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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2020年05月22日 イイね!

追悼・加藤建夫少将

追悼・加藤建夫少将尊敬する人物、二人目は有名な戦闘機乗りの方です。こちらも再載ながら加筆版にて、ご一読頂けますと幸いです。


昭和17年(1942)5月22日、加藤建夫(たてお)中佐が戦死しました。「加藤隼戦闘隊」こと、傑作機・一式戦闘機「隼」を愛機とする、陸軍最強の飛行第64戦隊長として知られます。「率先垂範の指揮官」加藤建夫についてご紹介してみます。


「一、いかなる困難にあたっても平常心を失わないこと、
二、何事も任務遂行を第一とすること、
三、個人の功名手柄に走って、団結を乱さないこと」


これは昭和16年(1941)12月8日の大東亜戦争開戦直前、加藤が飛行第64戦隊の部下たちに示した3つの訓戒です。部下たちは教えを守り、開戦後、マレー、パレンバン、ジャワ(インドネシア)、ビルマ(ミャンマー)の空で連合軍機と死闘を演じて、赫々たる戦果を上げました。


そして、空戦の先頭には常に、翼と胴に白い襷〈たすき〉を描いた加藤戦隊長の愛機の姿があったのです。


明治36年(1903)、北海道旭川に生まれ、陸軍士官への道を歩んだ加藤は自ら希望して航空兵となり、昭和12年(1937)の支那事変で飛行第二大隊の中隊長として初陣を飾りました。帰徳航空戦では敵9機を撃墜して、一躍陸軍航空隊のエースとなります。



その後、陸軍大学と航空本部勤務を経て、加藤が飛行第64戦隊の戦隊長として広東に赴任するのは、昭和16年4月、加藤39歳の時でした。


「新たな戦隊長は歴戦のエース」と聞いた部下たちは、さぞかし鬼のような豪傑かと緊張しますが、現われた加藤が温和で親しみやすい人柄だったため、たちまち打ち解けます。飛行第64戦隊は新型戦闘機「隼」を用い、猛訓練を重ねました。


ちなみに64戦隊の隼は尾翼に矢印を描き、それが部隊のトレードマークとなります。


そして12月8日の開戦。加藤たちに与えられた任務は、開戦劈頭、マレー半島に上陸する輸送船団の上空護衛を前日から行なうことでした。


しかし7日当日、天候は荒れ模様。航空機には危険極まりない状況ですが、加藤は自ら先頭に立ち、愛機に乗り込みます。「率先垂範、指揮官先頭」こそ、加藤が生涯貫いた指揮官としての姿勢でした。
加藤らの上空掩護は日没2時間前までとされますが、加藤は珍しく上層部に抗議します。「船団は日没前が最も敵の攻撃を受けやすい。ぜひ日没まで掩護をさせてください」。


もちろん日没まで掩護すれば帰路は暗夜となり、戦闘機には甚だ危険ですが、加藤はあえて進言します。作戦への責任感からでした。


任務の困難さは加藤も十分承知しており、自分を含め特に技量の高い者を選んで、掩護に当たりました。そして船団上空でイギリスの偵察機を撃墜する戦果を上げます。


しかし7日夕刻から猛烈なスコールとなり、3人の部下が未帰還となりました。加藤は深夜1時まで、嵐の飛行場に立ち尽くし、3人の帰還を待ち続けます。


この日を皮切りに、64戦隊はマレー半島に上陸した部隊の障害となる敵飛行場を次々に攻撃、敵戦闘機を撃墜していきます。補給部隊が追いつかないほどのその鮮やかな進撃ぶりから、「加藤隼戦闘隊」の名は陸軍最強の航空隊の代名詞となりました。


中でも加藤の存在感は圧倒的で、他部隊から異動してきた「空の宮本武蔵」の異名をとる黒江保彦大尉は、次のように語っています。


「雲の上を征く加藤隊長機には、恐るべき闘志と迫力が感じられて仕方なかった。(中略)殺気じみているようなすごい気迫のほとばしるのが見え、胸がたぎり立つ感じがした。『勇将のもとに弱卒なし』。この隊長のもと、なるほど部下はふるい立つ以外にない」


加藤は部下たちに、「何機撃墜したかと聞かれたら、部隊の撃墜数を述べよ」と個人の功名争いを禁じ、チームワークを重んじます。


また敵機との戦いに夢中になって任務を疎かにする者には、雷を落としました。しかし部下を叱った後は、さりげなく果物などを振る舞って、奮起を促したといいます。


そして、運命の昭和17年5月22日。ベンガル湾に面したアキャブ基地から部隊が東方のトングー基地に移動を始めていた時、加藤は前日にジャングルに不時着降下した部下の安否を知るため、最後まで残っていました。


そこへ突如、敵爆撃機が来襲しました。「まわせ!」加藤は迷わず愛機を駆って迎撃に向かいます。部下も次々と離陸して銃撃を加えますが、敵の後方旋回機銃による被弾続出で待避が相次ぎます。


不休の連戦に次ぐ連戦で疲労困憊していたであろうこの時の加藤部隊は、必勝法の組織だった編隊飛行は叶わず、精彩の欠く戦いとなってしまいました。部下の被弾と待避を目にした加藤は、まなじりを決してインド洋上まで敵を追撃。遂に必殺の一連射で敵を被弾させます。


しかし、背後から攻撃をかけた瞬間、敵の機銃弾で愛機の翼が火を噴きました。陸地は近いものの、そこは敵地。普段から部下に対し「敵地に不時着して捕虜になるようなことがあってはならん。もし、帰還叶わぬ時は機を急反転して自爆せよ」と、厳命していたとも言われております。


その言葉通りに加藤は部下たちの見守る中、機を反転させてベンガル湾に突入、壮烈なる自爆を遂げ、海原に散りました。自ら言っていたことを身をもって示したのでした。

享年40。奇しくも加藤2歳の時に日露戦争は奉天会戦で戦死した父親と同い年ぐらいの頃でした(なお、父は敵をとるべく自分の子供達に軍人になれと言葉を残しておりました)


5月30日、加藤に個人感状が授与されました。

「ソノ武功一ニ中佐ノ高邁ナル人格ト卓越セル指揮統帥及ビ優秀ナル操縦技能ニ負フモノニシテ、其ノ存在ハ実ニ陸軍航空部隊ノ至宝タリ」

 加藤が軍神として陸軍省から発表されたのは2か月後のことで、そのニュースは日本全国に駆け巡りました。新聞は「仰ぐ軍神・加藤建夫少将」「敵軍慴伏(しょうふく おそれひれ伏すこと)の『隼』部隊長」「感状七度び上聞に達す」と一面トップでその死を悼みました。葬儀は9月22日、築地本願寺で行われました。法号は「建勲院釈顕正」。


 昭和19年(1944年)3月9日、映画「加藤隼戦闘隊」が封切られ、挿入歌となった戦隊歌とともに大ヒットしました。


 エンジンの音 ゴオーゴオーと 

 隼は征く 雲の果て

 翼に輝く 日の丸と

 胸にえがきし 赤鷲の

 印はわれらが戦闘機 


加藤が最期まで身を以て示した不屈の闘志は、薫陶を受けた部下たちが受け継ぎ、彼らは加藤を自分の目標として、「加藤隼戦闘隊」は終戦まで戦い抜いたのでした。


余談ながら元・乃木坂46の橋本奈々未氏も北海道は旭川出身です。そしてその橋本氏を実の姉のごとく慕い、「俺の嫁!」と、公言してはばからなかったのが、歴代の楽曲センターも勤めるエース・齊藤飛鳥氏という方です。


齊藤氏のお母さんはミャンマー出身であります。加藤少将はじめ、隼戦闘隊が連合国軍の毒牙から命懸けで守りたかったものが、ミャンマーの空と大地。それから70数年余りの後、加藤少将と同郷の橋本氏とミャンマー人の母を持つ齊藤氏の乃木坂46に於ける出会い、築かれた硬い結束。


何やら縁浅からぬものを感じます。


※以下は橋本氏と齊藤氏の写真。群れずに独りを愛し(嫌われてる訳ではない)、ロックを愛し、シニカルで周囲を俯瞰した視点を持つ2人の存在はアイドルとしては異色である(笑)









Posted at 2020/05/22 23:18:04 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年05月22日 イイね!

追悼・丸山夏鈴氏

追悼・丸山夏鈴氏



昨年の同じ頃にあげたブログの再載となりますが、5/22は特別な日である為、ご容赦下さい。


5/22は自分にとって尊敬する二人の人物の命日であります。


共通するのは「どんなに辛く、困難な時でもがんばること」


今回紹介するのは、福島県郡山市出身の
「丸山夏鈴」というアイドルさん。ちなみに福島県は私の生まれ故郷でもある為、同郷の偉人という感じでもあります。


では、どんな困難を抱えていたのか?


彼女は小学校2年で小児性脳腫瘍を発病して入院しました。失意の中、当時全盛を誇ったモーニング娘をテレビで見て、励まされ、自らもアイドルとなって皆を元気にする存在になると決意されたそうです。中学で再発するも手術により乗りきりました。


高校時代には生徒会長も勤め、東日本大震災時には「このような時こそ、笑顔で行こう」と周囲を励まし続けました。卒業式においてはまたも再発した脳腫瘍の影響で前後不覚となりつつも、自らペンを取り答辞を執筆。


「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである。」との言葉を残しました。


この時入院中にアイドルオーディションを受けて、スカウトがかかり、デビューを果たしました。同時に大学へも進学し、福島と関東を往復する生活となりました。


主に撮影会やライブなどで活動を行い一時期はAKB48オーディションの最終選考に残ることもありました。


2014年二十歳の成人式を迎えますが、その間にも脳腫瘍が再発することもありました。しかし、入退院を繰り返しながらも活動を継続。ただ、この年に脳腫瘍の細胞が肺に転移して肺がんを発症。もはや手術や完治は困難との告知を受けました。


この肺がんが厄介で、その影響で心肺機能が低下し、歌うのも困難な状態となります。更に定期的に肺に貯まった水を抜きながら、酸素吸入器をつけながらの生活ともなりました。


徐々に体力、体重共に減少して行きますが、活動をバックアップしていた母の助けも得つつ、レコーディングを行い、夢としたCDデビューを果たしました。地元郡山から仙台、東京とリリースイベントをこなした後に、容態回復の為に2015年4月に入院しました。


しかしながら、「アイドルとして再び皆の前に戻る」という約束を胸に、動画配信やブログ、ツイッター等を通じてファンへの呼び掛けを欠かさずに行いました。その数はじつに48本。そして5月22日、朝イチでツイッターを配信するも、容態が急変。前日に残した別れの挨拶ともなった動画を残し、21年の生涯を閉じました。


生前彼女は「自分の葬儀は盛大にやってほしい。皆に会いたいから。でも自分が見れないのは残念!」という言葉を遺しておりました。あくまでも皆の前に戻るという約束を果たす為に。その意志により葬儀はファン参加型のラストライブという形を取り、盛大に挙行されました。


生涯7回に渡る手術を受け、迫り来る死の恐怖に対して自らの道を曲げなかった不屈の闘争心。病床にあってもアイドルとして振る舞い、自らの命を的にして行われたラストライブ。葬儀という形であっても皆の前に戻り、約束を果たしたプロ魂。


いかなる困難があろうとも死ぬ迄自分の選んだ道を貫き通す。なかなか常人に出来ることではありません。若くして彼女はなぜこのような境地に成れたのか?


彼女はインタビューの時に「病気のことはあまり聞いてくれるな。場の空気が重くなるだろう?そしたら皆つまらんだろう」とも述べておりました。周囲への気づかいを忘れずに、皆を元気にするアイドルでいたい!という初志貫徹の精神がなせるものであったとも言えそうです。


愛犬チェリー君と共に笑顔の夏鈴氏






母と共に通院する夏鈴氏。チェリー君と座席の争奪戦(笑)







2015年3月、渋谷のタワーレコードに於けるイベントにて力強く握手をする夏鈴氏。東京に爪痕を刻みました。



2015年5月、近所の公園にて母に連れられて散歩中の夏鈴氏。膝の上のチェリー君のあくび(笑)





此の2週間後に夏鈴氏は旅立たれましたが、最後までアイドルとしての生き様を貫き通した生涯は当時大々的に報じられ、見る者をして深い感銘を与えました。お母様も又「民放制覇、見事天晴れ。自らの道を貫かんが為、死して尚アイドルとしての名をあげんとするは将に武門の誉れ也。」とSNS上で悲しみの中にも其の感動を露になされたのでありました。

Posted at 2020/05/22 23:44:59 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年05月19日 イイね!

今後採るべきNA初号機整備大綱2

今後採るべきNA初号機整備大綱2表題の件、追加事項は以下の通りでありますので、我が永遠の推しメン・元乃木坂46の橋本奈々未氏の勇姿と共に見て参りましょう💪


橋本氏「旧車は整備が大切。しっかり直しましょう。」




1.助手席側ドアノブ交換(画像はイメージ)。

NAロードスターのドア開閉装置は指を引っ掻けて開ける以下の様な形であります。





橋本氏「此の形は女性のネイルとかに配慮してないよね?爪剥がれちゃうよ?プンプン!」




ところが部品劣化の為か?ドアノブ部分がだらんと開いたままの様な形となってしまいました。


※調度以下の画像の様に開けっ放しな感じ。




いずれ破損することは目に見えて居た為、タイベル交換で入院中に一緒に新品交換して頂きました。


今では非常に軽く開け閉め出来ます。一方運転席側は段々固くなって来て居り、たまに指が痛くなります。毎回触る箇所なのにツラい…😭今度は運転席側の交換に挑戦してみようと思います💪


橋本氏「DIYも大切ですよ✨」






2. 劣化したラヂエーターの次期候補。

前回交換してから10年以上使ったラヂエーターもそろそろ交換時期とのこと。


橋本氏「暑さに負けるな❗」





候補としては主に以下の3種類があります。


純正か?



軽量なアルミか?



重いけど冷却に優れる銅か?



因みに現在使用中のは銅タイプです。

冷却水とかけて、明日ラヂエーターを決断すると解く…。

其の心は?

「水曜どうでしょう?(水用銅でしょう?)」(爆)


橋本氏「もしかして、オヤジギャグですか?」



まあ、冗談はさておき、まだ使った経験の無いアルミが有力候補です(笑)


橋本氏「オーバーヒートに気をつけてね!」




3.其の他諸々。


次の公休日にバッテリー、ミッション&デフオイル交換予定。プラグコードとスパークプラグもそろそろ時期ですかな?


橋本氏「色々細かい所の調律が肝要ですね。」



朝ちゃんと起きれたら(笑)


橋本氏「まあ、仕事疲れならやむを得まい。」





次回ロードスター生誕40周年ミーティングを2029年10月ぐらいとするならば…。9年5ヶ月もあればNA初号機のレストアも完了し、また広島へ行けるかも?

橋本氏「誕生日も準備が必要だよ?」



頑張って維持出来るのか?負けたくはありませんが…。


橋本氏「そんな弱気でどうするの!?」




よし、今から頑張ります(笑)💪


橋本氏「そうだ!其の意気!」



Posted at 2020/05/19 23:00:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | ユーたん号
2020年05月18日 イイね!

今後採るべきNA初号機整備大綱

5/8(金)に完了せるNA初号機タイミングベルト&ウォーターポンプ交換並びに車両点検時に判明せる要注意項目は以下の如し。


1.バッテリー電圧の低下。


嘗ての年間走行距離12,000km以上は現在半分迄低下。使用年数2年2ヶ月なるも直近に迫る夏季冷房多様期を鑑み新品交換を決断。解決済み。


2.カムシャフトIN EX(エキマニ)側に傷有り。


今後カムシールリップ部損傷から、オイル漏れ誘発の公算有り。30万キロ過走行突破に依る部品劣化と認む。新品純正はOut側含め2本で約10万、中古は5000円~、或いはハイカム化という道筋もあり。愈々オーバーホール時期近し。然れども今尚衰えぬ高回転時の咆哮は只々驚嘆の外(ほか)無し。


以上報告終わり。
Posted at 2020/05/18 16:22:04 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年05月17日 イイね!

日向坂46勇士紹介・東村氏

日向坂46勇士紹介・東村氏46、48グループを筆頭にアイドルグループに所属する各勇士達は、各々の持ち場に於いて独自性を示した形で戦線を支えて居ります。


今年2月に発売された日向坂46の新曲「ソンナコトナイヨ」の前衛を飾る勇士の一人に東村芽依(ひがしむらめい。あだ名はめいめい、やんちゃる等々)氏という方がいらっしゃいます。


泣き虫、小柄、寡黙、されどもやる時はやる。抜群の運動神経を持つといった魅力を生かし、冠番組内に於いて知らしめた破天荒な活躍の御様子に度肝を抜かれ、注目し始めた方であります(笑)


どの様な人物か?を端的にまとめた記事を見掛けましたので、以下に引用致します。













東村氏近影。笑った時の美しい歯が特徴の一つ。今も昔も芸能人は歯が命💪



口を閉じるとまた違う印象となります。







一見大人しい、控え目な綺麗所かと思いきや、バッティングの際におかしな挙動となり、







ホームランを連発し、助っ人外国人も尻尾を巻いて逃げる程に豪快な「右片手一本回転打法」で決め手を見せつけました(笑)





此には、腹を抱えて笑いました。いやはや所謂「ギャップ萌え」とは正に言い得て妙であります(笑)


御歳21。今後の活躍に益々期待致します💪
Posted at 2020/05/17 18:10:53 | コメント(0) | トラックバック(0)

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