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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2022年08月23日 イイね!

戦陣に咲く花 ~坂道魂の系譜3・忠孝義烈の敢闘精神~

戦陣に咲く花 ~坂道魂の系譜3・忠孝義烈の敢闘精神~何も無いまっさらな所から着実な歩武を踏み固め、強大な組織としての立ち位置を築き上げて来た乃木坂46。


「ローマは1日にして成らず」という故事にもあるが如く、其の礎には数多くの勇士達各員の血と汗と涙の結晶が無数にちりばめられて居ります。


例え苦境に立たされようとも、不惜身命の覚悟も強く、遮二無二に突進し続けた結果なればこそ、輝かしい未来への血路も拓かれて来たのでありました。


其の最中にあっての橋本氏は如何なる働き振りであったのか?何ゆえに軍神として今尚語り継がれるのか?


其の源泉とも言うべき逸話を紐解いて参ります。


一見すればクールビューティとの評も高かった橋本氏。しかし如何にアイドルとしての笑顔を振り撒きつつも、見た目の華やかさとは裏腹に、 他の勇士の方々とは違う「陰」、触れれば壊れてしまいそうな硝子の如き儚さ、内に秘めたる、ある種の「危うさ」をはらんだ方でもありました。


其を秋元康総合プロデューサー氏は、「棘(とげ)」と表現したのであります。綺麗な薔薇には棘がある、という言葉も在りますが、正に言い得て妙でありましょう。







其が橋本氏の写真集第1幕「優しい棘」という題名にも現れて居ります。更には16枚目シングル「サヨナラの意味」に登場する橋本氏扮する「棘人(しじん)」、即ち感情の起伏により、何人(なにびと)をも寄せ付けない棘を体中から発するという人物像を佳く描いて居るのであります。



































※写真集・優しい棘の表紙。二種類存在した。

セブンイレブンでの予約版。



通常版。




思い起こせば乃木坂46への加入以来、橋本氏の卒業の伏線については、勇士達も過去何度か見届けて参りました。其の為、卒業発表については、「いつか来るものが、遂に来てしまった」という感も強かった様であります。


例えば初期の冠番組登場前では過呼吸で倒れ伏すこともしばし、でありました。

















時は下り、結成から3年余りが経過。勇士達各員の流した尊い血と汗と涙…!我が身を省みぬ献身的犠牲を伴う奮戦敢闘に依り、徐々に構成員数百を擁する絶対的王者AKB48(其のグループも含む)の一極支配をするアイドル業界に楔を打ち込み、知名度も上がって行った乃木坂46。


しかしながら如何に我に倍する敵恐るるに足らず!と、烈々の士気は天を衝きたるとはいえども、苛烈なる猛訓練に依り寡兵を以て衆を討つという方策は、徐々に勇士達の体調に歪みを生じさせたる一因となって行ったのであります。


「家計援助の御為(おんため)に!」と、義勇奉公に邁進する橋本氏も例外に漏れず。通って居た大学・学業も覚束無いものとなり果てて終いました。そして、2013年11月2日に早稲田大学で行われた「早稲田祭2013」のMCにて留年を発表。通信課程への編入から再起を期すものの、戦局は我に利あらず。遂には翌年夢半ばにして「中退」という苦渋の決断を下すに至ったのであります。


其からしばらく後…。


橋本氏「我らが選抜の前衛・フロント1列目は皆センター経験者がほとんど。又は交換留学生の松井玲奈殿ぐらいか…。私はとりたてて何かなし得て居る訳ではない。果たして其処に立ち続けて良いものか?」


迷いを抱きつつも日々の訓練と活動に勤しむ橋本氏。しかし、元々頑丈ならざる身に影が忍び寄りつつありました。


橋本氏「何としたことか?我が身が思うようにならぬ…!」


そして愈々容易ならざる局面となった2014年7月中旬頃、橋本氏自らが体調が芳しくないと発表なされました。


橋本氏「動かぬ我が身…、此程口惜しいものは他に無い。既に皆は握手会をこなしつつ、真夏の全国ツアー2014の戦陣に立とうと準備して居る…。大勢の、沢山のファンの方々も待っておられる。こんな所で遅れを取ってなるものか…!斯様な姿を、郷里に残した父上、母上、そして我が愛する弟には見せられん。申し訳が立たんでは無いか!」


全国ツアーという大御戦(おおみいくさ)が迫りつつある中に発せられた血涙たばしる熱き思い!


されども事態は好転どころか悪化の一途を辿り、遂には同月下旬に北海道の母親を呼び、身の回りの世話を頼む程に切迫…。献身的介護の甲斐もなく、当時行われた京都での握手会では声を出すことが出来なくなり、続く幕張での握手会では手書きのカードを使ってファンとコミュニケーションを図るなど満身創痍の状態になって行きました。


其の後、アナフィラキシー症候群という謎の病症にかかり、体も前後不覚となる有り様に…。体重も一挙に30kg台迄落ち、一時は命すら危ぶまれたのでありました。


斯様な状況を見かねた友人一同が橋本氏の自宅に駆けつけ、「栄養をつけよ!」と食事を振る舞うこともあったのであります。


其でも、何としてでも…!這いつくばってでも前進しようとした橋本氏…!其の胸中去来するものは一体何であったのか?


御友人一同「奈々未!何故、斯様に無理するのか?!親御さんから授かった体を粗末にしてはならん!」


橋本氏「気遣い無用!父上、母上には無理して東京の大学行きをお許し頂いておきながら、乃木坂46としての活動との両立叶わず中退の憂き目!あまつさえ、ファンの皆様方、乃木坂の運営スタッフさんから戦友・後輩の皆に迷惑を欠けておる始末!此儘おめおめと生き恥を晒せようか!?弟の学費のこともあるのだ!這ってでも行くぞ!止めてくれるな!」


御友人一同「今はまず、休め。そうでなくてはライブなど叶わんぞ…。」


将に忠孝義烈…!鬼神をも哭かしむる気迫と闘魂、例え我が身が砕け散ろうとも、全てのファンの為、戦友の為、郷里の家族の為、道産子の意地に掛けても橋本氏は前に進もうとしたのでありました。


此の心意気はファン一同の胸を強く打ち、当時の生誕委員会を中心とした方々の呼び掛けもあり、千羽鶴が失意の内に病床に伏す橋本氏の元に送られると云う美談を残しました。


時恰(あたか)も「真夏の全国ツアー2014」という新たな戦いが始まる矢先のこと。捲土重来の為、涙を飲み、断腸の思いで地方公演を全て辞退。ファイナルとなる東京は神宮球場での現場復帰を目指す作戦方針となったのであります。


橋本氏「必ずや…、成し遂げてみせる!」


※入退院を報ずる当時のニュース。





※御自身のブログ上にて、悔し涙を流しつつ無念やる方ない想いを発せられた橋本氏。切々たるやり場の無い慟哭に、見る者をして落涙を禁じ得ぬ一幕であります。


























残念ながら神宮での復帰は叶わなかった橋本氏。其でも終幕も近付いたアンコール時にステージ場に上がられ、御自身の現状とファンへの謝罪の言葉を述べられました。


桜井キャプテン(当時)「皆の衆!喜べ!今宵はななみんが来てくれて居るぞ!」


橋本氏「こんばんは!ライブは盛り上がってくれたか?ずっと客席後方より見て居たぞ。サイリウムと、最後の『君の名は希望』の時、花火が打ち上がったであろう。凄く綺麗であった。そして私事であるが、此度体調不良に依り皆様方に御心配と御迷惑を御掛けしたこと。誠に申し訳ない限りであった…。」


「されども、私の為に時間を割いて頂き、皆様方の前でご挨拶・けじめをつけられる程度迄には体調も回復した。真に次の曲(10枚目シングルのこと)から参加したい腹積もりではある。此から体力を戻して早く皆様方の前にしっかりとした衣装を着て立つことを、身命をなげうってでも1日も早く実現するように努めて参る所存である!」



後に橋本氏は語ります。


橋本氏「正直2014年は全て無であった。心も無。仕事も無。病気で体を壊してからは気持ち的にも落ち込んでしまった。振り返ると本当に辛く、長い闇の中にいるようであった。」


「神宮での挨拶の前…。其の時のファンの方々の光景と戦友達の裏側のバタバタぶりを見て居たので…。皆が必死になってやって居る姿。悔しくて号泣しながら帰って来た姿も見て居たが故に…。あの場所、あの神宮での光景が私の中で一番強く残って居る。」


活動休止をして居た最中の橋本氏にとっては、勇士各員の奮励努力をする様、華々しく戦功を上げる姿が遠く感じられたのでありました。


明けて2015年、新年を迎えて体調も回復。気持ちも前向きになりだした橋本氏。1月に冠番組内で行われた11枚目シングルの選別発表時にフロントに選ばれた際には斯様に述べられて居ます。


橋本氏「昨年は個人的に何も出来なかった。皆が手柄を上げて経験を積み、ノリにノッて行き始めて居る年と感じて居たが、私はライブも舞台も出られなかった。…であるから此処から切り替えて何かを出来る様にという期待で此の配置につけたと思うので頑張って行きたい。」


悔しさをバネに、戦線復帰を果たした橋本氏。力強く噛み締めた胸の内も明かしております。


橋本氏「2015年に入って気持ちが上向きになった。ドキュメンタリー映画の中では我が弟の学費の為に頑張ると述べた。其は無論モチベーションとしてはあるが、ファンの方々の存在も大きかった。私はファンの方の声がないとすぐに逃げたいという気持ちになる。しかし、此処で逃げたら悲しむであろうなとも思う。握手会で、ドラマ、ライブを楽しみにして居る、また来るぞ!と言って下さるのが嬉しい。」


「すごく体がしんどくて『嗚呼、もう今日辛いワイ!』と思っても『今行かねば楽しみと言ってくれた人がガッカリする』と考えると『行かねば!』と思う。辛い時に私の体を動かしてくれるのも、ファンの方である。」


「綺麗事に聞こえると思うが天地神明に誓い、嘘偽りは無い。2014年は失望させてしまったファンの方に謝りたい気持ちであった。」


こうして、多くの勇士達が様々な思いで迎えた年。橋本氏は戦友達が闘うあの場所に戻るべく、決起したのでありました。


一番アイドルらしからぬ氏が、「ファン」という人々の為に…。











此の時の無念と決意を強く噛み締めた橋本氏。


2015年は大手淑女装飾誌CanCamの専属モデルに抜擢。







※同じく、同誌の専属モデルを努めれた同期の桜たる戦友・松村沙友理氏(右側)。












そして、ラヂヲ放送の一つTOKYO FMの番組「School of lock!」に於けるGirls locksのパーソナリティーの一人にも抜擢されるなど活躍の場を拡げ、精力的な活動をなされます。

















※先月、突如として凶弾に散った安部首相(当時)主催の催しに参加なさる乃木坂46勇士一同と橋本氏。











此の登り竜の如き勢いは明けて2016年へと大なる雄飛に繋がって参りました。


しかし、縦横無尽の働きぶりを見せた橋本氏も同年の真夏の全国ツアー・東京は明治神宮会場でのリハーサルの途中、遂に長年の無理も祟ったのか?腰を激しく痛めてしまい、緊急搬送の憂き目に遭われたのであります。


※既に予兆のあった橋本氏。



全体でのリハーサル中、激しい痛みを感じて戦列を離れる橋本氏…。













※歯を食い縛り、激痛に耐えるも、脂汗と涙の止まらぬご様子…。









※心配そうに勇士達が見守る中、遂に急遽搬送なされました。












しかし、橋本氏は本番にあたり、不屈の精神力で痛み止めを打ち、アドレナリンを放出してその苦しみすら忘れ、ものともせずに全力でのパフォーマンス・プロフェッショナルイズムの発露を駆けつけた数万のファンに魅せつけたのでありました。

※当時の御本人の日記より。神宮球場では8/27、28、29の3日間が開催期間でありました。













※本番直前のリハーサル時の橋本氏。本来立って居るのがやっとであろうと推察されますが…。




「病院へは言った。倒れ伏してどうしても叶わぬ時には戦線を抜けねばならぬが、其までは戦陣に立つ積もりである!」

インタビューに力強く答える橋本氏。


























盟友白石麻衣氏とのタッグ曲「孤独兄弟」のパフォーマンスの際には、スタッフより、「腰が辛いだろうから、スタンドマイクにして、二人ずっと立ったまま踊らずに、スター気取りでゆっくり歌う感じでやろうではないか?」という提案がありましたが、


「せっかく良い振り付けがあると云うのに、私1人のせいで台無しには出来ません!演出を変えずにやらせて下さい!ファンの方々が待って居られます!お願いします!」


と、血書嘆願の如く強い直訴で其をはね除け、其の儘、腰の爆弾を抱えた儘舞台にかけ登って行ったのでありました。

























橋本氏が誰からも一目置かれ、尊敬の眼差しを受けていたのは、こうした氏の姿勢に依る所、大なるものがありました。





其だけに乃木坂46卒業・芸能界引退の発表は、世間・後世に与えた衝撃や影響も又、大きかったのであります。


続く
Posted at 2022/08/24 01:10:05 | コメント(0) | トラックバック(0)

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