
ある春の日の光景です。好天に恵まれ、たくさんの良花が出現しました。美しさの中に、物悲しさが同居していると感じるのは、その後の運命をよく知っているからでしょう。イングリッシュローズの「キャサリン・モーレー」は、凋花になることなく、美の極致に至った瞬間にバッサリと花が落下してしまいます。その期間は、すこぶる短く、実に潔いものです。
私の中においては、「キャサリン・モーレー」のイメージは、大人の女性ではなく、その手前に差し掛かった少女です。
高校時代、文化祭の後夜祭で知り合った少女がいました。音楽部に所属する一つ年下の少女で、学年を示す白いバッジが、まだ膨らみかけた状態の胸に光っていました。真正面よりも内懐に入って見たほうが視覚的な鋭さを増し、艶と純の同居に苦しめられました。男子校と女子校の関係で微妙な距離感がありました。
校庭では、ジンギスカンの「ハッチ大作戦」が大音響で流れ、軽快なメロディに雰囲気が和みました。紫色に染まる西空を見ながら、自己流で踊り続けていました。
とりあえず、二人での会話はそれなりに盛り上がりました。なのに、ドキドキしてしまって、先の話が切り出せない状態に陥りました。結局、名前も訊けませんでした。
彼女を校門まで見送りました。別れの瞬間、背中に悪寒のようなものが取り憑いてしまいました。
一週間後、彼女の文化祭へ乗り込み、必死になって探し続けました。そして、友人達のアシストもあって、対面に成功しました。音楽室で、告白の前段階にまで迫りました。
ですが、見事に振られました。同性の友達との約束があるから、二人きりでは後夜祭に出られないとの返事でした。
後日、彼女から電話をもらいました。電話番号を交換していなかっただけに、青天のへきれきでした。音楽室での記名簿をもとに、ほうぼうを調べまわってくれたようです。
最大のチャンスが到来しました。――電車とかで会ったら、絶対に声をかけて下さいね――と繰り返し、念を押されました。力強く同意しました。しかし、彼女の名前も電話番号も訊けずじまいでした。
以後、街や電車で同じ背格好をしたセーラー服姿の生徒を見つけるたびに、昂ぶりがありました。なのに、彼女と再会する願いは、叶いませんでした。
彼女が目の前に現れたときの眩しさは、「キャサリン・モーレー」のようでした。可憐なイメージを残したまま、ある日突然、目の前から消えていったからです。
目の前に咲く一輪の「キャサリン・モーレー」は、美の極致を維持したまま、ある朝、突然散っていることでしょう。同じように、十七歳のときに刻まれた記憶――十六歳の彼女――は、そのまま残っています。少女のまま、彼女は思い出の中で生き続けていくのです。年老いることなく。
Posted at 2022/12/17 08:59:29 | |
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