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文字が消えかかってる古墳の標示板。けん引フックは史跡には場違いか?)
久々に仕事で車使ってしまいました。仕事といってもレカロシートで街乗りでもダンパーあえて硬いままで、スポーツ走行が趣味という気分は保てますが、助手席に誰も乗せない前提の自分勝手にできる車だからこそです。
次にサーキット行くのと次のF1GP どちらが早いか?
いやあ、ここにGTウイング付きの真っ黒のZできてまじめに史跡見学なんかしてたら変でしょうかね、やっぱり
今日は恙無く仕事終了後に埼玉県坂戸市
雷電塚古墳に行ってきました。写真のように看板の文字もかすれて、それはそれでムードでてますが、内容は帰宅後にネットで確認しました。
本古墳は、六世紀のおわりから七世紀のはじめに築造された勝呂古墳群中の一基で、東西五十メートル、南北十八メートルの前方後円墳で高さは前方部三.六メートル、後円で三.八メートルある。そして後円の墳頂には、雷電社の石祠とともに、年代不明の青色塔婆断片が安置されているが、北側の平坦な土壇部は雑木林となり、その一隅に江戸期建立の宝篋印塔が立っている。墳丘の南は開墾されて畑となているが、周溝の一部とみられるくぼ地が残存し、陪家のひとつ稲荷塚もあって、そのあたり一帯から埴輪や土師器の小破片も採集されている。
全景(本日撮影)
くびれ部から後円部を望む(本日撮影)

実は看板には上記のように書かれているんですが、
異論もあるようです。
歴史業界(?)には詳しくないですが、大和朝廷の中央集権を絶対的な秩序とみるかどうかとか、それに学者の出身地がからんでたりするようなんです。 それが「国粋主義」的な思想とリンクするのかどうかはわかりませんが。
国ことを思いかつ研究者としてのスタンスに徹するならば
イデオロギー的なことは持ち込んでほしくないと思います。
と、まじめな話はこれくらいにして、ここを訪れたのは雷電という名前に惹かれてのこと、YMO元ファンとしてはこれしかないんです。
Rydeen (YMO あえておなじみの?アルバムバージョン)
Posted at 2011/04/20 17:49:52 | |
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