箱根ターンパイク→伊豆スカイラインを走って、その翌日更に南下して下田まで行きました。伊豆半島南部は今回が初となります。尾ヶ崎ウイングや白濱神社に立ち寄った後下田に到達しましたが、博物館や水族館など見るところがたくさんあり、今回は下田開国博物館のみとなりました。
--------------------------
下田は古くから風待ち港として栄えてきましたが、嘉永7年3月(1854年4月)アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊来航によりわが国最初の開港場となりました。ペリーが去るとロシアの使節プチャーチンが訪れ、北方の国境画定を含む日露和親条約を結びました。翌年にはアメリカ総領事タウンゼント・ハリスによるアメリカ領事館の開設があり、イギリス、フランス、オランダ等の船も下田港に姿をみせました。
日米修好通商条約の締結により開港場の役割は横浜、神戸などに移りましたが、ペリー来航から明治維新まで僅か15年、その最初の数年間、下田は日本が世界に飛び出す役割を果たした地でした。下田開国博物館は、日本開国に係る約2000点の資料・遺品の中から約1000点を入れ替え展示しています。
-------(博物館 HP)--------
ペリーが浦賀に来て下田が開港されたわけですが、両者とも半島が太平洋に突き出た先端に近いですね。
吉田松陰が黒船にのりこもうとして送り返され入獄したという平滑の極跡地が駐車場になっていて、そこに停めて館内にはいると、今時のきれいなハコモノの感じとは違い昭和の雰囲気です。下田に関するものだけでなく、開国に関する一連の流れに関係あるものが展示されています。そこに
日本写真術の開祖 下岡蓮杖
なる展示アリ、これは現地で知ったのですが、写真活動再開しろってサインなのか...この人は..
当初は画家を志して江戸に出て、幕府の御用絵師だった狩野董川に学んだが、銀板写真に出会って衝撃を受け、写真技術の習得のため米人に接触しようと浦賀奉行所の足軽になったほか、故郷の下田が開港された事を知り、玉泉寺に設けられたアメリカ領事館に雇われ、幼なじみ「お吉」や「お福」を通して ハリス に頼み込み通訳のヒュースケンに写真の基礎を学んだ。後に横浜に出て、英国人の職業写真家J・ウイルソンに写真機材を譲り受け苦労
を重ねて技術を会得した。(http://www.ropeway.co.jp/renjou/renjou.htm)
なかなか写真を撮りまくるパワーが出ません、昨今。
ブログ一覧 |
アート | 旅行/地域
Posted at
2018/03/03 14:04:32