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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2025年02月21日 イイね!

至誠の御仁・橋本奈々未氏 〜忠考義烈の敢闘精神〜

至誠の御仁・橋本奈々未氏 〜忠考義烈の敢闘精神〜去る2/20に御生誕日を迎えられた乃木坂46創成期の偉大なる1期生の軍神・橋本奈々未氏。


弟君の学費捻出や御家の家計援助の為にアイドル稼業を始め、目的を達するや否や人気絶頂のタイミングでの潔い組織卒業と、芸能界引退劇。


一説に「平成の山口百恵氏」とも称された御仁。著者随一の推しメンであり、尊敬する人物でもありますが、氏のことを知らぬという方々の為、今一度その壮烈無比の半生を振り返ってみたいものと考えます。


何も無いまっさらな所から着実な歩武を踏み固め、強大な組織としての立ち位置を築き上げ、今年で創立13周年を迎えた乃木坂46。


「ローマは1日にして成らず」という故事にもあるが如く、其の礎には数多くの卒業或いは現役勇士達各員の血と汗と涙の結晶が無数にちりばめられて居ります。


例え苦境に立たされようとも、不惜身命の覚悟も強く、遮二無二に突進し続けた結果なればこそ、輝かしい未来への血路も拓かれて来たのでありました。


其の最中にあっての橋本氏は如何なる働き振りであったのか?何ゆえに軍神として今尚語り継がれるのか?


其の源泉とも言うべき逸話を紐解いて参ります。


一見すればクールビューティとの評も高かった橋本氏。しかし如何にアイドルとしての笑顔を振り撒きつつも、見た目の華やかさとは裏腹に、 他の勇士の方々とは違う「陰」、触れれば壊れてしまいそうな硝子の如き儚さ、内に秘めたる、ある種の「危うさ」をはらんだ方でもありました。


其を秋元康総合プロデューサー氏は、「棘(とげ)」と表現したのであります。綺麗な薔薇には棘がある、という言葉も在りますが、正に言い得て妙でありましょう。







其が橋本氏の写真集第1幕「優しい棘」という題名にも現れて居ります。更には16枚目シングル「サヨナラの意味」に登場する橋本氏扮する「棘人(しじん)」、即ち感情の起伏により、何人(なにびと)をも寄せ付けない棘を体中から発するという人物像を佳く描いて居るのであります。



































※写真集・優しい棘の表紙。二種類存在した。

セブンイレブンでの予約版。



通常版。




思い起こせば乃木坂46への加入以来、橋本氏の卒業の伏線については、勇士達も過去何度か見届けて参りました。其の為、卒業発表については、「いつか来るものが、遂に来てしまった」という感も強かった様であります。


例えば初期の冠番組登場前では過呼吸で倒れ伏すこともしばし、でありました。

















時は下り、結成から3年余りが経過。勇士達各員の流した尊い血と汗と涙…!我が身を省みぬ献身的犠牲を伴う奮戦敢闘に依り、徐々に構成員数百を擁する絶対的王者AKB48(其のグループも含む)の一極支配をするアイドル業界に楔を打ち込み、知名度も上がって行った乃木坂46。


しかしながら如何に我に倍する敵恐るるに足らず!と、烈々の士気は天を衝きたるとはいえども、苛烈なる猛訓練に依り寡兵を以て衆を討つという方策は、徐々に勇士達の体調に歪みを生じさせたる一因となって行ったのであります。


「家計援助の御為(おんため)に!」と、義勇奉公に邁進する橋本氏も例外に漏れず。通って居た大学・学業も覚束無いものとなり果てて終いました。そして、2013年11月2日に早稲田大学で行われた「早稲田祭2013」のMCにて留年を発表。通信課程への編入から再起を期すものの、戦局は我に利あらず。遂には翌年夢半ばにして「中退」という苦渋の決断を下すに至ったのであります。


其からしばらく後…。


橋本氏「我らが選抜の前衛・フロント1列目は皆センター経験者がほとんど。又は交換留学生の松井玲奈殿ぐらいか…。私はとりたてて何かなし得て居る訳ではない。果たして其処に立ち続けて良いものか?」


迷いを抱きつつも日々の訓練と活動に勤しむ橋本氏。しかし、元々頑丈ならざる身に影が忍び寄りつつありました。


橋本氏「何としたことか?我が身が思うようにならぬ…!」


そして愈々容易ならざる局面となった2014年7月中旬頃、橋本氏自らが体調が芳しくないと発表なされました。


橋本氏「動かぬ我が身…、此程口惜しいものは他に無い。既に皆は握手会をこなしつつ、真夏の全国ツアー2014の戦陣に立とうと準備して居る…。大勢の、沢山のファンの方々も待っておられる。こんな所で遅れを取ってなるものか…!斯様な姿を、郷里に残した父上、母上、そして我が愛する弟には見せられん。申し訳が立たんでは無いか!」


全国ツアーという大御戦(おおみいくさ)が迫りつつある中に発せられた血涙たばしる熱き思い!


されども事態は好転どころか悪化の一途を辿り、遂には同月下旬に北海道の母親を呼び、身の回りの世話を頼む程に切迫…。献身的介護の甲斐もなく、当時行われた京都での握手会では声を出すことが出来なくなり、続く幕張での握手会では手書きのカードを使ってファンとコミュニケーションを図るなど満身創痍の状態になって行きました。


其の後、アナフィラキシー症候群という謎の病症にかかり、体も前後不覚となる有り様に…。体重も一挙に30kg台迄落ち、一時は命すら危ぶまれたのでありました。


斯様な状況を見かねた友人一同が橋本氏の自宅に駆けつけ、「栄養をつけよ!」と食事を振る舞うこともあったのであります。


其でも、何としてでも…!這いつくばってでも前進しようとした橋本氏…!其の胸中去来するものは一体何であったのか?


御友人一同「奈々未!何故、斯様に無理するのか?!親御さんから授かった体を粗末にしてはならん!」


橋本氏「気遣い無用!父上、母上には無理して東京の大学行きをお許し頂いておきながら、乃木坂46としての活動との両立叶わず中退の憂き目!あまつさえ、ファンの皆様方、乃木坂の運営スタッフさんから戦友・後輩の皆に迷惑を欠けておる始末!此儘おめおめと生き恥を晒せようか!?弟の学費のこともあるのだ!這ってでも行くぞ!止めてくれるな!」


御友人一同「今はまず、休め。そうでなくてはライブなど叶わんぞ…。」


将に忠孝義烈…!鬼神をも哭かしむる気迫と闘魂、例え我が身が砕け散ろうとも、全てのファンの為、戦友の為、郷里の家族の為、道産子の意地に掛けても橋本氏は前に進もうとしたのでありました。


此の心意気はファン一同の胸を強く打ち、当時の生誕委員会を中心とした方々の呼び掛けもあり、千羽鶴が失意の内に病床に伏す橋本氏の元に送られると云う美談を残しました。


時恰(あたか)も「真夏の全国ツアー2014」という新たな戦いが始まる矢先のこと。捲土重来の為、涙を飲み、断腸の思いで地方公演を全て辞退。ファイナルとなる東京は神宮球場での現場復帰を目指す作戦方針となったのであります。


橋本氏「必ずや…、成し遂げてみせる!」


※入退院を報ずる当時のニュース。





※御自身のブログ上にて、悔し涙を流しつつ無念やる方ない想いを発せられた橋本氏。切々たるやり場の無い慟哭に、見る者をして落涙を禁じ得ぬ一幕であります。


























残念ながら神宮での復帰は叶わなかった橋本氏。其でも終幕も近付いたアンコール時にステージ場に上がられ、御自身の現状とファンへの謝罪の言葉を述べられました。


桜井キャプテン(当時)「皆の衆!喜べ!今宵はななみんが来てくれて居るぞ!」


橋本氏「こんばんは!ライブは盛り上がってくれたか?ずっと客席後方より見て居たぞ。サイリウムと、最後の『君の名は希望』の時、花火が打ち上がったであろう。凄く綺麗であった。そして私事であるが、此度体調不良に依り皆様方に御心配と御迷惑を御掛けしたこと。誠に申し訳ない限りであった…。」


「されども、私の為に時間を割いて頂き、皆様方の前でご挨拶・けじめをつけられる程度迄には体調も回復した。真に次の曲(10枚目シングルのこと)から参加したい腹積もりではある。此から体力を戻して早く皆様方の前にしっかりとした衣装を着て立つことを、身命をなげうってでも1日も早く実現するように努めて参る所存である!」



後に橋本氏は語ります。


橋本氏「正直2014年は全て無であった。心も無。仕事も無。病気で体を壊してからは気持ち的にも落ち込んでしまった。振り返ると本当に辛く、長い闇の中にいるようであった。」


「神宮での挨拶の前…。其の時のファンの方々の光景と戦友達の裏側のバタバタぶりを見て居たので…。皆が必死になってやって居る姿。悔しくて号泣しながら帰って来た姿も見て居たが故に…。あの場所、あの神宮での光景が私の中で一番強く残って居る。」


活動休止をして居た最中の橋本氏にとっては、勇士各員の奮励努力をする様、華々しく戦功を上げる姿が遠く感じられたのでありました。


明けて2015年、新年を迎えて体調も回復。気持ちも前向きになりだした橋本氏。1月に冠番組内で行われた11枚目シングルの選別発表時にフロントに選ばれた際には斯様に述べられて居ます。


橋本氏「昨年は個人的に何も出来なかった。皆が手柄を上げて経験を積み、ノリにノッて行き始めて居る年と感じて居たが、私はライブも舞台も出られなかった。…であるから此処から切り替えて何かを出来る様にという期待で此の配置につけたと思うので頑張って行きたい。」


悔しさをバネに、戦線復帰を果たした橋本氏。力強く噛み締めた胸の内も明かしております。


橋本氏「2015年に入って気持ちが上向きになった。ドキュメンタリー映画の中では我が弟の学費の為に頑張ると述べた。其は無論モチベーションとしてはあるが、ファンの方々の存在も大きかった。私はファンの方の声がないとすぐに逃げたいという気持ちになる。しかし、此処で逃げたら悲しむであろうなとも思う。握手会で、ドラマ、ライブを楽しみにして居る、また来るぞ!と言って下さるのが嬉しい。」


「すごく体がしんどくて『嗚呼、もう今日辛いワイ!』と思っても『今行かねば楽しみと言ってくれた人がガッカリする』と考えると『行かねば!』と思う。辛い時に私の体を動かしてくれるのも、ファンの方である。」


「綺麗事に聞こえると思うが天地神明に誓い、嘘偽りは無い。2014年は失望させてしまったファンの方に謝りたい気持ちであった。」


こうして、多くの勇士達が様々な思いで迎えた年。橋本氏は戦友達が闘うあの場所に戻るべく、決起したのでありました。


一番アイドルらしからぬ氏が、「ファン」という人々の為に…。











此の時の無念と決意を強く噛み締めた橋本氏。


2015年は大手淑女装飾誌CanCamの専属モデルに抜擢。







※同じく、同誌の専属モデルを努めれた同期の桜たる戦友・松村沙友理氏(右側)。












そして、ラヂヲ放送の一つTOKYO FMの番組「School of lock!」に於けるGirls locksのパーソナリティーの一人にも抜擢されるなど活躍の場を拡げ、精力的な活動をなされます。

















※2022年7月、突如として凶弾に散った安部首相(当時)主催の催しに参加なさる乃木坂46勇士一同と橋本氏。











此の登り竜の如き勢いは明けて2016年へと大なる雄飛に繋がって参りました。


しかし、縦横無尽の働きぶりを見せた橋本氏も同年の真夏の全国ツアー・東京は明治神宮会場でのリハーサルの途中、遂に長年の無理も祟ったのか?腰を激しく痛めてしまい、緊急搬送の憂き目に遭われたのであります。


※既に予兆のあった橋本氏。



全体でのリハーサル中、激しい痛みを感じて戦列を離れる橋本氏…。













※歯を食い縛り、激痛に耐えるも、脂汗と涙の止まらぬご様子…。









※心配そうに勇士達が見守る中、遂に急遽搬送なされました。












しかし、橋本氏は本番にあたり、不屈の精神力で痛み止めを打ち、アドレナリンを放出してその苦しみすら忘れ、ものともせずに全力でのパフォーマンス・プロフェッショナルイズムの発露を駆けつけた数万のファンに魅せつけたのでありました。

※当時の御本人の日記より。神宮球場では8/27、28、29の3日間が開催期間でありました。













※本番直前のリハーサル時の橋本氏。本来立って居るのがやっとであろうと推察されますが…。




「病院へは行った。倒れ伏してどうしても叶わぬ時には戦線を抜けねばならぬが、其までは戦陣に立つ積もりである!」

インタビューに力強く答える橋本氏。


























盟友白石麻衣氏とのタッグ曲「孤独兄弟」のパフォーマンスの際には、スタッフより、「腰が辛いだろうから、スタンドマイクにして、二人ずっと立ったまま踊らずに、スター気取りでゆっくり歌う感じでやろうではないか?」という提案がありましたが、


「せっかく良い振り付けがあると云うのに、私1人のせいで台無しには出来ません!演出を変えずにやらせて下さい!ファンの方々が待って居られます!お願いします!」


と、血書嘆願の如く強い直訴で其をはね除け、其の儘、腰の爆弾を抱えた儘舞台にかけ登って行ったのでありました。

























橋本氏が誰からも一目置かれ、尊敬の眼差しを受けていたのは、こうした氏の姿勢に依る所、大なるものがありました。





其だけに乃木坂46卒業・芸能界引退の発表は、世間・後世に与えた衝撃や、後に続く同輩・後輩勇士達に与えた影響も又、大きかったのであります。






Posted at 2025/02/21 18:46:53 | コメント(0) | トラックバック(0)
2025年02月14日 イイね!

将に始祖のサバンナRX-7!RX-9よりも乗りたいなー(爆)

将に始祖のサバンナRX-7!RX-9よりも乗りたいなー(爆)通常のドライブ、御盆年末年始の田舎への帰省、幼稚園への通園等々…。

想い出補正かかりまくりでありますヽ(´エ`)ノ
Posted at 2025/02/14 21:53:03 | コメント(0) | クルマレビュー
2025年02月10日 イイね!

埼玉県深谷市ぼうの屋さん初来訪

埼玉県深谷市ぼうの屋さん初来訪何でも最近、群馬、埼玉エリアのロードスター乗りを中心とした話題の店があるそうな…。


来る2/16(日)にはランチミーティングがあるとの由。何ですと?そんな現実逃避したくなる夢の空間があるのか?


しかしながらその日は仕事で行けませぬ。


そこで昨年末に退職なされた職場の元同僚(語学を鍛えし元南方留学生・ベトナム出身の才女殿)と、公私でお世話になっている上長殿(深谷市出身、現住熊谷市)を交えた送別会ランチの場とすることに…。


元同僚殿を隣人とし、ND弐號機にて関越道を快走。現地に到着。

店舗外観図。



新メニューもあるそうな?(迷いましたが今回は直感的に違うものを)



前菜にポテトを。



私はハンドルキーパー故にノンアルコール。上長殿は電車&徒歩の為に白ワイン、元同僚殿はハーブティーを。



深谷と言えば渋沢栄一氏とふっかちゃんであります。



元同僚殿はイタリア風のカツレツ(?)。



私は米帝風グリルプレート。



上長殿は焼き蕎麦…、もとい、スパゲッティを。

何故か元同僚殿は「焼き蕎麦食べたい!」を連呼し、上長殿と私と共に笑いの渦へ。




舌鼓を打ちつつ歓談も盛り上がり、あっという間に食後のデザートと珈琲。味わい深く楽しみました。



およ?ロードスターの絵ではあるまいか!



地域キャッシュレス通貨「ネギー」なるものがあるとの由。初耳学であります(`・ω・´)ゞ



マスター殿顕彰の額の数々。御挨拶をすると御自身もロードスター乗りであらせられるとか。後程、みんカラ上にてフォロー申請させて頂きましたヽ(´エ`)ノ



オリジナルステッカーもあったとか?残念、買いそびれました。次回再来訪時に必ずや!



隣接する深谷城址公園。次はもうちょい詳しく見てみたいですぞ。



帰路ハーレー乗りでもある上長殿の提案もあり、屋根開け走行を元同僚殿に楽しんで頂きました。


雲一つ無き快晴下、寒風も暖房と防寒具にて一般道から高速道も何のその。大変御満喫頂けた様でした。


しかしながら防寒具を着すぎて熱くなった為か?帰宅後に著者は偏頭痛をもよおし、寒風を頭に受けた影響と先日来の連チャン激務もたたって、左下奥歯辺りより神経痛を併発してしまいました。


長年の経験から冬の防寒対策&屋根開け走行はサイコーに楽しめる自信がありましたが、もうあまりムリは出来ぬかもしれませぬ。


歳は取りたくないものよのぅ(苦笑)
Posted at 2025/02/10 23:44:52 | コメント(1) | トラックバック(0)
2025年02月01日 イイね!

如月初日・至誠とは何かを考える

如月初日・至誠とは何かを考える※添付表題画像は乃木坂46随一の至誠の人、元1期生勇士・橋本奈々未氏。


早くも如月となりました。今月も改めましてよろしくお願い致します。


先月、というより毎年恒例の初詣は靖国神社と乃木神社へというのがある意味マイルールであります。


其れは何故か?以下過去ブログの再編集ながら今一度その意味を解いて参ります。


古人に曰く、一年の計は元旦にあり。正確には元旦は過ぎて居りましたが、コロナやらインフルエンザウイルス感染防止の為、三が日の密集陣形を避ける御詣りとした訳であります。


密集陣形、其は古代ギリシャにて生まれし戦闘教義…。





ファランクス(Pharanx = ファランクス(古代ギリシャ語: φάλαγξ、phalanx)は、古代において用いられた重装歩兵による密集陣形である。集団が一丸となって攻撃するファランクスは会戦において威力を発揮した(Wikipediaより引用抜粋)



長らく2023年頃迄はコロナウイルスに対し守るべき時でありました。隠忍自重・臥薪嘗胆久しきに渡り、今や経済、産業等各種活動に於いては一気呵成に攻めに転じる時であります。


此ぞ令和に生きる神州日本の帝国臣民たる心得の「ファランクス」なのであります。


話を元に戻しますと、護国の礎となられた英霊の方々を祀る靖国神社。日本武士道精神、そして乃木坂魂の原点たる乃木希典大将閣下を祀る乃木神社。


此の二つの御社(おやしろ)に詣でることに依り、身も心も引き締まる訳であります。


※以下2021年1月の初詣の風景。


靖国神社名物大鳥居。此方へは、10年来お世話になって居る恩師と向かいました。



傍らには日本武道館。2020年12月の乃木坂46の感動のアンダーライブから2週間余り。当時は緊急事態宣言も続々と発令されんとする事態であり、次にライブ自体が出来るのはいつの日になるのか?と危ぶまれたものでした。



御本殿。



英霊縁の武徳を偲ぶ品々を展示する遊就館。実際に活躍した汽車、零戦、野砲等々。



爆撃機・彗星。



特攻隊出撃の図。



前述の彗星のエンジン。



彗星の旋回後方機銃。



前方より勇姿を拝む。上に吊るされて居るのはロケット特攻機・桜花。



南方戦線より里帰りした遺品の数々。胸襟を正す思いでありました。







凡そ2時間余りの観覧の後、遅い昼飯はインド風カレー店へ。



九段下で恩師とは別れ、私は一路乃木坂駅、乃木神社に向かいます。







途中乃木坂46・3期生勇士の筆頭にして現キャプテン。指揮官先頭を旗印に全軍の先陣をきって活躍なさる、梅澤氏の御生誕を祝す告知ポスターを拝見。


乃木神社直通の地下鉄構内通路は、いわば現人女神(あらひとめがみ)であらせられる各勇士達もお通りになられる参道でもあります。其の方々の御目にかかる所へ貼られるとは中々粋な計らいであります。






外界に出れば既に釣瓶落としの如く、夜の帳も下り始めて居ました。







一礼の後鳥居をくぐり、



防疫対策の施された所を抜けて境内に入ります。



ライトアップされた聖域、ピンと張り詰めた冷気と空気。人は疎らでありました。









御賽銭は、乃木坂46勇士達に敬意を表して46圓也。



御本殿の様子。



神社の傍らには乃木希典大将閣下の記念館が御座いました。


幼い頃から厳格に武士道精神を基として教育された乃木大将。其の御様子は戦前の尋常小学校の授業にあった修身の教科書にも「至誠」と云う項目で載る程であります。精神的荒廃の叫ばれる現代社会。修身は義務教育課程で復活させるべきではなかろうか?とも思います。







明治大帝崩御に伴い、殉死なされた乃木御夫妻の御刀。



丑年(2021年)だけに縁起の良い掛け軸。



思わず考えさせられる四字熟語。



乃木大将閣下には、様々な高潔な逸話が御座います。


1904〜1905年にかけて戦われたアジアの新興国日本と、ユーラシアに覇を唱える歴史ある大帝国ロシア。満州、朝鮮を巡っての血戦死闘・日露戦争。其の激戦の一つが旅順要塞攻囲戦でありました。


激闘の後にロシア軍立て籠る旅順要塞を陥落せしめた我が軍。砲火止みし後、敵の防塞司令官・将軍ステッセルとの会見が御座いました。


諸外国が其の歴史的な様子を記念撮影に残すと発した時、乃木大将閣下は「ステッセル氏が敗軍の将として、後世に恥を残してはいかん。降伏されたとはいえども、誇りと共にサーベルの帯剣を許す!」と、敵方の面子も配慮すると云うフェアな精神を見せたのであります。


※以下に詳細引用文。


鬼神の強さをもつ軍神乃木は、ただ剛勇だけの将帥ではなかった。
「武士の情(なさけ)」をあわせもつ「花も実もある」真の武人であった。それを示す戦争中の佳話が敵将ステッセル(旅順要塞司令官・陸軍中将)との「水師営の会見」である。
 
「古今の最難戦」であった旅順攻囲戦が終った明治三十八年一月五日、旅順要塞近くの水師営で会見は行われた。乃木はこの時ステッセルに対し、深い仁慈と礼節を以て接した。会見においてアメリカの映画関係者が一部始終の撮影を希望したが、乃木はそれは敗軍の将に恥辱を与えるとして許さず、ただ一枚の記念写真だけ認めた。
乃木とステッセルが中央に坐り、その両隣りに両軍の参謀長、その前後が両軍の幕僚たち、ロシア側は勲章を胸につけ帯剣している。全く両者対等でそこには勝者も敗者もない。




 この有名な写真が内外に伝わるや、全世界が敗者を恥ずかしめぬ乃木の武士道的振舞、「武士の情」に感嘆したのである。世界一強い陸の勇将はかくも仁愛の心厚き礼節を知る稀有の名将と、賛嘆せずにいられなかったのである。欧米やシナの軍人には決して出来ぬことであった。
 
 会見で乃木はまず明治天皇のステッセルに対する仁慈に溢(あふ)れるお言葉を伝えた。
 
「わが天皇陛下は閣下が祖国のために尽くされた忠勤を嘉賞(かしよう)し給い、武士の体面を保持せしむべく、私に勅命あらせられました」
 
 この言葉にステッセルはいたく感銘してこう答えた。
 
「貴国の皇帝陛下よりかくのごとき優遇を蒙(こうむ)ることは、私にとって無上の名誉であります。願わくは閣下から私の衷心よりする深厚なる謝意を電奏せられたい」
 
 このあと両者は打ち解けてなごやかに語り合った。
ステッセルは日本軍の不屈(ふくつ)不撓(ふとう)の勇武を天下に比類なきものと賛嘆を惜しまなかった。
乃木もロシア軍の頑強無類の守備の堅固さを称えた。続いてステッセルは乃木がこのたびの戦いにおいて二人の息子を戦死させたことを哀悼した。
すると乃木はこうのべた。
 
「私は二子が武門の家に生れ、軍人としてその死所(ししよ)を得たるを悦(よろこ)んでおります。両人がともに国家の犠牲になったことは一人私が満足するばかりではなく、彼ら自身も多分満足して瞑目しているであろうと思います」
 
 ステッセルは愕然として言った。
 
「閣下は人生の最大幸福を犠牲にして少しも愁嘆の色なく、かえって二子が死所を得られたことを満足とされる。真に天下の偉人であります。私らの遠く及ぶところではありません」
 
 そこにはもはや仇敵同士の姿はなく藹々(あいあい)たる和気が漂った。
乃木の人物に深く打たれたステッセルは白色の愛馬を乃木に献じた。
この両者の会見は唱歌「水師営の会見」として小学校で教えられるなど、永らく人々に愛唱された。








※以上引用終わり。


此の見事な精神は、2020年末の紅白歌合戦に於いて敵AKB48が落選の憂き目にあった時、公式ライバルである乃木坂46を代表しての、当時の秋元真夏キャプテンの発言にも見て取れます。






此ぞ勝利の時!と言っても世間的には何ら可笑しくはないと云う所、公式ライバルとしての敬意を表された真夏キャプテン。此ぞ乃木大将閣下の示された武士道精神を、時代を越えて乃木坂魂として継承して居る揺るぎ無い、確固たる事実なのであります。


ただ単に容姿が綺麗な方々を集めたアイドル集団というのは世間に乱立して数知れず。其のなかにあって著者が当グループを一推しするのは斯様な精神的要素、勇士達各員の内面から醸し出される武徳、人間性の美しさからなのであります。


更には先輩は後輩の面倒をよく見、後輩は先輩へ崇敬の念を以て接する。歴史ある組織の伝統と栄光の護持、魂の後世への継承。そうした一連の姿勢も応援に拍車をかける点であります


果たしてそんな乃木坂46が、今後駆け昇らんとする坂の上には一体如何なる雲が待ち受けて居るのか?


坂の上の雲、其は司馬遼太郎氏の明治日本を扱った歴史的超大作…。








因みに司馬氏は乃木希典大将閣下を無能と嘲って居ります。確かに閣下指揮の下、多くの将兵が命を捧げることとなりましたが、ロシア側が三年は持つと豪語した旅順要塞級の代物を近代野戦攻城術に於いて僅か半年足らずで落としたのは、寧ろ世界戦史的には称賛されて居ることなのであります💪


其の坂の上の雲の正体は、もしかしたら試練をもたらす雷鳴轟く暗雲であるのかもしれません。


しかしながら其の雲の切れ間にも注ぐ一條の光は、必ずや各勇士達の行き先を照らしてくれるものと信じて居ります。大同一心・臆せず進むのが肝要なのであります。


光はどこにある? 僕を導いてくれ
太陽は 太陽は 夢の背中を押す
明日はどこにある? ヨロヨロと立ち上がれ
夜明けまでは さあ かっこ悪くていい

朝日が見えて来た 弱音はもう吐かない
今日こそは 今日こそは 自分らしく生きる

(by 乃木坂46・24枚目シングル、夜明け迄強がらなくても良い。一部抜粋)


さあ、此の歌詞の意味も噛み締めて、我々も又一意専心に、己が関わる家族、友人、知人等々には至誠を尽くすを第一義として、勇猛果敢に人生を邁進して参りましょう💪


※当日入手せる各御朱印並びに御守り。


Posted at 2025/02/01 16:34:48 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「皆様お疲れ様です。明日も頑張りましょう。

よろしく御願いしますヽ(´エ`)ノ

本日も職場隣接の麺処福吉極さんにて、いそたまラーメン、大盛、替え玉アリ、辛味マシのトッピングをば。

明日への活力充電であります(`・ω・´)ゞ」
何シテル?   06/13 21:31
NAのパカ目ライトに惚れ込んでおりマス♪ 免許をとって最初に乗ったのが、当時父の 所有する赤のNAでした。 今ではありませんが、 就職を機に私が...
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