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2025年06月12日 イイね!

アンダマン・ニコバル諸島と言えばセンチネル族

アンダマン・ニコバル諸島と言えばセンチネル族
コンテナ船の次の寄港地、シンガポール。


もうずいぶん以前に旅行に行ったことがあります。



まあまあ楽しかったと思いますが、最近は"つまらない国"として有名らしいですね。

そんなシンガポールは、ご存知の通りマレー半島の先っぽにあります。南アフリカからインド洋を斜めに横断してきたコンテナ船は、マレー半島とインドネシア・スマトラ島の間のマラッカ海峡を通ってシンガポールに向かうことになります。


このスマトラ島は意外に大きく、日本の国土の約1.3倍もあるんですね。スマトラ島の周辺には小さい島がたくさんありますが、スマトラ島の北側にニコバル諸島という島々があります。


コンテナ船はちょうど今、スマトラ島とニコバル諸島の間を通過しているところなのです。もう少しでマラッカ海峡。




このニコバル諸島はインドネシアかと思いきや、なんと遠く離れたインドなのですよね(なんでそうなったのか、不勉強で歴史を知りません)。


一方で、インドネシアとは174kmほどしか離れていないんですけどね。


ニコバル諸島のさらに北方には、アンダマン諸島という島々があって、こちらも同じくインドです。


このアンダマン諸島の中に、おそらく世界中で最も外界から途絶された地、北センチネル島という島があります。上の地図の赤点線で囲ったところで、比較的大きな南アンダマン島の南端の西にある島です。
コンテナ船がまあまあ近くにやってきたので、今日はこの島について書いてみたくなりました。



ここは、わずか南北8km、東西7km程度しかない小さな離島です。

2018年に起こったアメリカ人宣教師殺害事件が世界に衝撃を起こしたので、ご存知の方はご存知だと思いますが、この島がかなり特殊な事情の島なのです。

ここに住むセンチネル族の話すセンチネル語は、アンダマン諸島に住む他の部族の言語(アンダマン諸語)と大きく異なるそうで、数千年のあいだ他の島と交流せずに暮らしてきたと考えられているそうです。そのため、周辺の先住民の末裔の人達でさえセンチネル語を理解できる人はおらず、彼らが自らのことを何と呼んでいるのかすら、センチネル族以外は誰も知らないのだそうです。

人口はわずか50〜200人と推定されているそうですが、今もなお石器時代の生活を維持する世界で唯一の民族と言われ、外部との接触を拒否する生活を今も続けているそうです。

インドの中にあると言いながらも、インド政府も干渉しない方針で、事実上島民の独立した主権が認められている状態にあります。上述のアメリカ人宣教師のみならず、近づくものが島民により殺される事件が多数回起きていますが、殺人事件であっても「現代社会の一部ではない」として、警察の捜査もされないそうです。そもそも外界は拒絶されている上に言語的にもコミュニケーションは不可能でしょうから、捜査どころではないでしょうけどね。

センチネルの人々は元々外部と断絶された部族だった上に、19世紀にイギリス人による島民拉致(一部は病死、その後島に戻された)があって、外部への排他性・攻撃性を強めたのだそうです。

以前にはセンチネル族への接触の試みが行われていたようですが、今は、センチネルの人達が免疫を持たないことも考慮して、一切の接触(インド政府自らを含む)を禁止しているそうです。
21世紀の現代においても、まだそんな地があるのかと思うと、なかなか驚愕なことだと思いますね。
Posted at 2025/06/12 21:18:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月08日 イイね!

益子ランチ

益子ランチ今日は、焼物で有名な益子町に嫁さんとランチドライブに行ってきました。

朝はゆっくり10時前に家を出て、宇都宮市街地を通っていると、トゥクトゥクが。


ちゃんとタクシーの行灯を付けていて、芸が細かいですね。宇都宮で初めて見ました。一応テント屋根はありますが、ドアも窓もないそれは、オープンカー以上に風を感じそうです。

そのまま市街地を通り抜けてR123を東へ。


そう言えば、国道123号は一部界隈で「ワンツースリー」と呼ばれるらしいんですが、個人的にはそう呼ばれてるのを聞いたことがありません。「いちにぃさん」は聞いたことがありますが、宇都宮のたいていの人は「ひゃくにじゅうさんごう」とそのまま呼んでいる気がします。
茨城方面の方がワンツースリー派らしいんですが、真偽や如何に?>茨城方面の方

で、今日ランチに行ったお店がこちら。




「給い物屋カフェ笑み」です。

こちらは、益子焼最大の窯元であるつかもとの本館のそばにあるカフェレストランです。本館に併設されたギャラリーの奥に、比較的新しくできたんじゃないかと思います。


あっそうそう、Googleマップ上での店の位置が間違っていた(隣の本館の場所になっていた)ので直しておきました。

店内はこんな感じで、


ランチはこんな感じの健康志向系のメニューで、


Aランチのおばんざいプレートをいただきました。値上げ値上げのこの頃ですが、ちょっと高い‥‥



‥‥けど、このお品書きにはないセロリの和え物も含めて、プレートにはちょこちょこいろいろな料理がたくさん載っています。ちょっと珍しいものもあって、なかなか美味しかったです。

テーブルの上には、益子焼のオセロが置いてありました。


ボードには窪みがあって、碁石っぽい駒を嵌めるようになっています。一式セットで5千いくらからしいので、結構安いんじゃないですかね‥‥いらんけど。

こちらは駐車場は広くて、たくさん車が駐められます。


レストランのあるギャラリーと本館の間には、池と言うかビオトープがありました。その向こうに見えるのがつかもと本館です。




こちらは、ツーリングで寄る場所とかにいいんじゃないですかね。駐車場は広いですしね。


さて、少しゆっくり食事をした後は、またドライブへ。

益子から宇都宮に向かうR123は、それなりに立派な主要幹線道路だと思いますが、普通に踏切があったりします。


もちろん、みんな一時停止していますが、それで渋滞が起きたりしないのが栃木県。

その後、まっすぐ家には向かわずにコーヒーでも飲んで行こうかと、少し外れてこちらに寄っていくことにしました。


でも、席は空いているように見えるのに、10組以上並んでいたんですよね。よく見ると、人手不足で案内が遅くなっていると張り紙がしてあります。少し様子を見るに、実際、回転していない様子でした。

駐車場には、まだまだ駐められる余裕があるのですが、今日はダメそうなのであきらめることにしました。


そう言えば、先日、麦の話のブログを書きましたが、もうほとんどの麦は収穫が終わっています。


そんな中でも、今日コンバインで収穫している田んぼもありました。やっぱり、まるで秋の風景です。



コーヒーに未練があって、スーパーカーカフェ・マキナに寄ったのですが、なんと貸切で入れませんでした‥‥‥残念‥‥。

素直に家に帰ってからコーヒーにしました。
Posted at 2025/06/08 20:29:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月07日 イイね!

足元のモルタル割れ補修

足元のモルタル割れ補修久々に土曜日に良い天気だった今日は、ガレージの足元周りのモルタルの補修をしてもらいました。

例えば、ガレージ向かって左側の


ここが、こんな感じでひび割れていたりしていたのです。


ここは、ちょうど土間コンの目地の境界からわかり易くヒビが上に伸びていますね。ガレージ前の土間コンが収縮したときに、基礎の表面に薄く塗られたモルタル層も引っ張られて、ひび割れてしまったようなのです。

ガレージの右側も一緒で、


こういう感じに土間コンの境界から上に伸びるようにヒビが入っていました。



ガレージ内の後ろ側の壁にもヒビが入っています。こちらは基礎周りのスタイロフォーム(こちらの写真がモルタルを塗る前)の上からモルタルが塗ってあるので、また別のヒビの入り方をしています。


とは言っても、いずれも遠目にはあまりわからないですし、中身の基礎のコンクリートに問題があるわけでもありません。気にしなければそれで済むくらいではあるのですが、先日の家の点検で無料で直してもらえることになりましたので、今日補修してもらうことにしたのでした。


まずは、職人さんが表面のモルタルを剥がしていきます。



浮いているところは簡単に剥がれて来ますが、まったく剥がれないところもあるようです。

向かって右のこちらも剥がされました。


露出した中の基礎のコンクリートを見ても、まったく問題のないことがわかりますね。

剥がした後は、最初にモルタル下地用のプライマー(接着強化剤)をしっかり塗って(写真ありません)から、丁寧な左官作業でモルタルが塗り直されていきました。



出隅も入隅もコテだけで綺麗に角を出されていて、さすがプロですね。


刷毛で表面に砂地のザラザラが出る仕上げで仕上げてもらいました。

こんな感じで綺麗に仕上がっています。


次に、ガレージの中をやり直してもらうのに、355排気ガス排出ノズルやらModdoreやらをどかしました。




こちらにもモルタル塗ってもらいました。


綺麗になりました。


そんなに気になっていたわけでもないのですが、足元が綺麗になるとちょっと気持ち良いですね。


《おまけ》ガレージ足元が綺麗になったところで、午後には七深を爪切と検診に連れて行って来ました。
お尻の毛メンテになすがまま、短い手で「シェー」!

Posted at 2025/06/07 20:31:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月06日 イイね!

夢の島を追われ半世紀余り

夢の島を追われ半世紀余り日本でもリゾート地として有名なモルディブは、1,192個(!)もの島々から構成されるのだとか。




そんなにたくさんあるのかと驚くと同時に、「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」ではなくなった代わりに「島々がいい国(1192)モルディブ」と覚えやすくもありますね。

あっそうそう。そう振っておいてなんですが、モルディブの島の数に驚いた貴方、でも日本には14,125個(!!!)の島があるのですよ。世界有数の多島海国家、日本。


さて、そんな小ネタから入りつつ、モルディブからさらに南のインド洋のど真ん中に、チャゴス諸島というところがあります。



チャゴス諸島?

そう、スピットファイアを載せたコンテナ船が、ロドリゲス島の傍を通った後、ちょうどチャゴス諸島近海を通過中なのです。British Indian Ocean Territory (イギリス領インド洋地域)と書かれているところが、チャゴス諸島です。



このチャゴス諸島には18世紀後半から入植が始まり、20世紀半ばには2000人程の住民が住んでいたそうです。その当時、英領モーリシャス(植民地)がチャゴス諸島の自治権を持っていました。気候も平穏で農産物が豊富に採れたため村は繁栄し、学校や病院、教会、鉄道も整備され、生活に困ることはなかったそうで、「夢の島」と形容されることもあったようです。

現在のチャゴス諸島はイギリス領となっていて、夢の島だったはずの島には一般住民は誰も住んでいません。今は、かつての居住地に廃墟が残るのみです(以下はプランテーション跡地)。


そこには複雑な背景があるようなのです。ちょっと勉強したので、今日は少しその話について。


まず、現在のモーリシャスは独立国ですが、マダガスカル島の東側にある諸島からなる国です。前回のブログで書いたところですね。


チャゴス諸島は地理的にはモルディブに最も近いと思いますが、植民地時代にモーリシャスと一緒に統治された関係でモーリシャスとの繋がりが強いようです。

1965年にモーリシャスがイギリスから独立する条件として、チャゴス諸島を分離してイギリスに残す密約が交わされたのだそうです。合わせて、400万英ポンドの支払いも行われたのだとか。
400万英ポンドは、イングランド銀行提供するインフレ率計算機で計算すると、現在の価値で6751万英ポンド相当となるので、約132億円となります。領海の広さを考えると足下を見られてかなり安く買い叩かれたのでしょう。

この密約の背後には、イギリスによるモーリシャスへの脅迫があったそうで、モーリシャスの自発的意思とは考えられていないようです。

分離されたチャゴス諸島は現在もイギリス領のままです。この密約が交わされた同時期に、イギリスはアメリカとも交渉を行っていて、一番大きな島ディエゴガルシア島に後にアメリカ軍基地が作られることになります。密約のあった翌年の1966年から50年間、アメリカの軍施設として使われることとなり、その後に20年延長され、今現在もそれが続いています。

下の写真は現在のディエゴガルシア島です。


滑走路が見え、軍事施設も確認できますね。環礁の内側にある巨大な礁湖は、艦船を荒波から守る安全な天然の避泊地として利用されているようです。たくさんの船舶が見えますが、全部軍用なのでしょう。

大きな出来事を時系列的に並べるとそうなるわけですが、冷戦下にあったアメリカがインド洋に軍事基地を欲しがった方が先のようです。アメリカがイギリスに働きかけて、モーリシャスとの密約を取り付けさせたのでしょう。1961年は、アメリカ海軍の提督が、チャゴス諸島を調査のため訪れていることがわかっているそうです。イギリスは、アメリカに土地を租借する見返りとして、ポラリス(核兵器)をアメリカから1,100万ポンドの値引きを受けて供与してもらったそうです。


アメリカはさらに、ディエゴガルシア島に基地を作るにあたって、チャゴス諸島の全住民を追放することを望んだそうで、実際にすべての住民が強制移住させられました。時期は資料によって揺らぎがあって、1968~74年だったり、1968~73年だったり、1967~71年だったりしますが、アメリカに租借してすぐのことです。

そのやり口はかなりひどかったようで、退去命令を出して物資輸送の禁止から始まり、それでも残ろうとする住民に対して、約1000匹の犬の見せしめ殺戮、すし詰めで船に乗せ一時的にセーシェルの刑務所に収監、住居も仕事も用意せずにモーリシャスのインフラのない放棄地に連行したのだとか。


植民地意識があったせいなのか知りませんが、よくもそんなことがまかり通ったものだと思います。そんなに昔の話ではないのですけどね。

住民を追放したかったのは、軍事施設や滑走路の建築、その後の24時間軍事運用で生じる騒音・落下物などの諸問題に対して、住民の反対を気にする必要がないことを望んだためのようです。

そのディエゴガルシア島に造られた基地からは、1991年湾岸戦争でのイラクへの爆撃、2001年アフガニスタン空爆、2003年イラク戦争の爆撃が行われたそうです。アメリカが中東に軍事的影響力を与える拠点となっているわけです。また、この基地の孤立性・秘匿性の高さから、CIAが"black site"として利用しているという話もあるようです。
https://www.theguardian.com/world/2014/apr/13/cia-black-site-diego-garcia-uk-role

そして今現在も、重要戦略拠点としてステルス戦略爆撃機等が配備されています。空中給油機とセットでの運用で、いつでも爆撃できるぞと目の前で構えているわけです。


軍用艦が泊まる港もあり、そこを母港とする潜水艦もあるそうです。



Googleマップでアップで見てみると、4000m級の滑走路の近くに駐機している軍用機が少ないような‥‥


港に停泊している船に明らかな軍用艦はないような‥‥


Googleマップの衛星写真では、礁湖の中にもほとんど船が写っていないので、写真を選んでいるのか、加工しているのかも。

居住区を見ると、日本の低層の団地っぽい集合住宅が、基地の人の住まいなのでしょう。レストランや宿泊施設、テニスコートに野球場なんかもあるようです。



そんなチャゴス諸島ですが、元住民たちが帰島を願って活動してきた歴史があるようです。


これまでに、
 ・イギリス国内での旧島民による訴訟
 ・その違法性ありの判決の枢密院による揉み消し
 ・生活基盤を作らせないための海洋保護区指定による島民帰還阻止の土俵作り、
 ・モーリシャスによる国際司法裁判所提訴とイギリスへの統治終了勧告
等を経て、ようやくつい先日の5月22日に、イギリスとモーリシャスの両国がチャゴス諸島の主権をモーリシャスに移譲する合意文書に調印したそうです。
元住民の活動は今現在も続いているようですが、詳しくは調べられていません。

コンテナ船が通ることでたまたま調べただけなのですが、偶然にもチャゴス諸島が極めて重要な歴史的転換点を迎えているところだったということです。これは、米英のみならず西側諸国にとってそれなりに大きなニュースにも思えますが、日本ではまったくニュースになっていませんね。そもそも、このインド洋の島の存在すらあまり知られていないでしょう。

なお、昨年10月3日の両国の合意により、ディエゴガルシア島にある軍事基地は引き続き維持され、イギリスによる99年間の運用が認められることとなっています。軍事基地の重要性が変わるわけではないので、そこが折り合いを付ける限度だったのでしょう。ただし、イギリスは年間1億100万ポンド(約190億円)のリース料をちゃんとモーリシャスに支払うそうです。
関連して、日本も従順に在日米軍駐留経費の負担ばかりしていないで、アメリカに米軍基地のための土地リース料を請求したらどうですかね。横田だけでも相当なもんなんじゃないですかね。不動産屋のトランプさんなら、主張の合理性は理解するんじゃないかな。うんとは言わないだろうけど、最初にハッタリをかましておくと落としどころで得をすると考えていらっしゃるようなので、こっちもやったらいかが?


チャゴス諸島はモーリシャスに返還されることにはなりましたが、実際問題、住民帰還は叶うのでしょうかね?
ディエゴガルシア島は特別だとしても、それ以外の島々についても、もしかすると海洋保護区指定がされているために生活基盤を築く術がなくて、何も手出しができないのかもしれません。

ところで、ディエゴガルシア島は、アラブ諸国からのミサイル攻撃が届かない絶妙な位置にあるようです。この基地のおかげで、インド洋の安全が保たれているという言い方もできるようで、私も米英側戦略の恩恵を受けている側かも知れません。実際、イエメンのフーシ派による紅海での攻撃を恐れて、現時点で西側の船舶はスエズ運河を通らなくなっていますが、もしもインド洋まで航行できなくなってしまうと大変なことになるでしょう。

そう、世の中の不条理の上に私も生かされているということですね‥‥考えさせられます。

でも、そんな事実に気が付いてしまってもなお、早く車が来ないかなと待ち遠しい思いが上回る煩悩まみれの人なのでした。



《おまけ》 船は今の航行速度で進むと、シンガポールに6/8 19時に着く計算になるようなのですが、入港予定はその1週間後の6/15 10時になっています。


また、海上で待機するのかなぁ。

東南アジアを中心とする世界各地の港は、トランプ関税の影響で混乱している(滞貨で溢れている)という話もあるようなので、そのあおりを食う状況なのかもしれません。

で、シンガポールに寄港した後は、てっきり横浜に向かうものだと思っていたのですが、どうやらその前に釜山に寄るらしいんです。

う〜ん、となると‥‥‥きっと7月にずれ込むのかな‥‥‥果たしていつうちにやってくるのやら。
Posted at 2025/06/06 20:22:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2025年06月03日 イイね!

マダガスカルからロドリゲス島その先へ

マダガスカルからロドリゲス島その先へ喜望峰を左にターンした後のコンテナ船は、インド洋を斜めに横断してシンガポールに向かっています。


南アフリカを過ぎた後は、もう何もない広大な海を航海するのかと思いきや、インド洋にも島々があるのですよね。まだまだシンガポールには着かないので、今日はその辺りの島々について。

まずは、マダガスカル


コンテナ船は、5/29にちょうどマダガスカルの南沖を通過していました。


マダガスカルは、「おさ~るさぁんだよ~」のアイアイで有名なところですね。ここは世界で4番目に大きな島で地図上でも目立ちますので、多くの方はご存じのことと思います。結構大きくて、日本の1.6倍の面積があるようです。
大昔の8800万年前頃に大陸から分離したそうで、野生生物の90%以上が固有種なのだそうです。そう聞くと、ちょっと行ってみたくなりますよね。

ここは、人類が定住を始めた最後の地とも言われているようで、遠く離れたボルネオ島あたりからやってきた人々が定住を始めたんだそうです。小さなアウトリガーカヌーでインド洋を横断したっていうんだから驚きます。



3つ上の地図の真ん中に見えるアンタナナリボという街が、マダガスカルの首都だそうです。小学生の頃の国と首都の暗記が流行ったとき[*]の記憶によると、首都はタナナリブだったと思いますが、今は違うようです。Wikipediaによると、アンタナナリボ(Antanànarìvo)が正式名で、タナナリヴ(Tananarive)ともタナ(Tana)とも呼ばれるのだとか。別の資料にはアンタナナリボの旧称とあるので、昔はタナナリブだったのでしょう。

[*] 首都言い合いの勝負は、トーゴ/ロメ、カメルーン/ヤウンデ、マダガスカル/タナナリブ、チャド/ンジャメナあたりが言えるかどうかが勝負だったなぁ。なお、チャドの首都ンジャメナは、ンガリエマ滝とともにしりとりで2回までは「ん」で終わってもいいという特別ルールに使っていました。


そんなマダガスカルは、国民一人当たりのGDP(名目GDP@2024年)が569ドルしかありません。マダガスカルは約2800万人の人口を有するかなり大きな国なのですが、国民の80%以上が1日2.15ドル以下で生活する極度の貧困状態にあるそうです。国の統治機構にも問題が多いらしく、インフラも行き届かず、治安も貧困による犯罪が多発していて非常に危険な状況にあるようです。

アジア・オセアニアでは、後発開発途上国(LDC)が大きく減りつつありますが、マダガスカルはLDCから抜け出す道筋がまったく見えない極めて厳しい状況のようです。10年周期で繰り返される政治的混乱、それによる投資の抑制、インフラの整備の遅れ、気候変動影響でさらに悪化する慢性的食料不足、都市部のスラム化、等々により、抜け出せない負のループに陥っているようです。そう聞くと、やっぱり行くのは厳しそうです。

地図を見ると、場所的になんとなく過ごしやすそうな豊かな島を想像してしまうのですが、実態は真逆、世界には残された課題がまだまだ多いようです。

船はその後にマダガスカルの東へと進み、次の島に近づきました。



マダガスカルの東にあるユレニオンモーリシャスです。


モーリシャスはそこそこ名が知られていると思いますが、今回調べて、初めてユレニオンという名を知りました。こんなところに、モーリシャスに匹敵する大きさをもつフランス領の島があるのですね。

ユレニオンはマダガスカルの流刑地として使われた後に、17世紀にフランス人が入植した地のようです。フランス本土向けの観光開発はされているようですが、日本ではまったく聞かない島な気がします。実際、ネットを調べても、日本語の情報はほぼ何もないようです。謎の島ですね。

そのお隣のモーリシャスは、1968年からの独立国です。アフリカ大陸からはかなり離れていますが、アフリカの国家の一つに数えられています。
この国の国民一人当たりのGDP(名目GDP@2024年)は、11,883ドルでアフリカ第2位だそうです。ガバナンス(統治能力)も優れていて、アフリカNo.1の政府の質と評価されているようです。治安も凶悪犯罪は少なく、周辺諸国と比較すると良い方なようです。日本からの旅行ツアーもたくさんあって、普通とは一味違うリゾートを楽しみたい人に人気ですよね‥‥‥知らんけど。

モーリシャスと言えば、似たような感じの国にセーシェルがありますね。


セーシェルは、マダガスカルの北の方にある島国なので、船の航路からはかなり外れてしまいますが、ここがGDPアフリカ第1位(21,532ドル)の国だそうです。政府の質はモーリシャスに次いでNo.2の評価のようで、こちらも高級リゾート地として有名ですね。こちらにも行ってみたいけど‥‥おそらくもう行くことはないかな‥‥。

こうして調べてみると、安定した発展を遂げたモーリシャスとセーシェルの2国とは対照的に、海を隔てた隣国のマダガスカルが厳しい状況にあるということが、もどかしい感じもしますね。土地も広そうだし、気候も悪くなさそうだし、どうやら地下資源もあるそうなのですが、世の中なかなかうまくいかないものです。


さて、船の航路に話を戻してと。
コンテナ船はさらに進み、さらに東にあるロドリゲス島までやってきました。



4つ上の地図の右の端の方に「ポート・マチュリン」と書かれた小さな島がそれです。

この島は、モーリシャス領の一部で、モーリシャス島からは北東に560kmの距離にあります。第一次産業中心の人口4万人程度の静かな絶海の孤島のようですね。観光開発もあまりされていないようです。
ここに行くことはさすがになさそうですが、コンテナ船は島が大きく見えるであろう島のすぐ近くを通ったようなので、スピットファイアが代わりに見てくれたことでしょう。ってコンテナの中だから見えないか。

さてと。

タイトル画像にあるように、船はすでにロドリゲス島の北東に通り過ぎていますが、ちょうど喜望峰とマラッカ海峡の入口の中間地点あたりにやってきたことになります。

この後は、インド洋のほぼど真ん中にあるイギリス領近辺を通ることになります。


ここの事情はさらに深いようなのですよね。
また別途、そのことについて書きたいと思います。
Posted at 2025/06/03 20:25:32 | コメント(2) | トラックバック(0)

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「イマドキ、L型エンジン用を新発売なのがすごい。
バルブ挟み角がめっちゃ狭そうで、当時風ではなく今風かな。海外で流行りそう。
6連スロットルにインジェクションも良いかも。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/2024066.html
何シテル?   06/21 11:56
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