
これまでにも神社の境内などに転がっている力石を発見してきました。
船橋市郷土史資料館、東京都荒川区の
素戔嗚神社、練馬区の
豊川氷川神社、埼玉県川越市菅沼の
稲荷神社などで、最近では19日に江東区の
富岡八幡宮でたくさんの力石が石碑のように建てられ近くの住吉神社にも多数見られて、この地域には力石が多そうでした。
到底持ち上げられそうにない感じですが、軽いもので50kgくらいのもある。
力石はWikiにも出ていますが、そのリンク先のサイト(
http://www.za.ztv.ne.jp/takashim/chikara1.htm)に詳しく
力石の概要
「
力石」とは、昭和初期まで全国の各集落で行われていた「力比べ」に用いられた石のことです。労働を人力にたよっていた時代には「力」が重要だった訳です。また娯楽の少ない時代のレクリェーションでもありました。「力」のある人は、稼ぎも多く村一番の美人を嫁にすることも出来た地域もありました。
歴史とは、人々の歩みであり、そこには人間の歩いてきた道程がある。そして文化とは、創造である。また歴史とは、決して特定の人物が作ってきたものではなく、多くの名も無き人々が作り上げてきたものである。これら先人の生活の中で生まれて、人々のコミニケーションの中心に存在していた「力石」、多くの人々が汗し、親しんできた「力石」は、労働の機械化や娯楽の増加により、必要性を失い、その役割を終えた。
過去には、全国の各集落毎に存在していたであろう「力石」は、多くの自治体で把握されていないのが現状である。さらに「力石」の意味や存在を知る人々が少なくなり、各地で「力石」が続々と紛失しているが、反面、「力石」の存在を把握できた地域において次々と保存処置が行われてきたのは、喜ばしいことである。各地には、多くの文化遺産が存在する。しかし静かに眠ってはいるが、一般庶民が毎日のように汗し、親しんできた「力石」も、まぎれもない郷土の文化遺産である。
そして、「
淡路島の力石探訪」なるサイトを発見しました。(
http://awajishima-chikara.com/)
力石とは、トップページでも紹介したように、娯楽やスポーツなどがなかった時代に、若者達の娯楽の一つとして、また余興や祭りなどの出し物の一つとして行われた「力試し」のために用いられた「石」のことである。また、当時は機械などない時代であるから、どうしても各種労働は人力による部分が多く、そのため「力があるかどうか?」というのはそのまま生活に直結する重大事だった。自然、「誰が一番力持ちなのか?」ということに人々の関心が集まっていったのだろう。
淡路島既に4回遠征してますが「力石」に注目したことはありませんでした。
古墳、富士塚、力石といろいろなものに目を向けるとどこに行っても暇ということがない。そういえば
道祖神というのもあります。
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徒然 | 日記
Posted at
2013/06/22 09:47:13