
『各務原航空宇宙博物館』へ出かけた(
こっち参照)のは、この三式戦闘機『飛燕』が目当てだった。
展示機体は横田基地で終戦を迎え、米軍に接収されて8年間野ざらし。返還時に米軍へ依頼して修復され、日本各地で一般公開された後に航空自衛隊岐阜基地で保管。
1986年から鹿児島の『知覧特攻平和会館』に展示されていたが、2015年に川崎重工で修復を受け『各務原航空宇宙博物館』に展示されることになった。
返還後の修復(写真赤線囲み)と、川崎重工によるもの(青線囲み)は、その他のオリジナル・パネルと比べ、光り具合が異なっている。

一口に
“修復”といっても、方向性は様々。
例えば、機械として可動状態にする修復。新品パーツが出るなら損傷/欠損したものを交換すれば済む。一般的には“修復”じゃなく“修理”と呼ぶのだろう。
だが、古い戦闘機はパーツなどない。新規に製作するにも、設計図がなければ想像に頼ることになる。まして可動…つまり飛行可能にするとなれば、現行法規に適合するようオリジナルには無かった部品も取り付けなければならない。
すなわち、可動状態とはオリジナリィティの低下、つまりは文化的価値の消失となる。
これに対して真逆の修復は、歴史的資料として徹底的に考証を加える。あえて機械としての作動を断念し、材料/製造方法/塗装など往時を再現する。
後世に残すべき「文化財」としての保存である。
展示機は、後者の「文化財の保護」を観点に作業が行われている。

まずは、5層にも塗り重ねられていた、しかも歴史的事実のない柄の塗装を剥離。主脚格納部のグレー塗装は米軍によるものだが、これ以上は剥離剤が隙間に浸透し、機体に負担をかける怖れがあるとの判断で、現状保存とされた。
たとえ無塗装でも、室温と湿度を管理すれば腐食を防ぐことができると考え、再塗装は無し。アルミ地むき出しである。
風防やエンジンカウルなど一部は新造して復元。

返還後に日比谷公園で公開された時
、狭い搬入路を通過させるために左右主翼の主桁を切断したという。愚行である。 例えるなら、展示室に入れるためトヨタ2000GTのボディを真っ二つに切断して搬入口を通するだろうか。
復元にあたり資料が少なかった部品は、構造を推定して再現。ただし、オリジナルの復元と認めるわけにはいかず、展示機に搭載はしていない。
その例が復元されたラジエーター。水を流して機能確認までしているのに別展示。
過給機も復元されてるが、同様に展示機には搭載せず。
計器類、一部は資料を基に新造。

文字類は当時のフォントを忠実に再現。復元部品を装着する場合、新造した部品に「ノン・オリジナル」の刻印をわざわざ刻むという慎重さ。
展示機に搭載されていたエンジンは、ボルト1本の着脱さえ認めらず、分解調査は行われなかったという。
エンジン架のアルミモノコックは変形が酷く、強度も保証できないので搭載を断念し別展示。おかげで間近で見ることができたけれど…。 倒立V12なんで、ノーズ左右に6本ずつ排気管が顔を出す。
シリンダーとピストン
コンロッドの大端はメタルじゃなくニードルベアリング。ここの製造技術が無かったため、故障続きのエンジンになってしまったとか。 ピストンとプラグにバルブスプリング。
車輪に計器盤、配電盤に燃料流量計。
車趣味でも「レストア」が行われる。
“動態保存”を旨とする博物館は多いが、見方を変えれば動態保存は消耗以外の何物でもない。
確かに車は“走ってナンボ”である。だが、走らせることだけがレストアの目的ではないと思うが如何か。古くなればなるほど、また走らせて消耗した部品などを新造して装着しなければならないだろう。そうなればオリジナリティの低下である。
逆にオリジナルに戻すことだけがレストアでもなかろう。
例えば…
セナのレーシングシューズが擦れた跡があったなら、レストアと称し磨き込んで消すだろうか?
ラウダがドライビング・ミスで付けた擦り傷があれば、パテを盛って再塗装するだろうか?
たとえ可動せずとも、その個体が経てきた歴史を丸ごと“文化”としてとらえた保存も、またあってよかろう。
「レストアとは何ぞや」を考えさせられる展示であった。
そいでも『JJ COBAS』は自分の好きに弄るんだもんね(笑)。それが小生なりの愛情、小生なりの保存なんだわ。
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Posted at
2024/06/24 04:36:45