
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
幼児以上、少年未満の、ガキの見習くらいだった頃の古いふるい話です。2年間くらいを東京大田区の雪が谷大塚界隈で過ごしました。
この時期の男児には、重要な実技科目がありました。なんといっても、自転車です。
ところが、交通量が多い環状八号線と中原街道に挟まれた地域だったため、小学校の指導により、その2つの幹線道路を自由に越えることは許されていませんでした。今思えば、実に狭い行動範囲でした。それでも、税務署の駐車場でキャッチボールをし、官舎の家族ではないのに、そこをローラースケートの競技場にしていました。住宅街の狭い空き地で缶蹴りを楽しみ、多摩川にもよく足を延ばしていました。調子を崩した巨人のスーパースター選手がフリーバッティングや投げ込みをしていることがあり、遠くから背番号を眺めているだけで興奮したものでした。
のちに、田舎へ転居してよく分かったのですが、当時決定的に欠けていたものがありました。生き物が少なかったのです。多摩川は下流のため、小学生が網で遊べるような場所ではありませんでした。辛うじて、土手にバッタ類がいるくらいで、昆虫がすこぶる少ない地域だったと思います。
こうしたなか、編み出した遊びが、新幹線の鑑賞会でした。品川区に隣接する大田区の馬込周辺には、生活道路の下方を新幹線が走っている場所があり、上方から眺める景色が最高に楽しかったです。
当時の新幹線は、東京から岡山までしか走っておらず、ダイヤも30分に1本くらいしかありませんでした。ひかりとこだまが交互に走っていた記憶があります。見張り役の友人が、「くるぞーっ」と声を張り上げると、全員フェンスに張りつき、無言で雄姿を眺めていました。
何故、新幹線でそこまで楽しめたのかは謎でした。レゴブロックで遊ぶことはあっても、鉄道系の玩具は持っておらず、マニアではなかったのです。少年期に入る直前の時期の感性とは、そういうものなのだとしか説明できません。
のちに、それこそ50年近く経ってから、一つだけ理屈に見合う事実を発見しました。――何故、品川区方面で新幹線を眺めるのが好きだったのか。そして、その地が好きだったのか。
答えは、DNAです。サイエンス的には、DNAが惹かれ、文学的には、赤い糸に引っ張られました。
私は、成人してから、その女性に3回直接想いを伝えました。イベントでの刹那の、でも、魂を燃焼させる渾身の言葉でした。彼女からの返事は、常に同じでした。――いつも応援有難うございます。これからも宜しくお願いします。
私が愛した景色は、私の愛する方が暮らしていた場所の景色でもあったのです。
こんな近くに住んでいたのに、小学校は別々でした。もしも同じ小学校で、それこそ面識があったら、ここには記しません。本当にオイシイ話は、人にはいわないものです。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
幼少期の菊池桃子さんも、走る新幹線の景色に一度くらい興奮したはずです。
――もしかしてだけど、新幹線鑑賞会に加わりたかったのに、ひとめ惚れした俺に照れて遠慮したんじゃないの~。
ふたり出会った日が、少しずつ思い出になっても。
愛してる、愛してる、ルルルルル。
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2025/04/13 08:50:59