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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2019年08月11日 イイね!

インフルエンサー(影響者)3

インフルエンサー(影響者)3出世コースとも言えた歩兵隊から航空隊へ転じた加藤少将。周囲から少なからず「なぜわざわざ?」との声もあった由。


其に対しては「これからは飛行機が戦争の決を決める時が来る…!」「私がやらねば誰がやる?我が国の平和の為なら出世コースなど惜しくもない!」という思いも強かった様であります。


猛訓練に依る技術向上と、航空機研究開発も進んだ一方、時は流れて1930年代に入り世界に於ける風雲も急を告げる時が来ました。


1920代末の世界恐慌の後の欧米列強によるブロック経済(本国と植民地以外へは閉め出し的な経済政策)は、恐慌から何とか立ち直りつつも、資源の少ない我が国にとっては大打撃となりました。


かくなる上は日清・日露戦争を経て多大な血を流して得た大陸の権益が益々重要となりましたが、中国の反日勢力との対立から満州事変、支那事変が勃発。此が中国を支援する米英との軋轢を生み、更には米英蘭(オランダ)を中心とした経済制裁を受けたのを機として大東亜戦争が勃発したのでありました。

※支那事変(日中戦争)進軍図




※開戦直前の各国勢力図




我が帝国陸海軍は、自存自衛の為に当時は敵の植民地であった南方資源地帯(今の東南アジア。石油やゴム、金属類といった資源が豊富)の解放を目指して進軍することとなったのであります。

※南方作戦進軍図




後に欧米の歴史家をして「これは白色人種対差別されていた非白色人種の戦い」とされた空前絶後の世界大戦が勃発したのでありました。


其処には中国大陸から南方戦線へ。常に航空部隊を率い、先陣をきって活躍する加藤少将の姿がありました。


加藤少将自身は昭和14年の欧州視察の折、当時のナチスドイツの精強航空部隊「ルフトバッフェ」の主力戦闘機「メッサーシュミットBf109」を軽々と乗りこなし、ヒトラー総統の舌を巻いたとされる豪傑ながら、アメリカの大規模な産業施設を視察された際には「此の国とだけは、戦をしてはならんな」と、衝撃を受けた様であります。


しかし、時代は加藤少将の存在を必要としておりました。戦いにおいてはチームワークを重視して個人の手柄にはやる部下を諌め、中国戦線に於いては撃墜した敵パイロット終焉の地へ華輪を投じる等、敵味方を問わずに技術だけでなく優れた人格が称賛の的を受け、陸軍上層部からも複数の感状をたまわっておりました。

大東亜戦争開戦前夜…。中国大陸の空を圧倒した陸軍97式戦闘機。しかし、次なる戦場には新たに着陸時の脚・タイヤを主翼に納めて空気抵抗を減らし、更には広大な南方戦線を駆け抜けるのに必要な航続距離を持つ、時期主力戦闘機が必要となっておりました。

※97式戦闘機











そこで研究開発中であった後の陸軍一式戦闘機・隼に白羽の矢があたりましたが、様々な問題から一度はお蔵入りになりかけました。

※一式戦闘機・隼













其に対して加藤少将「機体の脆弱性でテスト飛行が怖いなら私がやる!米英の一線級の飛行機と戦うなら隼しかない!」と、自ら志願して引き受け、様々な困難をパスして見事に隼をデビューさせたのであります。


話は戻って開戦と共に加藤少将率いる飛行第64戦隊。通称「加藤隼戦闘隊」は、英領マレー、シンガポール、蘭印(オランダ領東インド。今のインドネシア)。更には返す刀で英領ビルマと、縦横無尽・八面六臂の航空撃滅戦に依る活躍を見せ、其の無敵の翼の前に脆くも敵兵力はひれ伏したのでありました。


其処にはやはり率先垂範、自ら先頭に立ち、部下を鼓舞し続ける加藤少将の姿があったのであります。こうした加藤少将の姿は部下をして勇気百倍、「加藤教」とも言える絶大な信頼関係を構築し、大戦果を伝える報道に国民は熱狂したのでありました。


また加藤少将は部下たちに、「何機撃墜したかと聞かれたら、部隊の撃墜数を述べよ」と個人の功名争いを禁じ、チームワークを重んじます。


また敵機との戦いに夢中になって任務を疎かにする者には、雷を落としました。しかし部下を叱った後は、さりげなく果物などを振る舞って、奮起を促したといいます。


そして、運命の昭和17年5月22日。ベンガル湾に面したアキャブ基地から部隊が東方のトングー基地に移動を始めていた時、加藤少将は前日にジャングルに不時着降下した部下の安否を知るため、最後まで残っていました。


そこへ突如、英軍爆撃機ブレンハイムが来襲しました。

※ブレンハイム爆撃機(ブリストルブレニムとも言う)







「エンジンを回せ!迎撃戦だ!」


準備が整うや否や次々と離陸する数機の隼!部下が数機で勇猛果敢に突進し、代わる代わるに射撃を加えるも、敵ブレンハイムはなかなか墜ちず…。逆に巧みな後方旋回機銃の反撃により被弾相次ぎ、次々と隼は戦線離脱せざるを得ない憂き目に合いました。


「皆、大丈夫か?無理せずに下がれ!私に任せろ!」


不休の連戦に次ぐ連戦で疲労困憊していたであろうこの時の加藤部隊は、必勝法の組織だった編隊飛行は叶わず、精彩の欠く戦いとなってしまいました。部下の被弾と待避を目にした加藤少将は、まなじりを決してインド洋上まで敵を追撃!

「此で終わりだ!食らうが良い!」

遂に必殺の一連射で敵を被弾させます。

しかし、背後から攻撃をかけた瞬間、敵の機銃弾で相討ち!愛機の翼が火を噴きました!

見守っていた部下達。「あ!加藤隊長!」

チラッと後ろを見る加藤少将!しかし、無情なる紅蓮の炎は無敵の翼をどんどん焼き付くして行きます。

「距離はこんなにも近い!出来れば加藤少将を持ち上げて救いあげたいものを…!」無論、其のようなことをすれば空中衝突です。己達の無力に成すすべもなく、地団駄を踏む部下達の隼…。まるで雛鳥が傷ついた親鳥をおもんばかる様でした。

陸地は近いものの、そこは敵地。普段から部下に対し「敵地に不時着して捕虜になるようなことがあってはならん。もし、帰還叶わぬ時は機を急反転して自爆せよ」と、厳命していたとも言われております。


その言葉通りに加藤少将は部下たちの見守る中、機を反転させてベンガル湾に突入、壮烈なる自爆を遂げ、海原に散りました。自ら言っていたことを身をもって示したのでした。


其の日、ビルマの空は抜ける様な青空。ベンガル湾は鏡の様に美しい日でありました。


続く
Posted at 2019/08/11 08:43:08 | コメント(1) | トラックバック(0)

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