2013年07月01日

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浅間山古墳近くのガスト駐車場、水田は堀の跡)
先月28日に群馬県高崎市の浅間山古墳を訪れました。名前からして富士塚じゃないかと期待してのことでしたが、不発。
古墳の駐車場はありませんが、近くのファミレスで昼食とってそのまま車に戻らずに古墳探索へ、仕事で来てるものだから、革靴にネクタイ着用状態で藪の中に入っていく、これは私にとっては時々あるスタイルです。
古墳を囲むように水田があっていかにも濠の跡のようですが、ネット上の航空写真みるとそれは明らかでした。古代人が掘った濠のかたちそのままに現代の舗装道路が造られている、と思われます・
後方部の方には堤のようなものがあって、そこから墳丘に登りました。造り出しのようなものも確認。墳丘は一部農地になっています。見たところ浅間神社の鳥居などはなし、草むらに踏み込むと、くびれ部辺りで草に隠れた祠を発見、これは浅間祠じゃないように見えました。更に後円部の方に進むと層状の葺石らしきものを発見しましたが、人の手が加わって畑になっているのでどこまで当時の姿かはわかりません。
後円部のてっぺんには富士塚関連のものがあるんじゃなかろうかと思っていってみましたが、確認できず、しかし葺石ははっきりとわかりました。その後“下山”。後円部の墳丘中腹の農地では葺石がたくさん見られて、一部は農家がビニールの重しに使ったり、集められたりしていました。
結局、富士塚ではないかという仮説は棄却されました。
フォト:https://minkara.carview.co.jp/userid/946290/car/796726/3591048/photo.aspx
浅間山古墳は、墳丘全長171.5メートルの前方後円墳です。前方部は2段に造られていて、長さ66.3メートル、高さ5.5メート、後円部は3段に造られていて径105メートル、高さ14.1メートルの規模があります。後円部に比べて前方部が小さいことが特徴です。墳丘の周りには平面が盾形をした内堀があり、その外側には中堤と外堀があることがわかっています。
発掘調査などで、円筒埴輪の破片や剣形の石製模造品が確認されています。前方部が小さいこと、盾形の堀をもつこと、確認されている埴輪の特徴から、4世紀後半に造られたと考えられています。
浅間山古墳は、群馬県内で太田市の天神山古墳に次いで第2位の規模を誇り、築造された当時は東日本最大の古墳でした。(高崎市HP)
Posted at 2013/07/01 14:08:34 | |
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