
100110(日)ぶらり南房総行の続きです。
相変わらずの曇天の下、野島崎公園の周遊路をうろうろと。
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ビート徘徊:1001 ぶらり独行@南房総-3/日本蔭洲升化計画 の事
ビート徘徊:1001 ぶらり独行@南房総-2/凍れる月影 空に冴え の事
ビート徘徊:1001 ぶらり独行@南房総-1/恋の暴走~大盛況~ の事

「絶景 朝日と夕陽の見える岬」。
岬の突端の岩場の上にはこんな素敵なベンチがあります。南面して左手に朝日、右手に夕陽。なんとも贅沢なポイントでございますな。

ベンチから振り返ってみるとこんな感じ。
岩場の高さは5mもないのですけど、俯瞰した感じがなんだか箱庭チック。面白い雰囲気があります。

遊歩道はゆっくり回って20分くらい。
林の間を進む未舗装の脇道もあったりして、結構歩き甲斐があります。

アロエの花も赤く赤く。
そして…

ついに到達してしまいました……
ここはヤヴァイ。ヤバイじゃなくてヤヴァイ。

ナニかに喚ばれ、岩屋への参道を振りかえる。
荒ぶる不健全な海、海、海。

説明文があります。
「伝説の岩屋
西暦1180年、伊豆から阿波に渡って来た源頼朝公は勢力的に動き、この野島崎に立ち寄り矢鏃で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説であるが、史実でもあると云われている。
この地で武運再興を願掛けている時、突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ雨を凌いだ。
この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所に深海に棲む創造の大蛸の海神を祀った。海神は海面を鎮め豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろう。
大蛸の周りには鮑やサザエを配し、特に中央の大鮑の殻の中に願いを掛けた賽銭を投げて見事、貝の中に入れば開運間違いなしとの事。なぜならば貝運は開運への道の如し!
※タコの造形物に向かって、決してコインを強く投げないで下さい。
願いを叶えるには心のやさしさと思いやりが必要です。
西暦2006年6月5日・白浜町記」
「精力的」とするべきところを敢えて「勢力的」としたのは、誤植なのか闇の勢力という意味なのかどうか。

これがその「開運≒貝運」の賽銭箱。
100円玉がセンターの大アワビにナイス・イン!スマスです。
と、無駄に引っぱってしまったのですが、
伝説の岩屋の御本尊…
心のやさしさと思いやりといとしさとせつなさと心強さとが必要な……
人々に幸を齎すタコの造形物とは………

御本尊「海神」様。
と申しますか、どう見ても完全にアウトですアウトォ!
なんて、
いやいや!とんでもない!
いあいあ!むしろ大いなるセーフなのです!
今年はいい年になりますように!
できれば御茄子様が来ますように!
早くルルイエが浮上しますように!
イア!イア!クトゥルフ・フタグン!
フングルイ・ムグルウナフー・クトゥルフ・ル・リエー・ウガ=ナグル・フタグン!

ハァハァハァハァ。取り乱しましたスイマセン。
ま、冗談は私のインスマス面の顔だけにしておいて、実際この神像は素晴らしすぎます。
曰く、「タコに似た頭部、イカのような触腕を無数に生やした顔、巨大な鉤爪のある手足、ぬらぬらした鱗に覆われた山のように大きなゴム状の身体、背にはコウモリのような細い翼を持つ。」
これは
別の某神性に付いての解説なのですが、ずばりですね。間違いありません。
ちなみに、後ほどお邪魔する白浜海洋美術館の館長さんのお話、そしてググル先生のセレクトによりますと、この像は白浜町在住の陶芸家の方の作。当初は老人ホームの温泉に飾る予定のオブジェとして制作を開始。荒ぶる嵐の海岸にて、猛る波濤打ちつける岩壁の影に、何故か這い寄る大蛸の印象を得、この作品に結実したとのこと。
諸事あって結局老人ホームには納められず、ここ野島崎の頼朝の岩屋に安置されるに至ったのだそうです。
しかし、これはあくまで社会への無用の混乱を招かぬ為の一般向けの公式見解。
昏い伝承、鄙びた漁村、夢現のうちの浅浮彫り…。言うまでも有りません。
と申しますか、全く無関係なアプローチからこの結果に至った事の方が、むしろ全く全然恐ろしい、怖ろしい、畏ろしい。
日本蔭洲升化計画の確実なる浸透ぶりに確信を強めました。
と、謎の妄言は置いておきまして、長くなりましたので次回へ。
も一度続きます。
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ビート徘徊 2010 | 旅行/地域
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2010/01/21 22:04:15