
先日群馬県太田市の
冠稲荷神社に行ってきました。しかし時間があまりなくてゆっくり滞在できず、ここはなかなかいいい感じだったので再訪予定地に指定。
ところで 神様っているのだろうか。いろいろな宗教で「神とは.....」という話があるけど、哲学者のスピノザはこの宇宙自体が神だとしました(汎神論)
神がいるというのは、神がいるとしか思えない.....ってことなんですね。逆に、それが偶然ですよ,,,と言われれば神はいないとなる。
科学ファンならご存知の
多元宇宙論(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%85%83%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%AB%96)は、物理学と神についての考察材料になりうるともいます。
このようなアイデアはむしろ神を否定して人間原理に徹するするところから始まっているんではないか?つまり科学が神に頼らないためには必要な概念なのではないか。
デグマークの分類で
■他でもないこの私が今ここに生きているのは特別で神のおぼしめしだ ⇒これをレベル1で否定(はるか遠くにはあなたの代わりはいくらでもいるよ)
■私がこのように星や生命が存在しうる物理特性がある宇宙にあるのは特別だ。これは神がこの宇宙をデザインしたのだ。
⇒これを レベル2で否定 (生命が存在しえない物理定数や初期条件の宇宙も無数にある。何ら意味はない)
■私が今ここのこうして存在しこれまで私にとって特別な人生を歩んできたことも神のおぼしめしで、何らかの使命があるのかもしれない。
⇒これをレベル3で否定(さまざまな時間の流れ、あなたの人生がありえてそれは他の宇宙では実現しているのだが、あなたはそのうちの一つに住んでいるにすぎない、なんら特別な意味はない)
■しかし、それにしてもいま現にあるような物理法則は特別だ、これは生命が住めるかどうかにかかわらず神がデザインしたものだろう。
⇒これをレベル4で否定(数学的に記述できるあらゆる宇宙が存在するのであり、我々がいる宇宙の法則もなんら特別なものではなく、他の法則に支配される宇宙も数限りなくある)
ある意味「神の不存在証明」です。宇宙がこうなっていれば神の概念は排除できる。しかし観測で証明できるのか? 一方ではレベル4などほとんど「イデア界」と変わらないし、我々が観測しえない「存在」を広範に想定することによって、まさにそうすることによってしか神を否定できません。
だから、もしそう言いたければマルチバースのうち我々が物理的に観測できず数学的にのみ把握できる宇宙自体がまさに神であるともいえます。(
Posted at 2012/12/03 07:28:13 | |
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宇宙 | 日記