
(本庄市の国学者塙保己一旧宅、左端はCR-Z)
去る9月5日に埼玉県本庄市の雉岡城を再訪しました、ここには何度も何度も来ていて、春には桜が見事なところですが、ここにある塙保己一記念館にはまだ一度も入ったことがなかったのですけど、今回は入れました。
中に入ると遺品の日用品や借用証文、そして群書類従などがあります。15分くらいのビデオがあるようなのですが、直に詳しく解説してもらいました。
塙保己一(はなわ ほきいち)
江戸時代の国学者。7歳にして失明するも、驚異的な記憶力で数万冊の古文献を耳から暗記。日本の歴史や文学、古い法律や制度についての資料を収集し、後世の研究に役立つように、次々と文書保存を行った。中でも、代表的な事業として知られているのが『群書類従』(ぐんしょるいじゅう)である。これは、日本の政治、経済、社会の出来事などを記録し、保存するために、古典や古文書を収集、分類、校訂し、木版刷りで出版した666冊におよぶ日本最大の国書の叢書(シリーズ本)。その後の歴史、文学など学術研究に大きく貢献したばかりではなく、現代でいう情報公開制度の先駆けとしても注目されている、また、同書は日本初の大型出版事業であり、保己一はその編さん者、出版人としても高く評価されている。ちなみに、400字詰めの原稿用紙の体裁は、塙保己一が出版事業を手掛ける際に考案されたものと伝えられる。
(
http://www.dik.co.jp/hanawa/index.html)
この群書類従が重要な順番に分類されているというのですが、その区分けが
神祇部、帝王部、補任部、系譜部、伝部、 官職部、律令部、公事部、装束部、文筆部、 消息部、和歌部、連歌部、物語部、日記部、 紀行部、管弦部、蹴鞠部、鷹部、
遊戯部、 飲食部、
合戦部、武家部、釈字部、雑部
神ー天皇が根本だが、その後行政的なことから文化的なことがあって、
遊戯や飲食の下に軍事(合戦、武家)が位置づけられているのはどうでしょうか。幕藩体制が確立し合戦もなく、鎖国で外敵の脅威もない時代の分類ではあるのですが。
しかし、日本の歴史・文化・芸能・芸術を知るための基本的文献ということで、
国学(儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を批判し、日本独自の文化・思想、精神世界を日本の古典や古代史のなかに見出していこうとする学問)からすれば、武士道とか儒教的なものや孫子の兵法的なものは下の方に位置づけられるのか。
フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3248709/photo.aspx
Posted at 2012/09/08 22:25:04 | |
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