
午前の仕事を終えて午後の仕事場に移動する途中で
群馬県立館林美術館に立ち寄る予定でした。しかし、途中でナビ上に
富士原という地名と
富士嶽神社が表示されます。これはいかにも富士塚がありますという感じだったので行ってみました。今回はあらかじめ富士塚の位置を調べていったわけではありません。
神社の敷地はわりとゆったりしていて、駐車スペースは十分でここで祭りとか盆踊りとか十分できそうです。入口に富士なんとかと書いてある石碑があり、たぶん富士塚があるだろうと思って調べてみると、鳥居には「富士山」とありその足元に一合目の合目石がありました。これで富士塚であることが確定。
登っていくと、摂社の祠が多数あり、途中の踊り場のようなところでも合目は進んでいく、4合目と8合目がほとんど高さ一緒です。てっぺんの社殿は、震災との関係はわかりませんが修復中でした。
下山は脇の登山道から降りましたが、そこで6合目の合目石に「
女人きんせい」と彫ってあったのをけした跡がありました。
富士山ににせて富士塚も女人禁制にしたのを時代に合わなくなって消したものか? しかし、富士塚は富士山信仰が盛んになった江戸時代に、身近な所に富士山に模した塚を築き信仰するとともに実際に富士山に登れない人も富士塚に登れるようにしたもの、と思っていたので
富士塚は女人禁制という認識はありませんでしたし石碑も始めてみました。単にこの富士塚だけが(かつて女人禁制だった)富士山本体の真似をしただけなのか、富士山と富士塚の女人禁制についても考察する価値はありそうです。
裏に廻るとかなり堅固に補強されていました。富士塚探訪の後は予定通り群馬県立館林美術館に行きましたが、それは後日UP、日本の近代美術(現代アートではない)に関する展示です。
帰宅してからこの富士塚が「富士嶽神社古墳」であることを知りました。この古墳とは思えない補強ぶりは、
埼玉県のさきたま古墳公園の浅間神社(+前玉神社)のようです。
フォトギャラリー:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/2831460/photo.aspx
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富士塚 | 旅行/地域
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2011/10/16 00:31:23