に人気を得ていった真夏氏ですが、やはり心の何処かに負い目があったのかもしれません。此処ぞとばかりに、「功名手柄をあげる時は今!」と、自ら先陣切って志願されたのでありました。
落下傘・空挺部隊といえば我が帝国陸海軍にも精強なる部隊が存在しました。特に陸軍の大東亜戦争初戦に於ける蘭印(オランダ領のインドネシア)の油田地帯・パレンバン降下作戦は有名であります。
※蘭印略図
※我が軍の進撃図
※陸軍第一空挺団の紋章
以下に空挺兵と真夏氏の実際の勇姿をあげて参ります。
いざ、決戦の地へ!
「きっと成し遂げて見せる!」凛々しい空挺兵の横顔!
目標上空へ到達!緊張が走ります。
いざ、征かん!
ヒットしますように!!
続々と舞い降る空の神兵達!
愈々地上間近!
着地成功!戦闘準備!
よし!今だ!総員突撃ー!!
真夏!大丈夫か!?見事天晴れであったぞ!
皆見てくれたか?此で我々のシングルヒットは間違いないぞ!(嗚咽)
我々の奮戦敢闘が1億国民をして感動のるつぼに陥れ、更なる飛躍に繋がるのであるぞ!「成程、将に宜なる哉!」キラリと光る橋本氏の瞳!
あがる勝鬨!大戦果!天地に轟く万歳三唱のこだま!
尚、パレンバン降下作戦での発表は以下の如し。
大本営発表、2月15日午後5時10分。強力なる帝国陸軍落下傘部隊は、2月14日午前11時26分、蘭印最大の油田地たる、スマトラ島パレンバンに対する奇襲降下に成功し、敵を撃破して、飛行場その他の要地を占領確保するとともに、更に戦果を拡張中なり。陸軍航空部隊は本作戦に密接に協力するとともに、すでにその一部は本15日午前同地飛行場に躍進せり。終わり
空挺部隊の武勲を讃えた軍歌「空の神兵」は戦時中3万枚以上のレコードを売り上げるヒットを記録。
乃木坂46の「君の名は希望」も2013年3月25日付のオリコン週間CDシングルランキングで初登場1位を獲得。同週間ランキングにおける乃木坂46のシングルの1位獲得は「おいでシャンプー」から4作連続となりました。初週推定売上は24万2053枚となり、前作「制服のマネキン」が記録した約23万3000枚を上回り、当時の自己最高記録を更新したのであります。
かくのごとくにして、乃木坂46と我が帝国陸海軍とは一歩一歩、坂道を踏みしめて、其の栄光の歴史を築いて来たのであります("`д´)ゞ
さて、電撃の真夏氏の復活劇(2012年秋頃)から既に1年以上が経過した頃…。西野氏の胸中にも引っ掛かりが残った儘でありました。
西野氏「乃木坂46は着実に坂道を登って居る。しかし、此の儘、真夏と相容れぬ仲で良いのか…?」
しかし、程無くして其の確執を打ち破るきっかけが来たのであります。
2014年初頭、8枚目「気づいたら片想い」の選抜発表の折、史上最小の5福神決定からセンターに抜擢されたのは西野氏でありました。
其れまで内向的であまり自分から前に出るタイプではなかった西野氏は「私がセンターで良いのか?乃木坂46を壊してしまうのでは?」と戸惑いながら、持ち前の負けず嫌いの性格・不屈の闘争心が原動力となり、「私が何とかせねば!」と、考え方、行動共に変わって行ったのであります。そして、此の時のヒット祈願でマカオタワーからの200数十メートルという大の男でも尻込みする高さから、見事にダイブ!全てが吹っ切れたのでありました。
西野氏「いざ行かん!ヒットしますように!」
生還後に泣き咽ぶ西野氏!
西野氏の特徴!小指が立つ!(関係ないか)
西野氏「あの時の戦訓あればこそ、今の私がある…!」
此の時、自分だけの事に囚われてしまう小さな西野氏から、後に最多のセンター経験、ソロ曲数保持、そして20万人以上を動員した2019年2月の7th year birthday liveに於ける感動的な卒業liveを挙行して大団円を飾った「エース西野七瀬」の誕生の瞬間であったと、後世の戦史家達が口を揃えて語るところであります。
※2020年2/5発売の7th year birthday live。全日版と、単日版バラ売りがある。
Blu-ray版ジャケット写真。上から全日版、単日版。
DVD版。順は上記に同じ。
そして迎えた2014年2月22日の2th year birthday live。
デビュー曲から順繰りに演目が進み、「制服のマネキン」の番になった時、西野氏感動のアナウンスが流れました。
西野氏「あの時言えなかったことを言おう。真夏おかえり。一緒に頑張ろう!」
此のアナウンスの時、舞台下にて、真夏氏に抱き付く西野氏。
真夏氏「斯様なことをしてくれるとは、思わなんだ…!」
感涙に咽び泣く真夏氏にフォローを入れる西野氏。
西野氏「そんな泣き虫でどうするのだ?liveはまだまだ此からだぞ!共に頑張るぞ!」
万雷の拍手喝采と歓声!涙を流すファン一同。無論、西野氏と真夏氏も共に涙を流し、抱擁しあいました。此処に両者間の「一年戦争」は終結。以後、乃木坂46は更なる大躍進へと邁進するのであります。
「気づいたら片想い」当時(2014年春)の西野七瀬氏。
同じく秋元真夏氏。
和解した両者のスナップ。
2018年頃のベッタリな様子(笑)
しかし、此の時既に西野氏の胸中には「乃木坂46卒業」の決心が固まって居たのでありました…。
続く
※西野氏最後のソロ曲「つづく」