
機械技師だった父親は、日曜日の過ごしかたまで、まるで設計図を描いてあるかのようでした。午前中は囲碁講座、午後になると、のど自慢を経て競馬とプロゴルフの中継を掛け持ちで視聴し、朝から夕方までテレビの前から動きませんでした。毎週規則正しくです。
ある日、母親から「たまには(私を)動物園くらい連れていってあげなさいよ」と怒鳴られ、軽い夫婦喧嘩の末に、ようやく父親が重い腰を上げました。行き先は、巨大な動物園でした。来場者が万単位の物凄い賑わいかただったと思います。新聞を手にしたオジサン達が、短い赤鉛筆を耳に挿している姿をとても不思議に思っていました。
タケホープ、キタノカチドキ、グリーングラス、テンポイントという具合に、当時の競走馬の名前をよく覚えています。周囲のオジサン達が絶叫するので、覚えてしまいました。そして、最も記憶に残っているのは、なんといっても、ハイセイコーです。
母親も怒る気力が萎えてしまったという馬だけの動物園事件から20年後、北海道を旅行した際に、ちょっと足を延ばせば、サラブレッドの里に行けることに気づきました。千歳付近の牧場で種牡馬になっていたトウカイテイオウ、オグリキャップを皮切りに、東方の静内まで走破しました。明和牧場に着くと、ひときわ大きな馬が近づいてきました。見学者の私から離れようとしないのです。それが、あのハイセイコーでした。
手で触れるわけにはいきませんので、「現役のときの君を見たことがあるんだ」と話しかけてみました。すると、まるで私の言葉を理解しているかのようなそぶりをみせていました。何か一緒にできることはないかと考え、ラチ沿いを軽く駆けてみました。すると、ハイセイコーもついてきます。時々バキバキという大きな音を立てながら、地面の草を剥ぎ取っていました。トップ画像がそのときの様子です。
怪我でもさせたら大問題になりますので、走るのはすぐにやめたのですが、もっと走ろうよ、と催促されているように感じました。暑さのせいもあってか、完全に覇気を失っていた前出の2頭とは大違いでした。このときのハイセイコーは、すでに20歳を超える高齢馬になっていましたが、まだまだ元気いっぱいという感じで、根っから走るのが好きなんだなと思いました。
Posted at 2022/10/19 07:27:17 | |
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