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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2019年08月12日 イイね!

インフルエンサー(影響者)4

インフルエンサー(影響者)4『加藤隼戦闘隊長、敵機に対し勇猛果敢なる突撃!』『嗚呼、ベンガル湾上に相討ち!壮烈なる自爆!』


此の衝撃的なニュースは、瞬く間に前線の陸軍航空隊に伝わりました。特に加藤少将率いる飛行第64戦隊では、折からの南方特有の「テング熱」と加藤少将戦死の悲報から、次々とエースパイロットクラスの部下達が倒れて寝込んでしまい、一時戦闘継続すら危ぶまれたのでありました。


戦死の衝撃は後に下された加藤少将への通算7回目の感状(抜群の手柄を立てた者や部隊に対して、軍上層部から下される誉れ高き名誉ある賞状)の文章にも見て取れます。


「…部隊の赫赫(かくかく)たる功績に関しての既に再度感状を授与して顕彰する所ありしが、其の戦功は一に中佐の特に高邁(こうまい)なる人格と卓越(たくえつ)せる指揮統帥、および優秀なる操縦技能に負うものにして、其の存在は実に航空部隊の至宝たりしに、にわかに壮烈なる戦死の報に痛惜(つうせき)極まりなし……」

 のちに加藤中佐には二階級特進の栄誉があたえられて少将に任官(これまで述べてきた加藤少将というのは最終階級)。以後軍神として祀られることになったのであります。


勇猛果敢、しかし慎重。部下の信任も厚かった加藤少将。戦後、部下の檜氏と、黒江氏という二名のエースパイロットは著書の中で以下の様に記しております


―「それではすぐに行ってまいります」と私がたちあがりかけると、部隊長が私をよびとめた。
 「檜、きみの中隊も不運つづきで相当やられたが、もうひとふんばりだ。頑張ってくれよ」
 ふかい慈愛にみちた言葉でそういわれると、私はもう言葉につまり、なぜか目頭(めがしら)に熱いものがこみ上げてくるのをどうすることもできなかった。――
 ――「おい、みんな、これを見ておけ」
 ふりかえってみると、いつの間にみえたのか加藤部隊長が、ちかごろ肌身はなさず愛用している黒眼鏡をかけてピストの前に仁王だちになり、一枚の空中写真をみんなの前にさしだしている。
 その写真をまっさきにのぞきこんだ片岡中尉が、「部隊長、たくさんいますなあ」と、歓声をあげた。
 だが、部隊長の表情にはなんの変化もない。
 日ごろ雑談を繰り返すいつもの調子で、顔には、笑(え)みさえうかべている。
 「どうだ、今日はひとつやろうぜ」とこともなげに口をひらいた。
 この加藤隊長の、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)たる表情に接し、またその軽い囗調のなかに秘められた、かたい決意の言葉をきくと、我々は、いつのまにか、よし、いっちょうやるか、という気持が勃然とおこってくるから不思議である。――
(檜輿平著『つばさの血戦』より)


――加藤部隊長がそのとき私をよんだ。だれもいない天幕のなかで、猛将加藤部隊長はこういった。
 一語一語くぎりながら、
 「黒江君、いいか、敵を撃墜するだけが戦闘機の任務ではないんだ。
 ときには、自分がやっつけられても、僚機がやられても、我々の最終目的がなんであるかを忘れてはならないよ。
 今日は、それが、我々の任務だった。
 だからぼくは、君らがうしろで空中戦を始めたのを知っていたが、知らぬ顔をしてローウィン(敵の根拠地の一つ)まで行ってきた。
 ね、いいかい、そこだ。
 これからつらいこと、悲しいこと、腹のたつこと、自分を情けなく思うこと……、いろいろあるだろう。
 だが、大きな目的のために我々は自分をみ失ってはいかん。
 ……いつでも、全航空部隊のために、我々が、どう役だたなければならないか、それだけをいつでも肚の底に忘れないようにしてくれたまえ。
 いいかい、けっして戦果を誇ったり、派手(はで)に動くことを考えるのじゃないよ……」
 慈父が子供をさとす文句であった。
 猛将の心のうちに、こんなふかい思慮があろうとは知らなかった。――
(黒江保彦著『ああ隼戦闘隊』より)


これらの行間に、加藤少将に対して絶対の信頼と尊敬をよせていた部下たちの、あふれる想いがうかがわれるのであります。


最前線で活躍された一方、加藤少将は、如何に自存自衛の為の大義ある戦とはいえ、大東亜戦争が日本を危機に陥れ、勝ち目のない戦いになるであろうことを見とおしてもおりました。


前述の海外視察。即ち昭和14(1939)年3月の陸軍大学校卒業後、寺内大将(後の南方軍総司令官)一行の外国航空事情視察団の一員として、ヨーロッパとアメリカをまわった際、其の時に見たアメリカの工業力に、とくに強い印象をうけたようで、帰国後、奥様へ「アメリカとだけはけっして戦争をしてはならない」と語ったのであります。


そして戦争への危機が深まり、「隼」戦闘機をうけとって内地をたとうとする昭和16年10月末、奥様へ「もしアメリカと戦争をするようになれば、絶対に生きてかえれないだろう」と決意のほどをうちあけてたのであります。


 敵の実力を知り、そして日本の実力と「隼」戦闘機の限界をも知っていた加藤少将は、それでもなお軍人としてもっとも勇敢にふるまい、指揮官として自己の任務を完全に果たそうとされたのでありました。


戦死された時、恐らく肉体的にも精神的にも限界に達していたのではないかと思われます。惜しむらくは、此の時、我が軍の南方作戦・第一段作戦は資源地帯を抑えたことで成功したものの、正に戦いは此からという時でありました。


続く

※添付画像は加藤少将、無言の帰国時の様子。


Posted at 2019/08/12 13:18:53 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年08月11日 イイね!

インフルエンサー(影響者)3

インフルエンサー(影響者)3出世コースとも言えた歩兵隊から航空隊へ転じた加藤少将。周囲から少なからず「なぜわざわざ?」との声もあった由。


其に対しては「これからは飛行機が戦争の決を決める時が来る…!」「私がやらねば誰がやる?我が国の平和の為なら出世コースなど惜しくもない!」という思いも強かった様であります。


猛訓練に依る技術向上と、航空機研究開発も進んだ一方、時は流れて1930年代に入り世界に於ける風雲も急を告げる時が来ました。


1920代末の世界恐慌の後の欧米列強によるブロック経済(本国と植民地以外へは閉め出し的な経済政策)は、恐慌から何とか立ち直りつつも、資源の少ない我が国にとっては大打撃となりました。


かくなる上は日清・日露戦争を経て多大な血を流して得た大陸の権益が益々重要となりましたが、中国の反日勢力との対立から満州事変、支那事変が勃発。此が中国を支援する米英との軋轢を生み、更には米英蘭(オランダ)を中心とした経済制裁を受けたのを機として大東亜戦争が勃発したのでありました。

※支那事変(日中戦争)進軍図




※開戦直前の各国勢力図




我が帝国陸海軍は、自存自衛の為に当時は敵の植民地であった南方資源地帯(今の東南アジア。石油やゴム、金属類といった資源が豊富)の解放を目指して進軍することとなったのであります。

※南方作戦進軍図




後に欧米の歴史家をして「これは白色人種対差別されていた非白色人種の戦い」とされた空前絶後の世界大戦が勃発したのでありました。


其処には中国大陸から南方戦線へ。常に航空部隊を率い、先陣をきって活躍する加藤少将の姿がありました。


加藤少将自身は昭和14年の欧州視察の折、当時のナチスドイツの精強航空部隊「ルフトバッフェ」の主力戦闘機「メッサーシュミットBf109」を軽々と乗りこなし、ヒトラー総統の舌を巻いたとされる豪傑ながら、アメリカの大規模な産業施設を視察された際には「此の国とだけは、戦をしてはならんな」と、衝撃を受けた様であります。


しかし、時代は加藤少将の存在を必要としておりました。戦いにおいてはチームワークを重視して個人の手柄にはやる部下を諌め、中国戦線に於いては撃墜した敵パイロット終焉の地へ華輪を投じる等、敵味方を問わずに技術だけでなく優れた人格が称賛の的を受け、陸軍上層部からも複数の感状をたまわっておりました。

大東亜戦争開戦前夜…。中国大陸の空を圧倒した陸軍97式戦闘機。しかし、次なる戦場には新たに着陸時の脚・タイヤを主翼に納めて空気抵抗を減らし、更には広大な南方戦線を駆け抜けるのに必要な航続距離を持つ、時期主力戦闘機が必要となっておりました。

※97式戦闘機











そこで研究開発中であった後の陸軍一式戦闘機・隼に白羽の矢があたりましたが、様々な問題から一度はお蔵入りになりかけました。

※一式戦闘機・隼













其に対して加藤少将「機体の脆弱性でテスト飛行が怖いなら私がやる!米英の一線級の飛行機と戦うなら隼しかない!」と、自ら志願して引き受け、様々な困難をパスして見事に隼をデビューさせたのであります。


話は戻って開戦と共に加藤少将率いる飛行第64戦隊。通称「加藤隼戦闘隊」は、英領マレー、シンガポール、蘭印(オランダ領東インド。今のインドネシア)。更には返す刀で英領ビルマと、縦横無尽・八面六臂の航空撃滅戦に依る活躍を見せ、其の無敵の翼の前に脆くも敵兵力はひれ伏したのでありました。


其処にはやはり率先垂範、自ら先頭に立ち、部下を鼓舞し続ける加藤少将の姿があったのであります。こうした加藤少将の姿は部下をして勇気百倍、「加藤教」とも言える絶大な信頼関係を構築し、大戦果を伝える報道に国民は熱狂したのでありました。


また加藤少将は部下たちに、「何機撃墜したかと聞かれたら、部隊の撃墜数を述べよ」と個人の功名争いを禁じ、チームワークを重んじます。


また敵機との戦いに夢中になって任務を疎かにする者には、雷を落としました。しかし部下を叱った後は、さりげなく果物などを振る舞って、奮起を促したといいます。


そして、運命の昭和17年5月22日。ベンガル湾に面したアキャブ基地から部隊が東方のトングー基地に移動を始めていた時、加藤少将は前日にジャングルに不時着降下した部下の安否を知るため、最後まで残っていました。


そこへ突如、英軍爆撃機ブレンハイムが来襲しました。

※ブレンハイム爆撃機(ブリストルブレニムとも言う)







「エンジンを回せ!迎撃戦だ!」


準備が整うや否や次々と離陸する数機の隼!部下が数機で勇猛果敢に突進し、代わる代わるに射撃を加えるも、敵ブレンハイムはなかなか墜ちず…。逆に巧みな後方旋回機銃の反撃により被弾相次ぎ、次々と隼は戦線離脱せざるを得ない憂き目に合いました。


「皆、大丈夫か?無理せずに下がれ!私に任せろ!」


不休の連戦に次ぐ連戦で疲労困憊していたであろうこの時の加藤部隊は、必勝法の組織だった編隊飛行は叶わず、精彩の欠く戦いとなってしまいました。部下の被弾と待避を目にした加藤少将は、まなじりを決してインド洋上まで敵を追撃!

「此で終わりだ!食らうが良い!」

遂に必殺の一連射で敵を被弾させます。

しかし、背後から攻撃をかけた瞬間、敵の機銃弾で相討ち!愛機の翼が火を噴きました!

見守っていた部下達。「あ!加藤隊長!」

チラッと後ろを見る加藤少将!しかし、無情なる紅蓮の炎は無敵の翼をどんどん焼き付くして行きます。

「距離はこんなにも近い!出来れば加藤少将を持ち上げて救いあげたいものを…!」無論、其のようなことをすれば空中衝突です。己達の無力に成すすべもなく、地団駄を踏む部下達の隼…。まるで雛鳥が傷ついた親鳥をおもんばかる様でした。

陸地は近いものの、そこは敵地。普段から部下に対し「敵地に不時着して捕虜になるようなことがあってはならん。もし、帰還叶わぬ時は機を急反転して自爆せよ」と、厳命していたとも言われております。


その言葉通りに加藤少将は部下たちの見守る中、機を反転させてベンガル湾に突入、壮烈なる自爆を遂げ、海原に散りました。自ら言っていたことを身をもって示したのでした。


其の日、ビルマの空は抜ける様な青空。ベンガル湾は鏡の様に美しい日でありました。


続く
Posted at 2019/08/11 08:43:08 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年08月09日 イイね!

インフルエンサー(影響者)2

インフルエンサー(影響者)22017年2月20日(月)午後22時頃。乃木坂46 5th birthday live 初日終了後のさいたまスーパーアリーナ控え室…。


橋本氏「さて、此で我が役目は果たされた。最後のゴンドラで天井に吸い込まれる演出、なかなか粋であったな…。最後迄声援を下さったファンの方々には頭も上がらんワイ…。」




※天井に吸い込まれる橋本氏を乗せたゴンドラ。涙の終幕。






※長年苦楽を共にした戦友達との集い。同期の桜たる1期生と後輩の2期生を交えた記念撮影。






3期生新兵一同「橋本さん、お疲れ様でありました!」

橋本氏「おお、3期生の皆か!出迎えご苦労!」

3期生「終始、圧倒的でありました!」「我々も及ばずながらご一緒させて頂きたかったものであります!」「しかしながら、偉大な先輩方の間に入るなど何とも恐れ多く…!力不足が口惜しいです…!(涙)」

橋本氏「まぁ、そう泣くな。焦らずとも明日21日の2日目は諸君らの初陣であろう?明後日もあるではないか?」

3期生「ハイ!そうであります!」

橋本氏「ならば良いではないか。今日迄で乃木坂の第1幕が終わる。ある意味で旧色とは混ざらない方が良かったかもしれん。明日からの第2幕は君らの時代だ。君らの純真無垢な色を、私無き後の乃木坂46の色を、新たに付けて行ってくれたまえ。」
「私が最後に出来るのは君達に背中を見せること。我々を支えて下さるファンの方々、運営スタッフの皆さま方への感謝。そして今日涙した先輩方、乃木坂魂の発露!光輝ある伝統の継承!忘れるでないぞ!」

3期生「ハイ!乃木坂46の名に恥じぬ様に精一杯頑張ります!」

橋本氏「よし!其でこそ私の見込んだ3期生だ!後を頼んだぞ!」
「1期生、2期生の皆!今まで世話になったな!礼を言うぞ!そしてまいやん、我が生涯の盟友として、皆のことを任せたぞ!」

白石氏(まいやん)「ウム、任せてくれ!ななみん(橋本氏)もいつまでも泣くでないぞ!」

橋本氏「そっちこそ!泣いておるではないか?(笑)」











インフルエンサー(影響者)としての橋本氏。卒業後の乃木坂46の未来を残れる勇士達に託し、新しい道へ旅立たれたのでありました。


橋本氏「外は暴風に氷雨か…。ファンの方々の慟哭であろうか?無事の帰宅を願うしかあるまい…。」








さて、此処迄の流れを以前記していた乃木坂46と明治健軍の大日本帝国陸海軍の歴史にリンクさせるブログ「龍虎相立シリーズ」の手法に乗っ取るならば、橋本氏の活躍は同じく北海道旭川市出身の、同郷の先輩にあたる陸軍少将加藤建夫氏に相通じるものがあります。


明治に入り風雲急を告げる日本。当時は欧米列強の帝国主義が500年以上をかけて世界中を食い物にして居た時代。搾取され虐げられ民を救うべく、東亜最後の砦である我が国に課せられた使命は大なるものがありました。


対ロシアの備えとして、北海道へ屯田兵として入植した加藤家。後に日露戦争で父を、病気で兄を、陸軍で活躍して居た肉親を相次いで亡くされた加藤少将は、遺志をついで陸軍への道を進みました。そして陸軍の中心にして花形の歩兵隊から、第一次欧州大戦を経て飛躍的に重要性が増したものの、当時はまだまだ創世の時期であった航空隊に転じ、其の道のパイオニア(先駆者)にして、後にインフルエンサー(影響者)としての地位を築いて行くことになるのであります。

南方戦線に於ける加藤少将



後に其の活躍をまとめた国民的大ヒット映画「加藤隼戦闘隊」




続く

Posted at 2019/08/09 22:41:50 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年08月07日 イイね!

インフルエンサー(影響者)

インフルエンサー(影響者)乃木坂46の「サヨナラの意味」に続く2017年4月発売の17枚目シングルは「インフルエンサー(影響者)」という代名でありました。


「インフルエンサー(影響者)」が誰を指すのか?此には様々な御意見があるかと存じ上げますが、私には卒業された橋本氏ではあるまいか?と、思えてなりません。


ブログの添付画像は、「もし、橋本氏が卒業せずに17枚目シングルのジャケットを飾ったら?」という幻のイメージ画であります(Twitterのファンの方作成のものを引用)。


只の寄せ集め・素人集団であった乃木坂46をデビューから5年目にしてシングル100万枚以上の販売達成を果たすと云う、斯々たる大戦果を納める精強集団とされたのに多大なる貢献を果たし、公式ライバルであるAKB48に対しては、名実共に追い付いて来たと云う華々しい実績を置き土産に残して人気絶頂期での卒業・引退…。今では其の消息は蜃気楼・幻の如く霧散霧消し、推して知るべしという状況。


高潔な人格と伝説的な幕引きは、多くの方々に影響を与え、今やファンの間では「軍神」としての誉れ高い崇敬を集める存在であります。


もし、橋本氏が続投して他の勇士達が史実通りに卒業して居たならば、「軍神」のイメージの代わりに、盟友・白石氏と共に3~4期生の新兵もまとめつつ、グループを率いる軍師的存在としての地位を固め、違った意味での「インフルエンサー(影響者)」になって居たと思われます。


或いは本年9月の桜井玲香キャプテン卒業・神宮球場公演では、「新キャプテン白石氏」「副キャプテン橋本氏」と云う2大巨頭が見られたかもしれません。


橋本氏「次は24枚目の最新シングルの陣形を取るぞ!前衛4期生、筒井!賀喜!センターの遠藤を支えよ!掘!飛鳥!フォローを頼む!」

「中央、白石!松村!御三家の意地にかけて桜井キャプテンを見送るぞ!生田も両脇3期生を気にかけてくれ!」

「後衛、梅澤!北野!秋元!久保!高山!星野!新内!2期生!3期生!殿(しんがり)を頼む!私も三年前(2016)には腰をやられたが今は大丈夫だ!1期生も半分に減ってしまったが、まだまだ行くぞ!」

「与田!梅澤!復帰したばかりの山下を支えよ!休業中の大園(24枚目シングルの活動は体調不良でお休み)の分も頼むぞ!3期生の結束も見せてやれ!」


歴史に「if」はありませんが、そんな乃木坂46、更に言えば2019年も奮戦中の橋本氏を見てみたかったものと思います。


※最新シングルの陣形 3列目一番左側が3期生 梅澤氏、2期生 北野氏、1期生 秋元氏、3期生 久保氏、1期生 高山氏と星野氏、2期生 新内氏。

2列目一番左から3期生 山下氏、1期生の生田氏と白石氏と松村氏と桜井キャプテン、3期生 与田氏。

最前列左から2期生 掘氏、4期生の賀喜氏と遠藤氏(センター)と筒井氏、最後に1期生齊藤飛鳥氏。これを橋本氏が軍師的に指揮したら?と云う想定。





さて、話を現実に戻しますと、一方では「ななみんロス」という、橋本氏に2度と会えない寂寥感から、古参から新規ファン迄多くの方々の心を苦しめて居るのも又実情なのであります。無論、著者も其の1人であります(涙)

続く





「まだだ!まだ終わらんよ!」

Posted at 2019/08/07 16:09:34 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年08月06日 イイね!

橋本氏の心の中9

橋本氏の心の中9「愈々終幕が迫りつつある…。卒業の決断に何ら悔いは無し。されども、同期の桜たる戦友達、ファンの皆さま方との別れはなかなか響くものよ…。」

「しーちゃんの先程の振り付けミスにはヒヤッとしたが、やはり我が卒業に動揺も隠せん様子か。しかしながら今後の乃木坂の行く末は任せても良かろう。しっかりやってくれるはずだ…。」

「此の期に及んで彼是(あれこれ)考えてしまうとはなあ。我が身は一つしかないと云うのに…。其こそないものねだりであろう(苦笑)」

一曲一曲を消化する度に、橋本氏の乃木坂46としての最後の時が迫りつつあります。潔く己の信念を貫く橋本氏。しかしながら、いざ時が近づけば其の胸中に去来する様々な思いも想像だに固くはありません。

人気筆頭の左から松村氏、橋本氏、白石氏の御三家に依る楽曲「three hold choice」3人の中から1人選べと云う無理難題の楽曲であります(笑)










愈々本編、残るは3曲。橋本氏のもう一つのセンター曲「孤独の青空」から、最初にして最後、唯一無二のソロ曲「ないものねだり」と続きます。




鳴り止まぬ、山なりのようなななみんコール!そしてステージ上に改めて1人登壇した橋本氏は噛み締める様にして「今日で卒業です」。と、申し上げ、それからないものねだりと云う曲についても「卒業に辺り頂いた曲である。自分の中で、すごく大事、大切であり、好きでもあり、今後も人生の節目で聞いて行く曲である」と語りました。


其から歌詞に触れて「ないものねだりしたくないと歌って居るが、斯様に素敵な景色を何度も見ているにも関わらず、別の道を歩まんとして居るのが一番のないものねだりと感じて居る」。しかし、「自分で選んだ道の先に正解があると信じて居る」と、此れからも前向きに生きると宣言し、万雷の拍手喝采を受けたのでありました。


テレビ上でないものねだりを歌う橋本氏。乃木坂46に於いて此程美しきソロ曲はなかなかありません。










ないものねだりを歌い終えた橋本氏の後ろに勇士達が集結。皆を代表して白石氏が橋本氏に送る言葉として手紙を読み上げました。万感の思いで沸き上がる涙。何度も声を詰まらせながらの朗読。何とか読み終えると橋本氏に固い包容をし、号泣されました。其から発した「ティッシュ下さい~」の一言で貼り詰めていた会場内の緊張感は弛み、和やかな笑いに包まれたのであります。


続いて橋本氏が「まいやん(白石氏のあだ名の一つ)ありがとう」と、感謝の意を表す中、白石氏は「涙でメイクが崩れた」と延べ、橋本氏は「大丈夫、まいやんは可愛いよ」と延べました。するとすかさずに白石氏が橋本氏のかつて初期のCMで棒読みが話題となった代名詞「そっちこそ!」と切り返し、「やられた!」と笑う橋本氏。微笑ましい応酬に見守る勇士達、皆落涙したのでありました。そしていよいよ最後の楽曲「サヨナラの意味」が始まります。


伝統ある音楽番組・ミュージックステーション上にて万感の思いを込め、最後の「サヨナラの意味」を歌いきりラストステージを飾る橋本氏。全てを出しきった表情が万感・胸に迫ります。










歌詞中にある「後ろ手でピース」の図










移動式の床で会場内隅々迄渡る橋本氏。ファン一同に別れを告げます。










大観衆に見守れて戻り、勇士一同の後押しを受けて歌う橋本氏。



話はやや前後しますが、ないものねだりを歌い上げて後に白石氏が手紙を読み上げ、固い包容を交わす両氏。









手紙の内容。











此だけで十分映画になります(涙)




23枚目シングルでセンターを勤め、現在の乃木坂46を牽引する1人、齊藤飛鳥氏。橋本氏の意思を受け継ぎ気丈に振る舞う氏と白石氏が唯一甘えることが出来たのが、橋本氏という大黒柱でありました。




















全ての楽曲を終えて「終わった!」と述べる晴れやかな表情の橋本氏。5年半に渡った激動の活動の歴史に幕を下ろし、大団円を飾りました。此処に一つの時代が終結を迎えたのであります。







集まったファン一同に対し、終電はあるか?大丈夫か?と気遣った後に、
「皆さんありがとう!さようなら!」と、吊り下げ式のゴンドラに乗り漆黒の天井に吸い込まれるようにして舞台を去った橋本氏。飛ぶ鳥跡を濁さずとは正に此のこと。









ステージ上には氏の最後のメッセージが残りました。



橋本氏ロスに陥り、涙する同志達…。






御三家に依る最終ショット。もし此の時にアンコールがあれば橋本氏も着ていたであろうbirthday liveのTシャツを白石氏と松村氏が着ております。ライブに参加のかなわなかった方々に時折「何故アンコールしなかったか?」と聞かれることもしばし。「あの時はそんな空気では無かった」と、応えるのが精一杯であります(苦笑)



同期の戦友・生田氏との記念すべきオフショット。





歴史的終幕を大々的に報ずる翌日の新聞各社。



後日、23日に橋本氏は自らの担当されるラヂヲ番組「スクールオブロック」に於いても卒業と別れの挨拶。もっと早くに橋本氏を知りたかったと後悔するファンに対して「人は必要な時に必要な人と出会う」と諭されました。まさに名言であります。そして北海道弁で別れの挨拶「したっけ~」と述べられ、此が橋本氏の公共電波等に於ける最後の言葉となりました。

















橋本氏の公式ブログに於ける記念すべき第一回目と別れの最終回。そしてブログ閉鎖を伝える運営の苦渋の発表(涙)個人的には歴史アーカイブスとして残しても良かったのでは?と思います(涙)





最後のブログには、後に二万件を越えるコメントが残されました。如何に氏が皆から愛されて居たかが伺えます。





自らの所属した一流のファッション雑誌「CanCam」にて、別れを告げる橋本氏。


















もう一つの冠番組・「ノギビンゴ」内にて、橋本氏を推して居た妄想カメラマン氏(笑)







欅坂46の志田氏との浮気の嫌疑をかけられる同氏(笑)







詰め寄られて最終的には橋本氏に決定(笑)


最後は橋本氏にお別れの御手紙と花束を頂いた妄想カメラマン氏(本名・加美山稔氏)のほっこりエピソード。






橋本氏は、冠番組「乃木坂工事中」を卒業するに辺り番組司会のバナナマンへ、以下の様にも述べました。


「なかには私の卒業に対し、今迄の応援は何だったか?と快く思わぬ向きもあろうかと存じ上げる。しかしながら、今後の人生に於いて、皆さま方の脳裏から私が消えたとしても、私の中ではファンの方々の応援が一生の、今後の支えとなる。」とも語って居ります。氏の人間性に惚れたファンも多かったことでありましょう。











上京直後から芸能界の荒波にもまれ、粉骨砕身、身を削るが如く乃木坂46の為に全てを捧げてきた橋本氏。同期の桜たる勇士達に誘われて初めて東京ディズニーシーを訪問し、エレクトリカルパレードを観て感涙に咽び泣いたとの由。


其迄一度たりとも「夢の国に行きたい」等と思ったことはなく、常に厳しい現実と向かい合い、生き延びることに必死であった橋本氏はすっかり夢の国の虜になり、ミニーの耳飾りを付けて大はしゃぎされたとのこと。卒業は、いわば普通の婦女子としての生活を選択した訳であります。卒業後の氏は今後は自由に行きたい場所に行き、好きなものを食べても良い訳であります。



新たな人生・道を模索・選択した我が永遠の推しメン橋本奈々未氏に対し、其の未来へ幸多からんことを祈願しつつ、此処に筆をおきます。










Posted at 2019/08/06 01:37:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 乃木坂46

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「[ハイタッチ!drive] ハイタッチ!drive
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