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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2020年03月10日 イイね!

弥生10日

弥生10日3/10というと毎年感慨深い日となります。 それは日本人ならば忘れ得ぬ歴史的な出来事によるものです(以下過去ブログの再録ながら掲載致します)。


「陸軍記念日」


時は1905年3月10日…。明治維新から40年。 当時日本は自存自衛の為、満州、朝鮮に触手を伸ばす大国ロシアを相手に一進一退の攻防を繰り返す日露戦争の最中でした。




辛勝を重ねつつこの日、陸の主戦場となった満州は奉天にて両軍合わせて50万以上の世界戦史上類を見ない一大会戦が勃発 。激戦を制したのは日本。続く日本海海戦でも勝利を納め、アメリカの仲介もありギリギリの所で講和に持ち込むことが出来ました。


ちなみにこの激戦では大東亜戦争初期、南方航空撃滅戦で高名を馳せた加藤隼戦闘隊で有名な加藤建夫の父が戦死されており、後に建夫が軍人を志すきっかけともなりました。


戦前はこれを「陸軍記念日」として、祝日としていたそうです(ちなみに日本海海戦勝利の5/27は海軍記念日とした)


余談ながら世界史に残る有名な歩兵大会戦といえば、ナポレオン最後の戦いといわれる“ワーテルローの戦い”(フランス軍12万、英蘭プロイセン連合軍14万)。

この戦いでナポレオンはプロイセン連合軍に敗れて、皇帝を退位。英国への亡命を断られ、セントヘレナ島に流されます。


もうひとつ有名な大会戦といえば、“セダン戦争”があげられます。1870年の普仏戦争で、フランス(12万)とプロイセン(20万)との間で行われた大会戦です。「セダン」と言ってもクラウン対セドリックの戦いではありません(笑)


どちらの戦いも、現代の欧米人と話すときは、一般常識。知らないとバカにされるらしいです(汗


其の規模を上回る大会戦を我々の祖父達は見事に戦い、勝ちを納めたのであります。其の事はもっと胸を張って良いと思います。


「東京大空襲」

それから更に40年後の1945年3月10日。日本は未曾有の危機に陥っておりました。


先述の明治維新以来、対外戦争に於いては常に外地で敵に勝利を納めていましたが 1941年開戦の米英を中心とする連合国を向こうに回した大東亜戦争では、初戦の優位も叶わず、圧倒的物量差のある米国に敗退を重ね 、遂に帝国本土・内地への敵の醜翼の侵寇・空襲を許してしまいました。

※以下引用画像は我が防空戦闘隊と米軍機の激闘の様子。















特に9日夜から10日未明にかけてサイパン、グアムより飛び立ったボーイングB‐29大型爆撃機約300機により東京は大空襲を受け、今のスカイツリーのある下町を中心に死傷者約10万、被災者100万を越える大損害を出しました 。其から5ヶ月後、空襲と原爆により、大小都市の消滅した日本は降伏を余儀無くされました。

※東京上空夜半の奮戦



燃える家屋



一夜で焦土と化した東京



戦後いまだに日本の戦争責任を問う勢力がありますが、国際法を明らかに無視した本土空襲、原爆投下の数十万人の大虐殺の責は誰が問うのか?とはなはだ疑問であります。現在の国防上日米同盟は大切ですし、ロードスター乗りの多いアメリカの文化は好きですが、民族の記憶として忘れてはならんことと思います。


現代日本の平和は、積もり積もった多くの偉大なる先人達の屍の上に成り立って居ること。教育問題やら何やらが取り沙汰されて久しいですが、まずはこうした基本的なことを老若男女問わずにしっかり教え、受け継いでいかねばならないのであります。

合掌敬礼。
Posted at 2020/03/10 22:02:03 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年03月03日 イイね!

四国名所・紫電改展示館

四国名所・紫電改展示館先日NHKオンデマンドで見た帝国海軍の戦闘機「紫電改」の番組が大変印象的であったので、ご紹介致します。




時は大東亜戦争末期の1945年。紫電改は日本本土に大挙来襲する米軍機を迎え撃つべく、旧式化したゼロ戦に代わる最新鋭戦闘機としてつくられました。





格闘戦重視・軽量化の為に防弾設備を犠牲にして、約1000馬力エンジンを生かしたゼロ戦に対し、紫電改は米軍新型機の特徴を取り入れた2000馬力エンジン、重防御、重武装が目玉でありました。又、自動空戦フラップというのを採用し、未習熟パイロットでも簡単に小回りのきく性能を手に入れたのであります。


「戦局挽回の為には制空権の奪回が肝要である!」との掛け声の下、内地、大陸、南方の各戦線からエースパイロットが集められ、紆余曲折を経て現在の愛媛県松山空港を基地とする「第343海軍航空隊」が結成されました。



此の戦闘機隊を有名にしたのは1945年3月19日の九州沖航空戦であります。



我に倍する敵恐るるに足らず!と、2倍以上の敵に対し、其の半数近くを撃墜するという大戦果をあげたのであります。


4月に沖縄戦が始まると、特攻隊支援等で九州へ移るなどして死闘を繰り広げますが戦局の好転には至りませんでした。


そして、7月24日。来襲した500機以上の米軍機に対し僅か21機で突入して行った戦闘隊は僅か10分足らずで16機程を撃墜しますが、未帰還6機の損害を出しました。此の内の一機が愛媛沖に不時着水。パイロット諸とも海中深く没したのであります。


時は流れて其から約30年後、海に落としてしまった漁に使う道具を探して居る最中、偶然に紫電改は発見され、愛媛県側が引き上げることにしたのであります。


一体誰が乗っていたのか?遺骨も残らないパイロットの遺族達が真剣な眼差しで見守ります。



一分間に約1mのスピードで慎重に引き上げられます。







思わず感極まり、花を投じる関係者達。20歳そこそこで空に散った勇士に想いを馳せます。











しかし、30年の歳月から腐食も進み、コクピットには遺品、遺骨等手がかりとなるものはありませんでした。



よく頑張ってくれたと、労いと感謝を述べる元・同僚の方。著者も思わず涙ぐんでしまいました。










最早誰が乗っていたか?ではなく、引き上げられた紫電改は「6人の勇士達の象徴」として、補修保存が決まりました。其が設けられたのが現在の「紫電改展示館」であります。拝観料は無料で、各種お土産品もあるとのこと。曲がったプロペラは遺族の方々の願いもあり、不時着水した時の衝撃其の儘にされました。





















場所は此方。昨年10月にロードスター30周年ミーティングの帰りに四国・徳島にお邪魔しました。今度再び四国に遠征する機会にはぜひ立ち寄ってみたいと思います。





敵味方を問わず、其々の立場で戦った全ての勇士達に対し、合掌敬礼。
Posted at 2020/03/03 19:03:31 | コメント(3) | トラックバック(0)

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