昨年初めて明治座を訪れて観た
銀河鉄道999 GALAXY OPERA の続編です。銀河鉄道999は中学生の時がリアルタイムですが、
銀河鉄道990と私について(https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/blog/41013852/)
銀河鉄道999 GALAXY OPERA(https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/blog/41652807/)
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前回は映画1作目の途中までだったのですが、今回は単にその続きではなく映画で描かれていない話が含まれています。スターウォーズのスピンオフのように、あとになってそういうことだったのか....となる。舞台は1年以上見てないので、今再びの新鮮という感じです。内容については公式HPなどありますが、前回よりメッセージ性が増したのかな?それとも私の観方が変わったのか?
例えば、機械化帝国は
ナチスっぽいし、民衆の団結とか、均一化と個とか、(資本主義での機械、
AIでの効率化によると連想させる)人間疎外とか。
「
たとえ少数でも声を上げ続ける」という台詞は最近見たtweetで「日本では大人しくなるのが大人になるということと刷り込まれたが、今ドイツではオカシイと思ったら最後の一人になっても声を上げ続けなさい、と教わっている」というのを思い出し、ドイツってのがたぶんナチスを念頭においてますよね。
「機械伯爵は機械になって永遠の命を手に入れたから残虐になったんじゃ」というのは、AIは死を意識できないから人間のようにはなれないという議論があってハイデッガーか何かの哲学がベースにあるんですけど、それを思い出し、最後の方でクレアが自分を犠牲にして哲郎を救うんですけどプロメシュームが「愚かな、まるで人間...」と言ってましたが、人間でなくても存在の有限性が何か価値を生むのでは?そういえば昔見た映画にAI戦闘機が単なる機械のはずが終いには自分を犠牲にして人間を救うというのがあった。
前作では永遠とは本当に永遠のようでしたが、今回はメーテルが「機械化人の命もメンテナンスできなければ有限」といってましたが、これは格差で人間社会でも金を持っているかどうかで命の重さや長さが変わってしまう現実を批判してるのかも。
最後には、人間であっても機械であっても人生の選択と責任が... というような話ありましたが、AIが意識をもてば人権を認めるのか?という議論もあるのですが、(特に仕事で)機械のように動いていても人間としての自由・人生とも聞こえました。車掌さんが言ってたが、真に自由になれば善悪を超えるんですかね?
ついでですが、
スラム街で見つかった「人類が月にしか行ってない時代の宇宙の本」はブルーバックスの「相対論的宇宙論」じゃないですかね。というのは挿絵が松本零士なんですよ。この本は銀河鉄道999見たころに近い中学生のころ読んでつい最近復刻版をkindleで読みました。kindleってのが機械化されてますね(笑)舞台では紙の本でしたが、ああいう状況で充電できなくても紙の本なら読めるんですよ。
この話空想であって空想でない。
すると僕の永遠とは..... 少なくとも千年も万年も肉体が生きることじゃないというのははっきりしましたね。私としてはプラトン的に考えたいのですが。そして画像に「完結」とあるが、映画は2作目もあるんですけど.........
Posted at 2019/04/29 08:00:20 | |
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